様変わり、アタテュルク記念若者とスポーツの日―各地で祝賀と混乱
2012年05月19日付 Radikal 紙
サムスンとアンカラ以外で、初めてスタジアムではなく学校や広場で5月19日の祝賀行事が行われた。(祝賀の)新実施規則に抗議する人々は代わりの祝賀行事を行った。
5月19日のアタテュルク記念若者とスポーツの日は、5月5日に官報で公表された実施規則によって、今年初めてサムスンとアンカラ以外の都市ではスタジアムではなく学校や広場で祝われた。実施規則の変更に抗議する人々は公式の祝賀行事には参加せず、「代替の5月19日行進」を行った。
アンカラでは県の青年福祉スポーツ各局・国民教育局、アンカラ・セイメン・クラブ、アンカラ大学の団体とともに若者たちが19マユス・スタジアムに集まり、スタジアムからウルスのアタテュルク像まで歩いた。「青年行進」の際、学生たちはトルコ国旗を持ち、10周年行進曲を歌った。行進に加わった人々が会場に入ると、アタテュルク像に花輪を捧げようとした労働者党党員の一団とこれに許可を与えなかった警察との間で緊張が起こった。5月19日は、サムスンでもスタジアムで祝われた。アタテュルクのサムスン上陸93周年にあたるため、チュチュン埠頭でアタテュルクと18人の同胞のバンドゥルマ号からのサムスン上陸が説明された。イスタンブルの公式祝賀はタクスィム広場で行われた。シュルナクではジュムフリエト・アナドル高校校庭でクルド語とトルコ語の歌とともに祝賀が行われた。マルディンではトゥルハン・アイヴァズ知事と式典のメンバーが学生とともにハライを踊った。ディヤルバクル県庁前では若者たちが黒海の民族舞踊を披露し、「ゼイベキ」が踊られた。エラズー県庁の庭での祝賀には、式典のメンバーからはセダト・アジャル県青年福祉スポーツ局長のみが参加した。30人ほどの学生と担当の警察官4人が出席した。
■代替の祝賀行事
今年の5月19日祝賀は様変わりし、実施規則に抗議する人々は「代替の祝賀行事」を行った。チャナッカレで公式の式典に参加した共和人民党(CHP)支持者たちは、その後共和国広場で別の祝賀を行った。バルケシルで代替の祝賀に参加した人々は、「私の髪は金、目は青」の民謡とともにアタテュルク像まで歩いた。マニサではCHP支持者たちが「私の5月19日に関与するな」の名の下行進を行った。ムーラでは、公式の式典の出し物が続く一方でCHP支持者たちは別の行進を行い、アタテュルク像に花輪を捧げた。イズミルでは、代替の祝賀行事に約2万人が参加した。足並みを揃えて行進した人々は新たな実施規則にブーイングをして抗議した。新たな実施規則によると、アタテュルク像に県青年スポーツ局以外のいかなる組織も花輪を捧げることはできなくなる危機を招いた。トカトではアタテュルク像に花輪を捧げようとしたCHP支持者たちに対し、機動隊が妨害した。リュレブルガズでは市民団体がアタテュルク像の前に置いた花輪は、警察によると、ギョクハン・ギュナイドゥンCHP副党首が通知を破って投げ捨てた。
■もはや祭りになった
レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、トルコの81の県と北キプロス・トルコ共和国(KKTC)から来た若者たちの代表を首相府の新たな建物で迎えた。エルドアン首相は、「5月19日にはアタテュルク記念日があり、若者の日があり、スポーツの日がある。もはや戦車や砲弾が練り歩くことはなく、自治体の車もない。もはや祭りとなっている。若者がいてスポーツ活動がある。我々はこの日を本当の祝祭へと変えた」と述べた。
■シシュリが旗で埋め尽くされる
イスタンブルのタクスィム、カドゥキョイ、シシュリでも祝賀が行われた。シシュリ区メジディエキョイからタクスィムまでのハラスキャルガーズィ大通りを、巨大なトルコ国旗とアタテュルクのポスターが彩った。区が「旗を買って祝祭に行こう」というスローガンで呼びかけたこの活動には、数千人が参加した。
■タクスィムでの祝賀で緊張
イスタンブルのタクスィム共和国記念碑前での公式祝賀では、アタテュルク像に花輪が捧げられ、イスタンブル・マーチが歌われた。この時、一部の民主左派党(DSP)支持者が「アタテュルクに敬意を」「敬礼を」と叫んだ。DSP支持者の女性が「アタテュルクに敬意を示しなさい」と叫んで手に持ったカーネーションを演壇にぶつけた。
■アンタルヤで抗議
アンタルヤでは、エルトゥールル・ギュナイ文化観光大臣が祝賀の行われる共和国広場に入る際、ある一団から抗議を受けた。献花禁止にもかかわらず、CHP県支部と17のシンジゲート、政党、民主的な大衆組織が、警察の許可を得て会場のアタテュルク像に花輪を捧げた。
■学生のスポーツ技術
公式祝賀では学生たちがフェンシング、レスリング、歴史的なマトラクなど多くの競技で技を披露した。サムスンで行われたパフォーマンスでは、女子レスリング選手と男子レスリング選手の対戦が関心を集めた(イスタンブル・ラディカル紙)。
■シムシェキ財務相、シリア正教徒と友好試合
5月19日若者とスポーツの日は、バトマンのアルジャ村ではまた別の形で祝われた。メフメト・シムシェキ財務大臣は生まれ育った村で、以前この地域に住んでいたものの移民していったシリア正教徒らと友好試合を行なって祝った。シリア正教徒とアルジャ村村民が作ったチームは昨日(18日)村の屋外ステージに集まった。サムエル・アクタシュ府主教は、「この地の子供であるシムシェキ氏がこのように重要な日をクルド人、トルコ人、シリア正教徒とともに祝ったことは非常に重要である」と話した。
■両チームのユニフォームを着用
さらに、村人たちは村のクルド語の名前であるケフレのユニフォームで、シリア正教徒チームはミドヤト地域のシリア語の名前であるトゥル・アブディンのユニフォームで試合に出場した。シムシェキ大臣は両チームのユニフォームを順番に着用した。この試合にはアフメト・トゥルハン・バトマン知事も参加した。友好試合は5-5の引き分けに終わった。アルジャ村には、1980年代まで80軒から100軒が存在した。村の人口の約半分はシリア正教徒だったが、時とともに村を捨ててヨーロッパに移住したという。シムシェキ大臣は、村のシリア正教徒の多くが村を捨て、また村では皆兄弟のように暮らしていると述べ、「信仰は異なるかもしれないが大きな寛容の魂があった。我々の間には親戚関係がある。オランダやスイスなどの国々に行った人々は帰郷し始めた。これは、トルコにおける変化の1つの指標である」と話した。
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( 翻訳者:永山明子 )
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