ノアの方舟はジュディ山に?
2012年04月22日付 Milliyet 紙

シュルナク大学神学部ビュンヤミン・アチュカルン准教授は、様々な注釈書のなかで預言者ノアの箱舟が漂着した場所としてまずジュディ山が記されていると述べた。

預言者ノアの箱舟が大洪水の後、ジュディ山に漂着したのかあるいはアララト山に漂着したのか、調査が続く中、アチュカルン教授は、『注釈書における預言者ノアの物語』という調査書において、ジュディ山の地理学的構造が船の漂着に適していること、聖典コーランで述べられている場所もジュディ山である可能性が高いということに言及している。

アチュカルンは、ノアの洪水についての研究に関して行った会見で、初期の注釈書と現代の注釈書を分析したことを述べ、両方ともに船が陸に漂着した場所がジュディ山であることを示していると述べている。聖典コーランの一節に「船が漂着した」という表現があり、この一節について注釈書の多くにイブニ・オメル・ジズレスィと呼ばれる地域にあるジュディ山が示されていると述べたアチュカルンは、次のように続けた。「聖典コーランにおいて船が漂着した場所ジュディは、旧約聖書においてはアララト山として書かれている。現代においても、アララト山はアール山として知られている。しかし、古い時代の地名(のつけ方)は、現代のものとは異なっている可能性がある。注釈書の一つにおいて「アララト」と呼ばれた場所は、昔からシュルナクとその周辺を含んでいた大きなウラルトゥ文明の範囲に含まれていた。旧約聖書の「アララト山に漂着した」という表現は、このためジュディ山を含む地域である可能性がある。
宗務庁によって発行された大著『コーランの道』という注釈書においても、船が漂着した場所としてジュディ山が示されており、「シュルナクのジズレ郡から17キロのところにあるジュディ山である」という表現がある。さらに、宗務庁によって発行されたイスラム百科事典においても、箱舟がジュディ山に漂着したことに関する記述がある。箱舟については、とても古い時代であったため、誰一人として、この問題について「これはこうである。」ということはできない。しかし、注釈書がこうした不備を補っている。注釈書によると、ノアの箱舟が漂着した場所として、まずジュディ山が示されている。科学的真実が変わらないように、注釈書においてもまずジュディ山が示されているという真実も誰一人変えることはできない。証拠ともいうべきものーアチュカルンは、注釈書には最も確実な見解がまず示されており、次に最初の見解に次いで確実な見解に「聞くところによると次のような意見もある」、「以下のようなことも述べられうる」というような表現が用いられているとし、注釈書で最初にジュディ山に言及しており、二つ目、三つ目の意見には他の選択肢についても言及できうるとしている。
しかし、聖典コーランにおいて証拠と呼べるものがあると指摘するアチュカルンは、「例えば預言者ノアは、船が陸に漂着する前の祈りにおいて『神よ、私を肥沃な大地に降ろしてください』と述べた。神も預言者ノアの祈りを受け入れて船を肥沃な大地に漂着させたと思われる。ジュディ山が、農業と牧畜に適していることは、『肥沃な大地に降ろしてください』という言葉と一致している。「ジュディ」という単語の意味を調べてみると、肥沃という意味がある。注釈書での説明によると、預言者ノアと80人が船で救われた。このため、ジュディ山にあるヘシュタン(訳者註:Heştはペルシャ語で8を意味する。ちなみに80はheştad)村も注釈書の記載と一致する」と話した。

■コーランと旧約聖書の記載

アチュカルンは、コーランと旧約聖書において、船が漂着した場所の名前が異なっているため問題となっているが、目的は聖典コーランにある記載を伝えることであると強調し次のように述べた。
「現代の注釈書の中でスレイマン・アテシュも、聖典コーランはメディナにムハンマドがいた時代に啓示されたこと、その時代にもメディナにいたユダヤ教徒の手には旧約聖書があったことを指摘して、『もし旧約聖書においてアララトと書かれていたら、ユダヤ教徒は、ムハンマドに異議を唱えるだろう。(あなた達のコーランは、正しいことを言っていない。私達の手にある旧約聖書の記載では、預言者ノアの船はアララトに漂着したと書かれている)と言っただろう』と考えを明らかにした。この点から見ると、聖典コーランと旧約聖書はそれぞれ一致していたとも言える。船の漂着した場所が訪問者に開かれているのは神の命令である」
アチュカルンは、注釈書で預言者ノアが洪水の前と後の生活に関しても記載があること、聖典コーランの一節で「我々は(訳者註:アッラーはコーラン中では一人称複数で表現されることもある)、ノアの箱舟を後世のために証拠として残した」という形の表現があると述べた。この一節について注釈書には、何人かのムハンマドの教友たちが、「私達は行ってきた。その船の遺物をみた」という表現があると説明したアチュカルンは、次のように話した。「船が漂着した場所が訪問者に対して開かれていることは神の命令である。その船の遺物があれば公開されるべきであり、後世の人々が神の警告を受け取り、偉大さを理解するため、その場所が訪問者に対して開かれるべきであるとする注釈もある。神は、『我々は、預言者ノアの箱舟の遺物を後世の人々のために、われの存在を示す一つの証拠として残した』と述べている。この表現により、神がその場所の訪問を薦めているのだ。この薦めは、間接的とはいえ、もともと神の一つの命令である」と述べた。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:26155 )