アフガニスタンでヘリコプター墜落、トルコ軍人12名死亡
2012年03月16日付 Radikal 紙
アフガニスタンで任務に就いていたトルコ軍を搬送していたヘリコプターが墜落した。これにより12人の兵士が死亡したことが明らかになった。
トルコ国軍は、アフガニスタンでのヘリコプター墜落により12人のトルコ軍人が死亡したと発表した。シコルスキー型のヘリコプターで、9人の士官、2名の下士官、1人の専任軍曹が死亡したことが明らかになった。
会見では以下のことが述べられた:
「NATOがアフガニスタンで展開している国際治安支援部隊(ISAF)の中でトルコが指揮しているカブール地方の司令部の下で任務に就いていたシコルスキー型のヘリコプターが、2012年3月16日現地時間10時25分に事故を起こした。ヘリコプターに乗っていた12人の軍人が死亡した。事故の原因は調査後に明らかになるだろう。死亡者に神がご慈悲を賜りますように。そして親愛なる同僚と死者のご家族にお悔やみを申し上げる」。
また、アフガン人の警察関係者はロイター紙に対して、「ヘリコプターは技術上の問題でカブールのバグラミ地区のある家に墜落した。そして警察はトルコ国民12人の遺体を確認した」と話した。この事故によって、家にいた6人も死亡した。
■ダヴトオール:技術上のミスという印象を受ける
アフメト・ダヴトオール外務大臣は、アフガニスタンでのトルコのヘリコプターの墜落事故に関して「事故の過程と墜落した場所はこのような印象(技術上のミス)を与える」と話した。
ダヴトオール外相は、改革検証グループ(RİG)の第25回会議の終了後にアフガニスタンでのトルコのヘリコプター墜落に関する記者らの質問に答えた。 同外相はシコルスキー社のヘリコプターが今朝アフガニスタンで現地時間10時25分に墜落した事故について、多くの人を悲しませた絶望的な事故であると述べた。 参謀指令本部が関係する会見を行ったとし、次のように述べた:
「朝、私はすぐに大使館及び現地司令部と連絡を取った。参謀総長とも連絡をとった。事態を把握した。残念ながら12人の軍人が亡くなった。彼らに神がご慈悲を賜りますように。我々の悲しみは大きい。すべてのトルコ国軍の軍人らにお悔やみを申し上げる」。
ダヴトオール外相は、事故の原因に関する調査が続いており、軍人個人に関する詳細な情報は参謀司令本部によって発表されると話した。 外相は、ある新聞記者の「技術的なミスなのか?」という質問に関しては次のように答えた:
「そのように考えられる。事故は急いで着陸したために起こった。しかし、もちろん最終的な調査は行われる。最初の印象としてはこのようなものである。落ちた場所はある家の上であった。これを回避するためにもヘリコプターのパイロットは力を尽くしたにちがいない。事故の発生過程や落ちた場所はこのような印 象を与える。カブールの安全はトルコ国軍が担っており、我々の権限下にあった。彼らの最終的な判断とレポートを得るだろう。大変痛ましい事故だ」。
■エルドアン首相:事故の原因はいまだ明らかではない
事故に関して記者らの質問に答えたレジェプ・タイイプ・エルドアン首相は「
現在のところ、原因は明らかになってない、なぜ墜落したのか分かっていない。また、この墜落によって士官、下士官、専任軍曹、上等兵をはじめとした 12人が亡くなった。彼らに神がご慈悲を賜りますように。そしてご家族にお悔やみを申し上げる」と述べた。また、エルドアン首相は、ヘリコプターが墜落し た家に5〜6人の市民がいたという情報が入っていると話した。
■トルコ国軍の犠牲者は15人になった
トルコ国軍は、アフガニスタンで10年を超える期間、任務に携わっており、今日まで僅かに三名の死者を出していた。最初の死者は2009年6月14日にでた。カブールで任務に就いていたトルコ人のうち士官1人と専任軍曹1人が交通事故で亡くなった。国際治安支援部隊で任務に就いていたトルコ国軍の指揮官であるファルク・スングル大佐とメイルト・バイドゥル専任軍曹はアフガニスタンの選挙において警備のためにメイメネ市からマザーリ・シャリーフへ移動する途中で同僚とともに遭った交通事故で亡くなっ た。
国際治安支援部隊のカブール地方司令部で任務に就いていたトルコのヘリコプターは、2007年の7月17日に技術上のミスでヴァルダク州の中心地で危険な着陸をした。当初の情報ではトルコ人が死亡したとされたが、事故でトルコ軍人2人を含む4人が負傷した。トルコ国軍がアフガニスタンで初めてタリバンの攻撃を受けたのは、2007年7月18日のことだった。集中攻撃を受けた部隊の車両の一部は蜂の巣のようになった。この事件によってトルコ人の警備員1人と民間人1人が負傷した。さらにトルコ国軍ではアフガニスタンで健康上の問題で2001年の4月25日に死者を出した。NATOにおいて任務に就いていたオズギュル・サミ・セヴィンチ操縦士(34)は、アフガニスタンでスポーツ中に心臓発作を起こして亡くなった。
9.11以降、アフガニスタンでタリバン政権を倒し、テロ組織アルカイダと戦うために、NATOはこの国で組織した国際治安支援部隊の司令部と作戦を開始 した。トルコは当初から国際治安支援部隊に参加していた。安全保障において、アフガニスタンの暫定政府を支援するために2001年12月5日のボン合意と国連安全保障会議の2001年12月20日の決定により、国際治安支援部隊が組織された。国際治安支援部隊の最初の指揮は2002年1月16日にイ ギリスが担った。トルコは当初から国際治安支援部隊の活動を積極的に支援していた。トルコ国軍は2002年6月から2003年2月まで1300人の兵士を投入して 国際治安支援部隊の第2期の司令部を引き継いだ。
■30ヶ国の指揮をした
トルコは国際治安支援部隊の第7期において第三軍団の司令部をつとめ、2005年2月から12月まで、30カ国からなり、そのうち1450人がトルコ人 の兵士が占める軍団を指揮をした。トルコは同時期にNATOの指示の下でカブール国際空港の運営にも携わった。トルコ国軍がアフガニスタンで行ったたくさんの業務のうちのひとつが、アフガニスタン国家安全保障部隊が自国の安全を自力で守ることができるようにするための教育である。この目的のためにトルコ国軍によってカブールに開かれたガーズィー兵士教育センターでアフガニスタンの下士官がトルコ兵士による基礎教育を受けている。国際治安支援部隊の中で今日までに1万 2000人以上のアフガン人に対してアフガニスタンで働くトルコ人兵士は現地で教育をしてきた。アフガニスタン軍学校の支援をしたのもトルコであ る。アフガン人兵士を育てるためトルコ国軍の235人の兵士が働いている。
トルコのトルコ協力開発機構(TİKA)によるアフガニスタンに対するプロジェクトでは3億700万ドル、ヴァルダク地域復興チームによるプロジェクトでは3700万ドル、トルコ国軍による援助では7500万ドルといった合計4億1900万ドルの援助が行われた。また、ジューズジャーン地域復興チームにより24.8ドル分の54の活動と計画が立てられ、このうち21が完了した。
NATOにおける国際治安支援部隊の活動の範囲は当初はアフガニスタンの首都カブールとその周辺だけであった。国連安全保障会議の2003年10月18日 の第1510の決定によりアフガニスタン全土に広げられた。現在、アフガニスタン全土で国際治安支援部隊の指揮下で6つの地域司令部が置かれている。国際治安支援部隊では50カ国の約13万5000人の兵士が任務についている。
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( 翻訳者:小松裕美子 )
( 記事ID:25818 )