グルジア国境1TLで通行可、バトゥーミとの往来繁盛
2012年05月21日付 Milliyet 紙


商人は、ホパの現状を「国境ゲートの通行料は1リラになった、ホパの商人はがっかりしている。人々の大半が向こうに行き、我々は仕事を奪われている。(向こうの)ホテル、レストラン、バーそしてパブは人で一杯だ。お金がある者もない者も行く」とまとめた。

サルプ国境ゲートが開かれた。通行料は1リラになり、黒海の夜の生活を好む者達は喜んだ。昨日はバトゥーミを歩き、今日はこっち側にいる。国境のこちら側(ホパ)の商人は、この変化によりどのような影響を受けたのだろうか。アルトヴィン県のサルプ国境ゲートに一番近いのはホパ郡のケマルパシャだ。そこで商店を営むイスマイル・ビチェルさんは、「人々の大半は向こうに行き、我々は仕事を奪われている。(向こうの)ホテル、レストラン、バー、そしてパブは人で一杯だ。金のある者もないものもそこへ行く」と話す。

■望みはロシア人旅行者

イスマイルさんによれば、「バトゥーミは週末のトルコ人の人口がケマルパシャのそれよりも多くなる」という。さらに、チャイを一口飲み、『見ろよ』と言い、「ここの商人の顔に注意しろ、夜に向こう側で見ることになるだろう。我々に何ができる?グルジア人にはそもそも期待していない。金持ちじゃないしな。バトゥーミに夏休暇にやって来るロシア人旅行客に期待しているよ」と話した。そもそもケマルパシャを揺るがしたのは1リラの通行料ではなく、グルジアが自国民に関税をかけたことである。衣料品店を営むサリフさんは元々はトラブゾン出身で、ここには5年前に来たと言い、「ここで私が初めて夜店を開いた。12時にオープンし、明け方2時頃にお客さんが来た。その頃は関税はなく、バトゥーミやトビリシからシャトル貿易をしにやってきていた。商売はうまくいっていたんだ」と語った。

■働くのはグルジア人

ケマルパシャで5年前に3軒しかなかった商店も短期間で増加した。話を聞きつけ、スィノップ、リゼ、トラブゾンから人が来た。ウルファからでさえも。すぐに商店の数は1000にまで増えた。税金がかけられてからは600軒に減った。サリフさんは以下の様に説明した。:「グルジア人は一般的に男は働かない。以前は女性がシャトル貿易をしていた。今は我々の店で働いている。」
労働許可は?との問いには、「そこには触れないでくれ。考えてもみてくれ、あそこにいる彼はディヤルバクルから来た。実際トルコ語を話すのにも苦労しているのに、グルジア人とどうやって理解しあう?グルジア人を働かせるしかないんだ。労働許可はないが、そもそも毎日行き来できるし、入口で課金もされない。朝8時にやってきて、夕方5時に出ていく。一年前まで日給は15ラリだったが今は25ラリに増えた。私だけではない、ケマルパシャの600の商店のうち、500店がグルジア人を雇っている」と答えた。
サリフさんの隣の商店の店主のエルジャンさんも、「何を買うか、予想できないんだよ」と不満をもらす。エルジャンさんは、「4年前は黒が流行していた。 何でも黒が買われていた。黒はなかなか型崩れしないかららしい、彼らは貧しいからな。スペイン製のデニムを欲しがったこともあった。20年前の私たちのようだった。5年間イスタンブルの全てのゴミがここで売られた。倉庫には輸出残り品も、(返品された)不良品も全くない。今、我々よりも先に流行を追っているのです」と話す。

■「味を知ったらやめられない」

グルジア人の女性は商店で働くだけではない。畑で茶を摘む者も多い。やはり朝やってきて夕方帰っていく。家はグルジア、職場はトルコ、といった具合に。まるで家はトルコ、遊びはグルジアといった人たちのように。ケマルパシャの人々は皆一様に、ホパの以前の夜の様子を説明する。「どこも素晴らしかった。」と話す。ほとんどの人が首相がホパで抗議行動に直面してから、全ての娯楽場が閉鎖されたと信じている。1リラの通行料もこうして決定されたと彼らは思っている。今後15リラへの値上げが検討されることもないだろう。「味を知ったらやめられないだろ?ビール2杯じゃ足りないんだ、どうしようもない。」しかし、冬になるとおそらく減っていくだろう。「トルコ人はこうだ。冬になると『遊びはやめる』と誓う。夏になるとまた遊び始める」まだ5月で、冬までは当分ある。今夏、バトゥーミの総領事館の電話はなりっぱなしになるのは必至である。

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( 翻訳者:百合野愛 )
( 記事ID:26464 )