ドアーグー師「表現の自由の敵は利己的で病んでいる」
2012年05月02日付 Mardomsalari 紙
ホッジャトルエスラーム・ヴァルモスレミーン〔※シーア派の宗教指導者の位階の一つ〕でシェミーラーン〔※テヘラン北部の一地区〕金曜礼拝導師のドアーグー師は、〔思想の〕硬直化と専制政治に対する殉教者モタッハリー〔※〕の考え方について、次のように述べた。
※訳注:モルタザー・モタッハリー(1920~1979)はイランの宗教指導者。マシュハドとゴムでイスラーム法学を学んだ後、テヘラン大学神学部で教鞭をとる。革命思想のイデオローグとして、多くの著作を残した。彼の暗殺されたオルディーベヘシュト月12日(=西暦5月1日もしくは2日)は、イランでは「教師の日」となっている。
師はイスラームの教えをもとに、抑圧的な大国や圧制、真理への敵意に対して、厳しく妥協を許さぬ姿勢を取り、啓蒙活動に全存在をかけて奮闘した。宗教的・民族的資源を死守し、国民文化を宗教的なメッセージの下で解釈し、改革した。また、宗教文化をしかるべき論理的な方法で防衛した。宗教と国民性の調和を、宗教を基本に据えることで明確化し、信仰と思想に変えた〔…〕(『イランとイスラームの相互貢献』より)。〔思考の〕硬直化した人々や迷信家、外国かぶれたちに全力で立ち向かった(『ホセイン伝説(三巻本)』より)。社会が必要とするイスラーム法上の問題の所在を明確化するために、イスラーム法上の専門的で複雑な問題を、イスラーム法の基礎や法規定について簡単にだけ知っている人たちにも分かりやすい言葉で明示してみせた(『へジャーブ問題』、『イスラーム経済システム論』より)。
ニュースサイト「エンテハーブ」によると、同師は表現の自由に対するモッタハリー師の見解について、次のように説明した。
師は民衆を信頼していた。民衆の文化的・政治的・経済的な諸権利を公に認めていた。このため、その尊い生涯の大半を民衆向けの演説や、民衆にとって手に取りやすい著作の執筆・編集に費やした〔…〕。
ドアーグー師は続けて、次のように説明した。
表現の自由は、公衆の頭に知的資本を提供する機会を作り出す。表現の自由に抵抗する者たちは、民衆が精神的な資本を享受する権利を、望むと望まざるとにかかわらず、無視しているであり、彼らは利己主義者、専制君主、暴君、悪魔崇拝者、真理を忌避する者、病んだ者たちなのである。人類の持つ生来的かつ法的な自由を否定することは、人類の持つ人間性に対する戦い、〔神によって〕人間の本質の中に作られた真実に対する戦いに他ならない。様々な考えを交換し、国民各層が精神的な資本を享受するための機会を提供することは、公衆一般の平穏と社会の安全をもたらし、国民の統一と安全の土台となる。国民の統一と安全が欠落したいかなる社会も、その真の権利を享受することは不可能である。自由の敵は国民の統一と安全の敵であり、公衆一般の利益を個人的な強欲や悪魔的思想の犠牲に供しているのだ。故に、自由な社会は〔…〕外国の敵に全力で立ち向かう社会であり、いかなる犠牲によっても、決して国家と国民の利益を外国人の強欲やペテンに晒すようなことはしないのだ。
〔…〕
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( 翻訳者:8410068 )
( 記事ID:26306 )