Sami Kohenコラム:トルコ・中国関係におけるウイグル要素
2012年04月10日付 Milliyet 紙
レジェプ・タイイプ・エルドアン首相が、三日間の中国訪問を新疆ウイグル自治区から開始したことは、ウイグル自治区が中継地に位置しているためだけでなく、政治的で感情的な意味を帯びている。
トルコの首相がウイグル・トルコ人(訳注:トルコではウイグル人がトルコ系であることからウイグル・トルコ人と呼称することが多い)の故郷を訪問するのはこれが初めてだ。ウイグル自治区の首府ウルムチで市民が示した友好的な関心と愛情は、お互いに対する親近感の現れである。
この親近感は、遠い昔に遡る歴史と文化的な繋がりから来るものだ。地理的な隔たりや異なる政治状況も、この感情を弱めることはなかった。
近年新疆で起きたウイグル人と漢族(訳注:原文では「中国のフン族」)の衝突や北京の中国政府による圧政は、トルコと中国政府の間に不調和と緊張を生んだ。現在こうした危機は遠のき、両国ともウイグル地域を「友情と協力の架け橋」とみなしている。
ウイグル自治区はもはや昔のようにトルコ人が立ち入ることのできない閉鎖的な土地ではない。むしろ反対に現在はトルコとの間に新たな交通網が築かれ、実業家や旅行者の訪問が奨励されている。
トルコにとってもこの地域は将来の投資先であり、経済協力や技術協力が可能な場所である。政治的観点からも、トルコ政府は「ウイグル問題」について以前とは異なる見方をし、中国政府との対立に繋がるような言動を控えている。
■当時、首相は厳しく非難
エルドアン首相は、2009年7月ウイグル人と中国人の間で発生し、ウイグル人数百人の死者を出した事件を当時とても厳しく批判した。また、首相は(ウイグル人に対する)襲撃を「虐殺も同然」と非難、その責任は中国政府にあるとして「良心を痛める野蛮行為」を直ちにやめるよう求めた…。
この発言は中国側から内政干渉、扇動と見なされた。さらにこの時、ウルムチでデモ活動をしたウイグル民主主義者たちの指導者的存在で亡命中のラビア・カーディル氏がトルコに招かれ、中国政府の怒りを買った。また、トルコの一部NGOが中国製品に対するボイコットを呼びかけ、これも関係を悪化させた…。
幸いにも、トルコは外交によってこの危機を収めることができた。今回トルコ政府は中国の国土の一体性を尊重する(つまり分離活動に反対する)姿勢を強調する必要性を感じた。ラビア・カーディル氏の招待やボイコットは実現しなかった。この間に新疆での衝突も終息し、事態は沈静化した…。
新疆は、チベットと同様に中国の「アキレス腱」といえる。面積160万㎢の新疆ウイグル自治区に住む住民のうち830万人はウイグル・トルコ人、740万人は漢族である。その他は、カザフ人やキリギス人をはじめとし、モンゴル人、ロシア人にいたる20近くの様々な民族集団と宗教集団で構成されている…。
中国政府は長年この地域を「中国化」(また共産主義化)しようとしてきた。それにもかかわらず、ウイグル・トルコ人たちは同化されず、その多くが自らのアイデンティティと文化を守った。
中国政府はこの地域に広範な自治を認めた。ここ数年、宗教や文化に対するウイグル人の要求に対して、以前と比べてより寛大に振舞った。しかしそれでも差別的で抑圧的な政策は続いた…。
■変化する態度
2009年7月の事件はトルコにとっても大きな経験となり、トルコ政府は最初は批判的な態度をとったが、この問題に関し「調節」する選択をした。これはウイグル人活動家たちにとって「後退」を意味したが、トルコ政府は中国との間の戦略的また経済的利益を尊重し、より実利的に行動することを選んだ…。したがって現在は変化する情勢の中で、ウイグル人はトルコ政府と中国政府を引き裂くのではなく、接近させる要素と見なされている。
この背景には両国の利益が存在する。
首相が大規模な訪問団を引き連れ中国を訪れる真の戦略的、社会的重要性については明日取り上げよう。
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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:26021 )