44人殺害ビルゲ村殺人事件(2009)の公判で被告、驚くべき証言
2012年05月09日付 Radikal 紙

マルディン県マズダウ郡ビルゲ村で2009年5月に起こった虐殺事件の容疑者らのうちメフメト・チェレビは「実行犯不明の殺人事件が2件ある。私はこの事件の目撃者だ。誰が殺害したか知っている」と証言した。

マルディン県マズダウ郡にあるビルゲ村で2009年5月4日の晩、子供7人を含む44人が殺害され、3人が負傷した虐殺事件の容疑者らは、安全上の理由によりチョルム重罪裁判所で裁判を受けた。

容疑者らの弁護士の不服を受けて最高裁第1刑事法廷は、メフメト・チェレビに科された44回分の終身刑の43回目のものを承認したが、フェスィフ・チェレビ殺害の1件を無効とし、メフメト・チェレビの10人の子供にDNA検査が行われるよう請求した。

さらに最高裁は、44回分の終身刑を支持したアブドゥルヘキム・チェレビに対する無許可銃器所持の罪で科された刑罰と、自宅で爆弾および銃弾を所持していたアフメト・チェレビの銃弾所持による刑罰を無効とし、書類を地裁に差し戻した。また刑務所で昨年自殺したスレイマン・チェレビの裁判終了を決定した。

■泣きながら弁論した

チョルム重罪裁判所で厳重な安全対策の下、今日行われた公判にはメフメト・チェレビとその弟アブドゥルヘキム・チェレビ、およびアフメト・チェレビが出廷した。事件は全くの名誉の問題だったと繰り返したメフメト・チェレビは次のように述べた。

「DNA検査の結果を出して下さい。アッラーの名において誓いますが、私の10人の子供の内少なくとも7人はフェスィフ・チェレビの子でしょう。私はこの犯行を名誉のために行いました。17年政府に自警兵として仕え、山でテロリストたちと戦っていたときに妻はフェルスィ・フェスィフ・チェレビと関係を持ったようです。私はこれを聞き、彼らを尾行しました。ある日彼らを犯罪の最中に捕まえました。DNA検査が行われることを望みます。私は捕まえて然るべき罰を与えました」

■「村での実行犯不明の2事件の犯人を知っている」

泣きながら弁論したメフメト・チェレビはビルゲ村で2人が殺害されたと証言し、「実行犯不明の殺人事件が2件あります。私はこの事件の目撃者です。誰が殺害したか知っています。良心の呵責に苛まれています」と話した。裁判長は容疑者に弁護士を通して共和国検事に罪状報告を行うよう述べた。

■「兄は殺せと言った」

公判で弁論したアブドゥルヘキム・チェレビは、「女性は外に出るはずでした。私は兄のメフメトに「どうしよう」と聞きました。彼は「全員殺せ」と言い、私は発砲しました。とても後悔しています。全て一瞬のことでした」と話した。

自宅で爆弾および弾薬筒を所持していたアフメト・チェレビは、所持品は自分のものではないと説明し、釈放を要求した。
法廷委員会はメフメト・チェレビの10人の子供のDNA検査の結果を待つこととし、公判を延期した。
一方、メフメト・チェレビが妻のフェルスィ・チェレビと昨年1月に離婚したことが明らかになった。

■44回分の終身刑

地裁は2010年4月に行われた最終審理で、虐殺事件の首謀者である逮捕中の容疑者「シュフ・メフメト」というあだ名のメフメト・チェレビ(44)、その弟アブドゥルヘキム・チェレビ(35)、メフメト・エミン・チェレビ(37)、メフメト・サイト・チェレビ(42)、オメル・チェレビ(44)およびスレイマン・チェレビ(46)全員に重刑罰である44回分の終身刑を言い渡した。

他に逮捕された2容疑者のうちシュフ・メフメトの息子M.Ş.Ç.には18歳未満のため44回分の懲役15年、自宅に手榴弾および弾薬筒を所持していたアフメト・チェレビには計15年の懲役刑が科された。

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( 翻訳者:安井 悠 )
( 記事ID:26349 )