リビアの革命が始まったベンガジをも含む石油に富む東部地方キレナイカは、半自治を宣言した。何千人もの抗議者たちは、「リビアは分かたれえない」とデモを行った。独立議会を組織したリビア系米国人石油技術者のムハンメド・ブイシイェル氏は一方、「一つのリビアを信じている。だが東部が政府によって無視され続けるのなら、これ(一つのリビア)を保証することはできない」と述べた。
リビアでムアンマル・カダフィーを誰が転覆させたか、そして新しい時代に権力をどう分配するかについて合意に至っていないミスラタとジンタンの諸部族の激しい武装抗争が続く中、首都トリポリの暫定政府も「隠れた内戦」を制止できないでいる。この状況で、リビアの東部に位置し国の埋蔵石油、製油所、パイプラインの大部分を有するキレナイカ地方は、昨日半自治を宣言した。革命の着火点となり、またリビアで2番目に大きい都市ベンガジもこの地方にある。
■独立会議にリビア国民評議会の地方評議会議長が
カダフィー転覆の6カ月後ベンガジに集まった何千もの部族のメンバー、民兵リーダー、政治家は、リビア中央に位置する湾岸都市シルテからエジプト国境に伸びる歴史あるキレナイカ地方を半自治地域として機能させると式典で告知した。リビア国民評議会は、当地方により一層の自治権が付与されることに対して、国の分裂につながるという理由で反対した。しかし独立議会へは、カダフィー時代に最長期間逮捕されていた政治犯で、現在リビア国民評議会に加わっているアフメド・ズベイル氏も地方評議会の議長として参加した。
ズベイル氏は、彼らが地域の諸権利を守り、300人のメンバーからなるキレナイカ高等評議会は、外交に関してはリビアの代表としてリビア国民評議会を承認すると宣言した。(地方)評議会の最初の決定は、6月に行われる選挙で、200議席の国会で60議席を東部地域に分配するというリビア国民評議会の選挙法を拒否したことであった。
■埋蔵石油の90%はこの地に
一日に1600万バレルの生産量でアフリカ第4の石油輸出国であるリビアは、ヨーロッパ、特にイタリアのエネルギー供給のために非常に重要である。国の埋蔵石油の90%、そして5大製油所のうち4つがキレナイカにある。昨日何千もの参加者とともに半自治を宣言した『キレナイカ人民議会(独立議会)』の背後にはというと、リビア系米国人石油技術者のムハンメド・ブイシイェル氏がいる。石油について外国人投資者への顧問の役割もになうトリポリ出身のブイシイェル氏はロイター通信へ「一つのリビアを信じている。しかしキレナイカの人々は50年間政府の無視に非常に苦しんだ。東部がこのように無視され続けるならば、リビアが25年後もこのまま一つの形で残っているという保証はできない」と述べた。東部では全部族が半自治を支持しているわけではなく、トリポリ(国民評議会)が堅固な反発を示していることを考えると、リビア内戦が激化する可能性もある。
■リビアは歴史上、常にバラバラだった
ベンガジ法廷前で一昨夜、何千もの人々が半自治に抗議した。「リビアは一つである。分かたれ得ない」とスローガンを掲げた。リビア国民評議会から「領土保全は越えてはならない一線である(是が非でも守るべき一線である)」との発表がなされた。イギリス人歴史家ピーター・ジョーンズ氏は昨年BBCで、リビアが歴史上常に少なくとも2つの部分で成り立っていたと主張して、「二国家という解決策」を示したことで、イギリス国内に反発を引き起こした。
その名前がローマ時代に付けられたキレナイカ地方は、1517年にオスマン帝国に帰属した。イタリアは1911年にリビアのオスマン帝国に属する3地方(トリポリ、キレナイカ、フィザーン)を占領した。1951年に独立を勝ち取ったリビアは、10年間程3地方が政権を分割する一種の連邦制で統治された。1949年から1951年の間、イギリスの助力により白黒のトルコ国旗に似た国旗でもってキレナイカ首長国を設立したセイイド・イドリスが、後に国全体の最初のそして唯一の王となった。イドリス王が王位の晩年に始めさせた中央集権化運動を、42年間政権の座に就くことになるムアンマル・カダフィーが、1969年に行ったクーデターの後に完成させた。こうしてキレナイカは完全にトリポリに帰属した。
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( 翻訳者:吉岡春菜 )
( 記事ID:25753 )