シリアで拘束のトルコ人記者2名、家族と対面
2012年05月13日付 Zaman 紙

シリアで2か月間拘束されていたトルコ人記者が昨日解放された。アデム・オズキョセ氏とハミト・ジョシュクン氏はまずシリアからイランへと送られ、その後トルコが派遣した特別機でトルコに戻った。

2人の記者の実家は大きな喜びに包まれた。オズキョセ氏とジョシュクン氏の救出の過程で外務省はイランに公式に協力を要請し、重要な役割を担った。記者たちが釈放されるという情報は1週間前にトルコ政府に伝わっていた。しかし確定する前には発表は行われなかった。この過程の指揮は首相府で組織された 特別チームがとり、リゼにいたタイイプ・エルドアン首相がこの良い知らせを家族たちに伝えた。2人の記者の父親に電話をしたエルドアン首相は、この件に自ら携わっていたことや、記者たちを取り戻すためにテヘランに特別機を派遣したことを伝えた。アデム・オズキョセ氏とカメラマンのハミト・ジョシュクン氏の解放に関する最初の発表は、アフメト・ダヴトオール外相がソーシャルメディアを通して行った。ダヴトオール外相はイランのアリー・アクバル・サーレヒー外相と会談したと述べ、長い間続けてきた努力が実を結んだと語った。ダヴトオール外相は公式訪問で訪れたエストニアからモルドヴァに移る前に、状況をエルドアン首相に報告した。エルドアン首相の指示ですぐにテヘランに特別機が派遣された。

長い間交渉を続けた結果、記者たちの解放の情報がちょうど1週間前にトルコ政府に伝わった。しかし会談を行った国々がシリアとイランであったため、記者たちは解放まで沈黙を貫いた。2人の身柄が昨日引き渡されるという情報は金曜日の夜届いた。エストニアにいたダヴトオール外相はすぐにエルドアン首相に電話をし、報告した。昨日の朝はイランのサーレヒー外相に電話をした。2人の外相は詳細に関して昨日2回連絡を取り合った。ダヴトオール外相は、記者たちがハタイ経由ではなくテヘラン経由で引き渡されることに関する批判に触れられると、以下のように答えた。「我々にはこの件に関して非常に信頼できる経験と蓄積があります。現在でも何十人もの様々な国の国民が異なる国々からいかに救出されたかを皆さん知っているでしょう。このような状況が問題となった場合、国家間で密な協議と協力がなされます。友好・近隣諸国がこのような問題に取り組む際に区別などありません。」

■家族への連絡は首相が行った

昨日の記者たちの解放は前もって計画されていたことが分かった。2人の記者の家族は、昨日ダヴトオール外相がこの発表を行う前に、すでにテヘランにいた事が分かった。ハミト・ジョシュクン氏の兄、ムスタファ・ヤフヤ・ジョシュクン氏は「ここで待っていればもうすぐ弟たちと会うことが出来ると言われました。私たちは彼らとトルコへ戻ります」と語った。記者たちはテヘランに降り立った後すぐに行った会見で、健康状態は良く、家族との対面を心待ちにしていたと述べた。首相府の情報がもととなった発表によると、記者たちの解放に関する過程は、首相府で組織された特別チームによって進められた。レジェプ・タイイプ・エルドアン首相はコンタクトを取るために訪問したリゼで一晩過ごし、この特別チームの活動に自ら携わり、進展に関する指示をリゼから出した。良い知らせが来た届いた後、エルドアン首相は2人の記者の父親に電話をし、息子たちが解放された事を伝えた。この問題に自ら携わっていたことや、記者たちを取り戻すためにテヘランに特別機を送ったことを伝えた。エルドアン首相は、彼らがテヘランに着いた後、記者たちにも電話をし、大変でしたねと声をかけた。

トルコ人記者の一人、アデム・アズキョセ氏の父親、ムスタファ・オズキョセ氏はザマン紙に対するインタビューで、良い知らせを伝えた首相は「我慢の終わりは救いです。御子息は今イランに向かっています。幸運をお祈りします。おめでとうございます」と言ったと明かした。サムスンのチャルシャンバ郡に住む父親のオズキョセ氏は、エルドアン首相の次はアフメト・ダヴトオール外相からも電話がかかってきて、「アデムさんは私の大学の学生なんです。ご存知でしたか」 と質問されたと語った。情報学科の学生であるアデム・オズキョセ氏はダヴトオール外相がマルマラ大学で授業を受け持っていた頃、ダヴトオール氏の授業を受 けていたことが分かった。ハミト・ジョシュクン氏の父親、アリ・ジョシュクン氏は「とてもうれしいです。ありがたいことに首相も外相もずっと気にかけてくださいました。感謝しています。私たちは幸せです。嬉しいです。言葉が見つかりません。胸がいっぱいです」と述べた。ジョシュクン氏はハミト氏が戻って来るという知らせを聞き、息子たちのためにサクランボを集めるためにカラミュルセルのアクチャト村にあるサクランボ園を訪れたと述べ、母親も家でハミト氏の好きな料理を作ったと話した。一方、CHP(共和民主党)のケマル・クルチダルオール党首も、昨日記者のオズキョセ氏とジョシュクン氏に「自由な世界へようこそ」とのメッセージを発表し、「自由を失い、職務を果たせなかった、悲しく、苦しく、退屈な日々が過ぎ去ったことにCHPとして非常に幸せに感じています」と述べた。

■自由とは世界で一番素晴らしいもののようだ

シリアでの2カ月間の監禁の後に解放されたトルコ人記者のアデム・オズキョセ氏とハミト・ジョシュクン氏は、首相府の飛行機で夜中にイスタンブルに到着した。記者たちは空港で記者会見を開き、監禁中は非常に困難な条件下に置かれていたが、自由を手に入れることが出来たと述べ、これに貢献した人たちに謝意を表した。「本当の人生」誌中東代表兼ミラト紙のコラムニストであるアデム・オズキョセ氏は、長期間独房で一人で捕らえられていたと話し、独房ではコーランを読みながら過ごしたと語った。オズキョセ氏は「拷問の危機にさらされたこともありましたが、そのような目には遭わずにすみました。コーランの言葉が兵士と私の間の楯となりました」と話し、周囲からは拷問を受ける人々の悲鳴が聞こえたと述べた。オズキョセ氏は、「私たちは困難な日々を送りました。困難な条件下に置かれました。ある村で拘束されました。その後、シリア政府に身柄を渡されました。そして今自由をつかみました。自由が世界で最も素晴らしいものだということが今、非常に良く分かりました。私たちが自由を手に入れることに尽力してくださった大統領、首相、外相、人道外交を行ったİHH(人権と自由と人道支援財団)ビュレント・ユルドゥルム代表、献身的に取り組んでくださった全ての人に感謝しています。私たちが中にいる時、多くのシナリオがつくられ、私たちもいくつかシナリオを考えましたが、最も素晴らしいシナリオは神がつくったのです」と語った。ハミト・ジョシュクン氏も、「私たちはアクション映画で起こりうる全ての事を経験しました。非常に困難な条件下に置かれました」と述べ、救出に貢献した人たちに感謝した。

■シリア反体制派もイラン人を解放した

シリアで12月に反体制派の戦闘員によって拘束された2人のイラン人も解放された事が明らかになった。イラン国営放送(IRIB)がイランの在アンカラ大使館から得た情報によると、イラン国民の身柄は昨日トルコ-シリア国境でトルコ人情報機関員に引き渡された。この人物たちの身柄はイラン大使館員に引き渡される予定だ。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:26382 )