PKK9名殺害の軍事作戦、生存逮捕者の衝撃の証言
2012年02月10日付 Milliyet 紙


ビンギョルのウルジャラル町で昨日(9日)実行された軍事作戦で9名が死亡、3名が生存逮捕された。殺害された組織のエルズルム責任者であるコードネームを「ペリ‐マヒル」というハシム・カヤが、降伏しようとした仲間を武器で脅して手榴弾を爆発させていたことが明らかになった。カヤはビンギョルの町の中心で自爆テロも含め多くの流血事件を指示したことが明らかにされていた。軍事作戦で負傷して逮捕されたテロリストへの応急処置は、兵士が(逮捕者の)身体にコートをかけてあげ、雪の上で行っていたことが明らかになった。生存逮捕者のPKKメンバーは組織に加わっていたことに対して後悔していると話した。

ビンギョル県知事府は、中心地に近いウルジャラル町の郊外で昨日の明け方頃、牛舎に向けて実行され、死者9名、負傷者2名、生存者1名を含む12名のPKKメンバーを無力化状態にした軍事作戦に関する包括的な会見を行った。会見では、県軍事警察司令部が生存逮捕したPKKメンバーから入手した情報を精査した結果、グループの正式な関係者がウルジャラル市郊外にある牛舎の中にいたことが明らかになった。また、ビンギョル軍警察特別機動隊、軍警察国内治安部隊、諜報部員、ゲチジ村の村落防衛隊が昨日の明け方頃実施した軍事作戦で、治安部隊の「降伏しろ」という呼びかけに、当初、武器で対応し、持っていた手榴弾を爆破させた3名の生存者(うち1名は負傷)と9名の死者、計12名のテロリストを無力化状態にしたと伝えた。

■地域責任者: 降伏する奴は撃つ

会見では、降伏したテロリストから入手された初期情報も報告され、次のように説明された:
「牛舎の中にいた組織の関係者の多くが、兵士の降伏の呼びかけに応じて降伏しようとしました。しかし、いわゆる地域のコーディネーターでコードネームを「ペリ‐マヒル」というハシム・カヤが、同じ地域の責任者であり、多くのテロ活動を行っており、降伏した場合自身と家族が組織に処刑されると知ると、他のテロリストたちを武器で脅し、降伏しようとした者たちは撃つと述べたという。テロリスト全員はこの脅しのために手榴弾を爆破させたが、自分たちは爆弾の安全ピンを外した後、後方に向けて走って死から免れたことが分かりました。」

■兵士が応急処置を行った

軍事作戦で負傷して逮捕されたPKKメンバーらの応急処置は、軍事作戦に参加した兵士が行っていたことが明らかになった。雪と冷気の中、地べたに横たえられたPKKメンバーらの傷を治療した兵士らは、彼らのコートもテロリストにかけてあげていたことが分かった。

■降伏したPKKメンバー:「責任者が脅した」

軍事作戦で生存逮捕されたPKKメンバーは、軍警察のカメラを通して行った会見で、反体制行動を取った動機は家庭内問題で、(組織に)親近感を感じたと話し、次のように述べた:「後悔しています。皆さんに思われているようなものではないのです。RojTVで放送していたようなものではないのです。例えば仲間や兄弟とか、それに似た言葉を言っています。組織では堕落した付き合いでした。イスラム教に対する不敬は常でした。私はイスラム教を信じていませんでした。しばしば侮辱があり、アッラーを信じないため皆で侮辱していて、ひどい言葉を使っています。組織に加わったことを非常に後悔しています。私が降伏したのは実はとても後悔していたからです。我々が行ったキャンプは野ざらし状態でした。そのようなキャンプを放棄して、仕方なく村人の牛舎を接収しました。そうする他なかったのです。食料はなく困難でした。朝方頃そこに見張りがやって来て、我々を起こしました。周囲を兵隊が取り囲んでいると言ったのです。留まっていた場所から下に降りるように言われました。我々が下に降りると武器を出すように命令されました。「皆、爆弾のピンを抜いてそこに投げろ。」と。組織の責任者は、爆弾を投げなかった者は撃ち殺すと言いました。だから爆弾のピンを外して投げました。皆隅に逃げました。隅にいたので負傷者も助かったのです。2名は負傷して救出されました。私は無傷で救出されました。無傷で救出されたから、降伏したから、後悔しているのではありません。つまり組織に加わってしまったから後悔しているのです。兵士は敵だと言っていましたが、本当の敵ではありませんでした。寒くないようにと言って兵士はコートをくれたのです。今、私の身に起こったことを明らかにしたいのです。」

<以下略>

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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:25508 )