第四軍団とアンカラ駐屯地司令官陸軍大将イフサン・ウヤル氏はアフガニスタンの首都カーブルへ赴き、殉職した軍人たちをトルコ空軍のC-130型航空機で祖国へ連れ戻した。
カーブルから葬送された殉職者について、まず明日アンカラのママクにある平和(維持)部隊で葬儀が行われる。5人の殉職者はアンカラで埋葬される。その他の殉職者は埋葬のためそれぞれの故郷に送られる。
アフガニスタンで活動しているNATOの国際治安部隊の枠組みにおいてトルコが管轄するカーブル地区司令本部指揮下にあるスィコルスキー型ヘリコプターの墜落により殉職した12人のトルコ兵の遺体は昨日アンカラへ運ばれた。殉職者のため昨日カーブルにあるトルコ司令本部で軍が葬儀の準備を整えた。
■12人の英雄
事故の報告後殉職者の遺体を引き取るためカーブルへ赴いた第四軍団とアンカラ駐屯地司令官陸軍大将のイフサン・ウヤル氏、アフガニスタンに駐留する他国軍の司令官、NATO、アフガニスタン政府関係者が葬儀に参加した。トルコの国旗に包まれた殉職者の棺は、後にトルコ空軍のC-130 型輸送航空機で運ばれた。殉職者の遺体を運ぶ航空機は、カーブル飛行場軍用部分にて葬送式とともに見送られた。
殉職者たちをトルコへ運んだ軍航空機TSIは13時29分に離陸した。参謀本部は、軍貨物飛行機がカーブルを離陸してから32分後、14時1分に殉職者の名前をアナトリア通信を介してすべて公表した。ネジデト・オゼル参謀本部長陸軍大将は、3月18日の(チャナッカレの戦闘での)戦没者の日に関わるメッセージの中で、コンヤでの航空機の墜落後殉職した(アクロバットチームの)トゥルク・ユルドゥズの操縦士であったウミト・オゼン大尉、アフガニスタンの殉職者、このいずれについても言及した。オゼル陸軍大将はメッセージにおいて次のように述べた。「少し前に起きた悲痛な飛行機、ヘリコプター事故により神聖な任務を遂行している際に殉職したトゥルク・ユルドゥズの操縦士 とカーブル地区司令本部に勤務した12人の英雄に、私個人とトルコ軍を代表してアッラーのお恵みと、遺族と近親者に謹んでお悔やみ申し上げます。」
■2つの式
殉職者のため、明日まずアンカラのママクにある平和部隊で合同式典が催される。この式へアブドゥッラー・ギュル大統領、タイイプ・エルドアン首相、陸軍大将ネジデト・オゼル参謀総長、他軍司令官と大臣、他の政府の上層部が参加する予定である。この式の後7人の殉職者の遺体は埋葬のため故郷に送られる。ミトハト・チョラク少佐、イルケル・アイドゥン大尉、アディル・エルドアン大尉、タフスィン・バルトゥチュ中尉、サリフ・ヘルヴァジュ曹長の残り五名は、アンカラのコジャテぺモスクで行われる軍の式典と遺体への祈祷が行われた後、アンカラのジェベジ軍共同墓地へ埋葬される。
■辛い旅
その他の殉職者の名と埋葬が行われる場所は、以下のようである。セルカン・ドアン・ヤクンラル少佐はテキルダー・ムラトゥル家族共同墓地、イスマイル・ジェ ム少佐はコンヤ・アクシェヒル駐屯地共同墓地、シュクリュ・バダトゥル中尉はオルドゥ/ボラマン地区家族共同墓地、メフメト・アクバシュ曹長はウスパルタ駐屯地共同墓地、オナ イ・ヴルジュ専任軍曹はエルズルム共同墓地、ムラト・ユルドゥズ中尉はイズミルのカディフェカレへ埋葬される。
セルカン・ドアン(人事少佐)、ミトハト・チョラク(工学技術少佐)、シュクリュ・バダトゥル(人事少佐)、イスマイル・ジェム・ヤクンラル(工兵少 佐)、アディル・エルドアン(陸軍パイロット大尉)、イルケル・アイドゥン(補給部隊大尉)、ムラト・ユルドゥズ(補給部隊中尉)、タフスィン・バルトゥチュ(陸軍パイロット中尉)、オカン・メリコル(補給部隊中尉)、サリフ・ヘルヴァジュ(衛生部隊上級曹長)、メフメト・アクバシュ(技術部隊上級軍曹)、オナイ・ヴルジュ (歩兵部隊専任軍曹)
■私は殉職しなかったが、息子はその運命にあった
殉職者のうちムラト・ユルドゥズ中尉の家族の暮らすイズミルのガズィエミル郡にある父親の家では追悼の哀歌の声が高まった。お悔みを受け入れ、息子が殉職し涙に暮れる元空軍下士官であるトゥルグト・ユルドゥズ氏は「祖国のためです。ムラトは祖国のためにアフガニスタンへ行き、殉職しました。私は25年軍で働きましたが、殉職しなかった。しかし息子はその運命にあったのだ。アッラーよお力を下さい。20日前休暇を取って戻ってきました。最後の事件の前日電話で話しました。ここへ来たことも、電話したことも、まるで殉職するを感じていたのでしょうか。息子は私たちに(この世を去る)許しを乞うのです。悲しいです。全てアッラーの思し召しです。受け入れざるを得ません。息子は生まれたときから犠牲の羊のように運命が決まっていたのです。頭に定めが記されていたのです。なんて幸せなんでしょう、殉職者の父にしたのですから」と述べた。
2人の子供たちのうち年長である方を殉職により失った母オズギュル・ユルドゥズ氏は、妻のアイシェギュル・ユルドゥズ氏に抱きつき悲しみを口にした。オズギュル・ユルドゥズ氏は、 「20日前に家にきた際に『妻を任せた』と言った」と涙をこぼした。殉職したムラト・ユルドゥズ中尉と結婚して4年であるアイシェギュル・ユルドゥズさんも長い間涙が止まらなかった。哀悼に来たユルドゥズ中尉の班の司令官であるムスタファ・ストゥク・タタル少佐も悲しみの感情を隠すことができなかった。タタル少佐は、「私は以前に班の司令官でした。彼は祖国と国民のために見返りを求めることもなく殉職しました。ムラト氏は全兵士が祈願する場所に赴きました。祖国のためです。トルコは将来有望な士官を失いました。殉職とは、家族にとって悲しみではなく慰めなのです」とした。
■11ヶ月の息子はもう父親に会うことができない
殉職した工兵のイスマイル・ジェム・ヤクンラル少佐の妻で教師であるウムム・ヤクンラルさんは、任地のエルズルムから夫の故郷であるコンヤのアクシェヒル郡に来た。傍に10歳の娘チャラ・ヌルと11ヶ月の息子アリ・エミルも連れてきたウムム・ヤクンラルさんはこのように述べた。「夫と一日前トルコ時間で17時頃に話しました。『通常なら出動する必要はない。しかし大変遠くの部隊へ、私でさえ知らない部隊のところへ行くんだ。装甲車で。明日も出かける』と言っいました。私も『行かないことはできないのか』と言ったんです。すると、彼は『そういう命令なんだ』と言いました。私は、現時点で安全上の問題があるにもかかわらず、出動したことに納得できません。なぜ出動したのか。もともと彼らは訓練の目的でアフガンへ行ったはずです。操縦士たちの目をくらますために下から光を照らすと聞いています。なぜヘリコプターはあれほどの低いところを飛んだのか。トルコにだって10階だてのビルはありますが、ぶつかったりはしません。11ヶ月の子供もいます。まだ父親にあったこともありません。出動を命じた者は、この子の気持ちをどうしてくれるのでしょう。「私たちも多いに悲しんでいます」では済まないでしょう。ほら、10歳の娘もいます。私はエルズルムであの雪の下で教師を続けようと努力しています。夫は私の傍に居ない。今もう何もありません。誰が私の傍に居るの。どこに、誰もいない。」
■父親は誕生日に埋葬される
殉職したオナイ・ヴルジュ専任軍曹の遺体は、1歳になる娘アズラちゃんの誕生日の日に埋葬される。エルズルムの中心ヤクティイェ郡に属するシュクリュパシャ地 区に住む遺族に、サバフティン・オズテュルク知事、第4装甲旅団司令官アスム・コジャオール、タヴラシュオール知事代理が訪問した。オズテュルク知事は、35歳で、既婚で6歳のエミルハン、1歳のアズラという名の2人の子供の父親である故ヴルジュ氏の家族へ哀悼を述べ、「なんと申してよいか」と言っ て、悲しみを口にした。義兄ムラト・ビンギョル氏は、故人の遺体は3月19日(明日)に埋葬されるとして、「姪のアズラは3月19日に1歳になります。そ の日オナイの遺体が埋葬されます。これは大変つらい偶然だ」とした。
■感謝する
アフガニスタン大統領ハミド・カルザイは、アブドゥッラー・ギュル大統領に電話をかけお悔やみを述べ、「トルコ人軍人が今日までアフガニスタンのために行っ た献身に感謝する」という発言をおこなったことが明らかにされた。アフガニスタン外務大臣ザルメイ・ラスールもアフメト・ダヴトオール外務大臣に連絡しお悔やみを伝えた。
■村落警戒任務についての議論
パリを本部とする通信社AFPは、ヘリコプター事故では二つともアフガニスタン市民の命が失われたことに注目し、「市民の死亡はアフガニスタン指導者ハミド・カルザイ氏に、別の悲しみを与えているようにみえる。カルザイ大統領は、アメリカ軍兵士が16人の市民を殺害したのち、昨木曜日に国連軍が村を警戒する任務をやめるよう呼びかけた」とした。トルコ軍がアフガニスタンで戦闘任務には参加していないが、警戒業務にあたっている。警戒任務では、他のNATO軍の出動とは逆に民衆から反発を受けない。
■同僚たちの祈り
12人の殉職者のため昨日カーブル地区司令本部で葬式が催された。式にはNATOの国際治安支援部隊で任務を就くカーブル地区司令本部で勤務するトルコ兵とNATO司令本部で任務を行う一部兵士が参加した。トルコ国旗に包まれた12人の殉職者の棺桶の前で哀悼の空砲が放たれ、コーランが詠み上げられた。トルコとアゼルバイジャンの兵士はともに殉職者に祈った。
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( 翻訳者:児仁井ひかる )
( 記事ID:25827 )