ディヤルバクル探訪
2012年05月06日付 Yeni Safak 紙


ディヤルバクルはただの城壁の町ではない。この町には同時に見る価値のある何百年もの歴史を持つ教会、モスク、隊商宿、ハマムもある。私たちは町のツアーに出かけている。一部の官公庁ビルの上にはクルド語の看板がある。クルド問題解決プロセスの過程で行われたものの一つだ。

ディヤルバクル行きの飛行機が着陸態勢に入る。陸の一部が見えるとともに、町に関する糸口も、うまくいく例が次々と現れ始める。飛行機は軍の基地に着陸する。何か問題でもあったのか、なぜ軍の基地に着陸しているのかと言っていると、私のように初めてディヤルバクルに来る人を含め、私たちはディヤルバクルには民間の空港さえないということを知る。飛行機から降りると、周りには監視塔、兵士、陣地、鉄条網。まるでグアンタナモ基地に来たかのように感じる。これはなんという精神的な圧迫だろうか。町に入る第一歩から、恐怖が普通のものとして感じられる。

■ディヤルバクルの略史

ティグリス川に臨むディヤルバクルは、アッシリアからヒッタイト、マケドニアからビザンツ、セルジュークからアッバース朝に至るまで、多くの文明が支配した地であった。町はアラブの攻撃とともに、ベキル・ビン・ワーイルとその一族が定住した後、ディヤルベキルと呼ばれた。ムスタファ・ケマル・アタチテュルク が1937年の演説で、町の名前をディヤルバクルと呼んだのち、同年に閣議決定で、町の名前は公式にディヤルバクルに変更される。クルド語はとても豊かで土地に根付いた言語で、トルコ語とはどの点から見ても関係はない。道は荒れていて、インフラ整備はあまり行われていないようだ。自治体はここで、自治体の仕事以外に多くの政治的活動を行っている。

■過剰な若年人口

どこに行っても、私たちの周りを子供たちが取り囲む。塔、城壁、路地、いたるところが子供と若者でいっぱいだ。しかし、都市計画には子供たち向けの施策はない。この町は子供たちよりも新生児の割合が大きいが、ずっと子供たちのことを考えずにいる。一つも公園を見ないし、可愛い猫や犬の絵、保育園、幼稚園の看板も見ない。とても狭い路地で見た子犬の首にひもを結ぶような努力をして5から10個だ。「お兄さん、車を見張っておこうか?」と言うが、続けて、「お金をくれないと車に落書きするぞ」と言わんばかりの子供たち。コーランの一節を読むために、その場所の歴史を説明するために、手に持っている色のついた液体を飲み物だと言って売るために、靴を磨き、車の窓ガラスを洗い、ポケットティッシュを売るために、つまりお金を稼ぐために働き続ける、労働を始めたばかりの小さな子供たち。

私たちを案内する医者の男性が説明する。「あなたたちが驚いたのは分かっているが、ここでは5人の子持ちは不当な扱いを受ける。そこの古い建物はかつて老人ホーム(やすらぎの家)だった。なにがやすらぎか!15年前、私が学生のころに見た光景は、私に大きな影響を与えた。私がここを通っていると、一台の車が近づいてきた。そして、生活のための荷物で肩にこぶができている、かわいそうな老人を、その息子が車から降ろした。そして、老人ホームの中にさえ送らず に行ってしまった。老人は道にくずれ落ち、そこで泣き始めた。一方で、泣くのを隠すことができず、手で目をこすっていた。その時、私たちはどうなってしまったのかと考えた。父を尊敬するということが基本である、私たちの慣習はいつ崩れてしまったのかと。物質的な貧しさが、私たちをどうやってこのようにしてしまったのかと。

■生きる権利は最も神聖な権利である(すべての人にとって)

南東アナトリアに初めて行った一人として、聞いたことに対して、驚き、苦痛、問いかけ、解決への模索など、何十もの複雑な感情の中で、考えると頭が痛くなる。どういうわけかこれと、他の似た問題が解決されないシステムによって、私たちの素晴らしい頭脳は強要され、私たちは自分たちの努力や、自分たちが作ったものを、自分たちでさえ信じていない。

■私も一人の母親です!

私たちを家に招いてくれた女性の教師に、危険と隣り合わせの生活とはどういうものなのか尋ねた。「私も一人の母親です。子供を学校に送るときに、何か音が聞こえたら手で頭を守り、送迎車からすぐに地面に飛び降りるようにと言って、毎朝注意するつらさを、私は知っています。娘を学校に送るとき、送迎車のガラスに投げられる石や火炎瓶を想像し、子供に二度と会えないのではという思いに毎朝ひどく苛まれながら見送るつらさを、私は知っています。」

■家は玄武岩でできている

夏は非常に暑いディヤルバクルの冬は、かなり寒い。伝統的なディヤルバクルの家は、このような特徴のある気候を考えて造られた。建物には、カラジャ山か ら採掘された玄武岩が使われている。これにより、夏は涼しく、冬は暖かく過ごせる。ディヤルバクルが位置する地域の、歴史上もっとも大きな困難の一つは、暑く乾燥した気候であった。そのため、ある時期、街をより暑くしているという理由で、城壁を崩すことさえ考えられた。この気候は、ディヤルバクルからの移民の原因にもなっている。ディヤルバクルの城壁は、内壁と外壁の二つの部分から成っている。城壁の内側は、ディヤルバクルの旧市街を成している。旧市街で 最も見事な建物の筆頭には、疑いなくウル・モスクが来る。教会として造られた建物は、セルジューク朝の時代にモスクに変えられた。メルイェマナ教会も、見る必要がある歴史的建造物のうちの一つだ。

■ジャヒト・ストゥク・タランジュの家

伝統的なディヤルバクルの建築の最も素晴らしい例の一つは、現代トルコ文学の重要な人物の一人である、ジャヒト・ストゥク・タランジュが住んだ家である。 「35歳」という詩で名声を得た文学者が住んだ家は、博物館として公開されている。博物館には、手記、写真、遺物、彼について書かれた本がある。アブデュルハミト2世に対する秘密組織活動に加わったため投獄され、ディヤルバクルに追放されたズィヤー・ギョカルプが住んだ家も博物館として公開されている。

■東のパリ、ディヤルバクル

町のマルディン門には、歴史あるティグリス橋、別名「10の目の橋」が望める、ガーズィ・キョシュキュがある。ムスタファ・ケマルがこの町に来た時に滞在し、ハタイ問題を議論したこの建物も、博物館になっており、その庭も現在は遊歩道として使われている。東のパリは、一時期に起きたテロ事件のため失った活気を、近年再び取り戻そうとしている。

町では、東部の料理の伝統的な味を楽しむことができる。特にカブルガ・ドルマスとパトゥルジャンル・メフトゥネスィが有名だ。ディヤルバクルはスイカでも有名だ。この町は、とても大きくおいしいスイカで、7月に祭りが行われる。しかし、広場で地味なスイカの像を見ると、私は自問自答を始める。このような歴史ある文明の町が、スイカで前面に出されることは、私からすれば批判に値する。

■四本足のミナレットを歩く

アクコユンル・カスム・ハンによって建設されたシェイフ・ムタッハル・モスクの四本足のミナレットは、四本の円柱の上にまとめて建てられた、面白い建造物だ。ミナレットの円柱の下を7回通った人は、すべての願いがかなうと信じられている。もちろん、私たちはこの種の迷信を信じる人にも、信じさせる人にも、 神との約束を知っているし、畏れているし、神のご加護をと言っている。ウル・モスクの北側にあり、モスクに隣接しているメスウディイェ・マドラサも必ず見なければならない。その模様と碑文で、非常に価値のある芸術作品である、マドラサの中庭にあるミフラーブの両脇に巧みに配置された、回転する石柱は、建物のどこかが壊れたり崩れたりしていないかを確かめるためにおかれた。建物は石のブロックから造られた二階建てで、メスウディイェ・マドラサは、その中で教育が行われた、アナトリアで最初の大学である。

■私たちはシェイフ・サイドが処刑された場所にいる

私たちは旧ディヤルバクル刑務所に向かう。シェイフ・サイドもここに投獄され、処刑された。ここを歩いていると鳥肌が立つ。捨てられ、カビの生えたコンクリートに、まるで囚人の悲鳴が消え、過去が何度も蘇って来るようだ。天井からある所に水滴がしとしとと滴る。広い中庭を歩いていると、そこで死んだ人たちの足音が聞こえる。すべての柱がシェイフ・サイトの絞首台のようだ。彼のように、死への抵抗の信念で、何年も臆せずにいるかのように、しっかり立っている。柵は錆び、雑居房は暗く、恐怖を放っている。天気は快晴だが、ここはいまだに、そしておそらく常に暗闇だ。

刑務所の周囲には、補修工事が進む多くの歴史的建造物がある。後ろで行われている発掘では、また古い居住跡が見つかった。ここではよく知られていることだ。町の歩道さえ整備されていないのに、古い居住跡を修復する努力が行われていることは、悲喜劇的に思える。町は放置され、公共サービスはないと言えるほど少ない。私たちがここに来た初日に降った雨で、地元の人たちが心配そうにしていたので、あることがうまくいかないのだと私たちは分かった。人々は、ここで雨が降ると停電すると言っている。停電すると、かなり長い間電気が来ない。

■城壁に囲まれたこの町の敵は外にいるのか?

ディヤルバクルは城壁で囲まれている。私たちは、城壁に上って街を見る。一方で、ティグリス川が悠々と流れている。ここで行われた発掘で見つかった織物の一部は、5000年間の歴史とともにリテラチュアになった。城壁の下には、これも発掘で見つかった、雨水をためる地下水槽がある。そこは、地元の物を売り、チャイを飲みながら雑談ができるような場所になっている。

何千年もの歴史がある町では、人はその気持ちを持って周りを調べる。いたるところで新しい発掘で見つかる居住跡がある。どんなに小さい作業のために行わる発掘でも、一つの歴史を白日の下にさらす。よくわからないもの、歴史的な作品、遺跡。ディヤルバクルの土地の下にあるすべての秘密を大胆に示しており、 この地には現実離れした魔法があるのだと思う。それは神秘的な土地の下ではなく、地上を支配している。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:26319 )