105歳の母、息子の死の真相究明を訴える―80年クーデター裁判
2012年04月04日付 Radikal 紙


ケナン・エヴレン氏とタフシン・シャーヒンカヤ氏は体調不良のため裁判所に出向かなかった。しかし105歳のベルフォ・アナ(ベルフォ母さん)は救急車でアンカラへやって来た。

以下、ビアネットの報道による。80年クーデター裁判の容疑者の2人、元参謀総長で第7代大統領ケナン・エヴレン氏と退役軍人で当時空軍司令官だったタフシン・シャーヒンカヤ元空軍大将が高齢による体調不良を理由に本日4月4日、被告人席に着かなかった中、105歳のベルフォ・アナはカルスからアンカラへ来た。80年クーデターで逮捕され拘束時に死亡したジェミル・クルバユルさんの母親であるベルフォさんは、第12番重罪裁判所まで救急車で駆け付け、一日のほとんどを救急車の中で過ごしながらも、80年クーデター裁判の真相究明を訴えた。

ジェミル・クルバユルさんは1980年9月13日にカルス県ギョレの自宅で逮捕された。10月8日に拷問により死亡、遺体は紛失された。今日までのあらゆる試みにも関わらずクルバユルさん殺害に関し、司法にかけられた者も、罰せられた者もいない。お墓も建てられていない。ジェミルさんの兄、ミカイル・クルバユルさんは弟の最期を調べたために脅迫され、当局の圧力を受けた。勤務地を変えられ、こうして事件から遠ざけられ、居住地も強制されることになった。トルコ大国民議会(TBMM)人権委員会は、ジェミル・クルバユルさんに関する調査で「逮捕され拷問を受け、拷問の結果死亡した。遺体は取調べを行った者が隠した」と述べた。

委員会の調査で、これほどの年月の間、この件についての捜査がなされていなかったことが明らかになった。委員会は、当局がジェミル・クルバユルさんが「逃亡した」としたため調査が行われなかったことを突き止めた。TBMM人権委員会は、エルドアン首相と「土曜日の母たち」との会議で、ジェミルさんの母親、ベルフォ・アナの要請により組織されたものである。委員会は2011年5月に報告書を公表した。報告書によると、ジェミル・クルバユルさんは、クーデターの翌日、自宅から連れ去られ、まず第247歩兵団に、一週間後にカルス軍事拘置所に送られた。1980年10月に拷問により死亡。ベルフォ・アナは、30年前に逮捕され亡くなった息子のため、欧州人権裁判所(AIHM)に提訴した。

2011年2月5日、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相の招待客として、ドルマバフチェ宮殿の事務室を訪れた「土曜日の母たち」の間の中に彼女もいた。「31年間、家の鍵はかけていません。もしかしたらある日帰ってくるかもしれない、その時ドアに鍵がかかっていないようにと、開けたままでいるのです。息子の骨一本だけでも構いません。首相、息子の墓をつくらせてほしい」と言った。エルドアン首相はベルフォ・アナに、息子のジェミル・クルバユルさんに何があったのか調べることを約束した。

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( 翻訳者:大嶽真梨子 )
( 記事ID:25984 )