CHPクルチダルオールの出身部族、国家に謝罪と土地の返還を要求
2012年03月18日付 Milliyet 紙

クレイシャン部族であるフェヴズィイェ・ソイレメズさんとヒュセイン・アクギュンさんがトルコ大国民議会(TBMM)に対して行なった 「デルスィム事件」に関する請願では、家族がどのように処刑されたかが語られるとともに、書面による謝罪と差し押さえられた土地の返還が求められた。

共和人民党(CHP)のケマル・クルチダルオール党首の出身部族であるクレイシャン部族と出身を同じくするフェヴズィイェ・ソイレメズさんとヒュセイン・アクギュンさんの二人は、TBMMに対して「デルスィム事件」に関する請願を行なった。ソイレメズさんとアクギュンさんは、書面による謝罪と押収された土地の返還、そしてトゥンジェリ県へのデルスィム博物館建設を求めた。

TBMM請願処理委員会の中に設置されたデルスィム小委員会に対する請願が1000を超えて増加する中、クルチダルオール党首の家族もその一員であるクレイシャン部族出身の2名も、国会に請願書を提出した人々の中に含まれていることがわかった。クレイシャン部族出身であるフェヴズィイェ・ソイレメズという市民は、提出した請願書においてデルスィム県のナズィミイェ郡に暮らす父方の祖父のケコ・バリ(ケコ・ブルトゥ)さんと祖母のハジェル・ブルトゥさん、そしてその他の親戚らが経験した生存の戦いを語った。

■同じような痛みと同じような死

ソイレメズさんは、死刑執行の命令が下されたために、祖父と親戚らが山奥にて何ヶ月もの間飢えに苦しんだことや、それに耐えられず命を失った幼い叔母たちが木の葉に包まれて埋葬されたことを語った。また処刑命令が解除された後にマニサに追放された親戚らが中毒により数ヶ月間で一人ずつ亡くなっていったとも述べた。祖母のハジェル・ブルトゥさんが、亡くなった子どもたち全員の髪を一房ずつ切り取り隠し持っていたとし、遺言に基づき祖母の死後それらの髪を埋葬布に包み、祖母の棺桶に入れたと話した。ソイレメズさんは、母方の親戚らも同じような痛みと死を経験したと述べた。

ソイレメズさんは請願書の中で、これらの傷が癒され、歴史の事実と向き合うよう国会に以下の要求を行なった。

・家族が被った虐殺や追放、そして受けた苦痛を理由とした、請願者たる私と家族に国からの「書面による謝罪」に関する文書が渡されること。

・(今回)明らかとなった被害が除かれるために、法的な取り組みが開始されることと、デルスィムという名称がわれわれの町に返還されること。

・デルスィム虐殺及び追放事件に関するすべての公文書が公表されること。

・公文書開示の作業が、第三者のオブザーバーによる委員会とともに実行されること。

・デルスィム(トゥンジェリ)県の中心地に、虐殺の犠牲者を追悼する博物館が建設されること。

・デルスィムの悲劇を語る映画やドキュメンタリー、学術的研究に国家予算から資金が提供されること。

・国会内に1937年から1938年にかけて行なわれたデルスィム虐殺及び追放事件に関して、早急に調査・真相解明委員会が設立されること。

ヒュセイン・アクギュンという市民は請願書において、第一次世界大戦にてロシアと戦い、勲章を受けたナズィミイェ郡チャムレク村で暮らした祖父のゼイネル・チャヴシュ(ゼイネル・アクギュン)さんが、1938年に反逆罪に問われその他13名とともに銃殺されたとした。また、祖父が同時に月番の村長且つ県の恒常委員会の一員であったことを強調し、祖父ゼイネル・チャヴシュさんの家族内で生き残った者たちがキュタフヤ県に追放されたと述べた。アクギュンさんは、勇士としての勲章をもちながら反逆罪を宣告されて虐殺された祖父ゼイネル・チャヴシュさんの名誉が回復されることと、書面による謝 罪を要求した。

■4万2千平方メートルの土地

アクギュンさんは、1947年に免赦された後にデルスィムに帰還したところ、土地が押収されていたとし、4万2千274平方メートルの所有地が自身に返還されることも重ねて要求した。アクギュンさんは、請願書の中に、居住権と土地の所有に関する県庁の文書や、ナズィミイェ土地・居住局による 1952年の決定、そしてナズィミイェ郡軍警察司令部による1955年の文書をも添え付け、さらに以下のように話した。「4万2千274平 方メートルに及ぶわれわれの土地が返還されることを要求するが、万が一デルスィム県内のわれわれの土地が返還されない場合は、西側の各県の中で同じ面積をもつ土地がわれわれの家族に付与され、地券が与えられることを要求する。」

■子どもを3人と言う人々

クルチダルオール党首はソーシャル上の共有サイトであるツイッターにて、子どもたちの世話が出来なかったために自殺したエミネ・アクチャイのことに触れ、「人々に子どもを3人作りなさいと言う人たちは、生き残ったこの2人の子どもに母親の自殺をどう打ち明けるだろうか?この貧困の責任は公正発展党 (AKP)にある」と述べた。

■ノーベル賞を受賞したカルマン氏によるCHPへの訪問

アンカラを訪れているイエメンのカルマン氏は、日程の最後として一昨日CHP党本部に訪問を行なった。クルチダルオール党首やペリハン・サル副党首、そしてギュルスン・ビルゲハンアンカラ県出国会議員にて構成された委員会と非公開で行なわれた会談にて、カルマン氏が「あなた方を鑑としている。願わくば、いつの日かイエメンの女性たちもあなた方のようになってほしい」と語ったことが伝えられた。この会談では、イスメト・イノニュがオスマン時代にイエメンの反乱を鎮圧するためにその地域に赴き、イマーム・ヤフヤと協定を結んだことが議題となった一方で、(イスメト・イノニュが)イエメンの砂漠で(イエメンの)伝統的な音楽と触れ合ったという情報もカルマン氏に伝えられたことがわかった。

(註)トゥンジェリは現在の地名であり、請願者は旧名デルスィムに戻すよう求めている。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:25839 )