カイセリ署に自爆テロ、警察1名死亡18人負傷
2012年05月25日付 Yeni Safak 紙
カイセリのプナルバシュ警察署の前でテロリストによって仕掛けられた爆弾攻撃により、警官1名が死亡、子供を含む18名が負傷した。ギョクスン・カイセリ間幹線道路の18キロ地点にある軍警察司令部の前で検問を行った捜索班は、「06 E 1819」のナンバープレートを付けた車を止めようとした。しかし徐行した後、急に速度を上げた車は、A.Ç特務軍曹を撥ねて、現場から逃走した。
負傷した特務軍曹は救急車によってギョクスン国立病院に搬送され、ここでの応急処置の後カフラマンマラシュに送られる一方、逃走した車両に乗っていた複数の人物を逮捕するための捜査が始まった。
軍警察と警察の捜査チームによって捜索が行われている車両に乗っていたテロリスト達は、プナルバシュ警察署の前で車に乗せた爆発物を爆破させた。
爆発の後、事件現場に送られた多数の救急車によって負傷者達は、カイセリにある様々な病院に搬送され、また現場には県の中央と近隣の各郡から警察官が増強された。
イズミル警察署を訪問した後、報道陣の質問に答えたイドリス・ナイム・シャーヒン内務大臣は、事件後に行った発表で、プナルバシュ警察署の前で起こった爆発により1人の警官が死亡し、1人の警官が重傷を負ったこと、そして警官の子ども達を含む10名が軽傷を負ったことを述べた。
午前9時45分頃、「自爆テロ」が警察署の前で実行されたことを明らかにしたシャーヒン内相は、次の様に続けた。
「事件の始まりはカフラマンマラシュ県のギョクスン郡からです。その地で早朝に軍警察の検問から逃走した車によってこの自爆テロが実行されました。車内には目撃された限りでは2名の自爆犯がいたそうです。彼ら(の遺体)は当然バラバラになっており、車も木端微塵です。車のナンバープレートは「06」から始まっています。車種はパサート(フォルクスワーゲン社の車種)です。彼らの(本来の)標的はプナルバシュ警察署ではなかったと我々はふんでいます。しかし、最終目的地がどこだったのか、それについては今調査中です。残念な事件です。テロ組織が休止しておらず、また今後も予期しない狂った事件の実行を続けていくのがわかりました。爆弾の量とその効力は相当大きいものでした。警察と我が国民にお見舞い申し上げます。テロについて一丸となって注意する必要があることを、今一度この事件を見てわかりました。軍警察も警察も、非常に慎重に行動しました。ギョクスン、プナルバシュ、サルズの道路でこの車両は捜索されていました。警察の緊密追跡と最後に実施された発砲の結果、これぐらいですんだ、といえるような事件です。」
さらに後、イズミルの情報セキュリティーシステム(MOBESE)の開会式の後に新聞記者達の爆破事件に関する数々の質問に答えたシャーヒン内相は、犠牲者の数が2名に増えたこと、16名が負傷したことを明らかにした。
[訳者注:その後、この件は否定され、警官の犠牲者数は1とされている。]
■ エルドアン首相最初の声明
エルドアン首相はビュユク・セリミエ・モスクで金曜礼拝を行った後、出口で報道陣の質問に答えた。
ある新聞記者の「カイセリの爆弾事件に関して何かコメントを」との質問にエルドアン首相は以下のように述べた。
「事件は自爆テロ事件です。自爆テロの爆発の結果、残念ながら1名の殉職者と重傷者1名がでました。もちろん、軽傷を負われた方もいます。この自爆テロに関わった者として、車には2名が乗車していたと言われています。当然テロは、いつものような活動を継続しているのです。 (テロについて)違った見方をしている人々には、これに答えてもらいたい。まず、分離主義テロ組織(PKK)自身と、その政治組織となっている政党[訳者注:BDPを指す]が、この状況を対してどういう態度をとるかは、大変、大変重要です。そのため、当然より断固とした形でもって、今後のプロセスにおける私たちの分離主義テロ組織との闘いは、同じ形で続けていきます。我々の殉職者へ神の御慈悲を。また重傷を負った方々を神が治癒してくださいますよう。そして軽傷を負われた方のご回復もお祈り致します。」
エルドアン首相は、(テロの)標的についての情報が得られていますか、いませんか?との質問に「調べている」と答えた。
■ 殉職者の1人は息を吹き返した
シャーヒン内相は、公正発展党(AKP)イズミル県支部を訪問した際に新聞記者達と行った会見で、プナルバシュ警察署の前での爆破事件に関し、次の様の語った。
「1人の警官が残念ながら殉職しました。当初医者が死亡としたものの、その後、生命反応を示し、蘇生が試みられている警官については、状況は深刻です。他に重傷者が7名おり、10名が軽傷を負っています。自爆テロを実行した2名は、遺体確認が出来ないほど、バラバラです」
■ 殉職者と負傷者の身元が明らかに
プナルバシュ郡警察署の前での爆弾攻撃によって警官のアフメト・ゲベンさんが殉職し、彼は病院への搬送中に亡くなったことが明らかとなった。
爆発により、ヤームル・ウシュクさん、エミネ・ウシュクさん、メフメト・ヤシャル・クユムジュさん、イスマイル・サクンさん、ゼイネプ・エルケクさん、トゥルグト・コチュさん、ハサン・カラカヤさん、ギョクベン・サルマンさん、ビュレント・ケスキンさん、オスマン・コジャマンオールさん、レヴェント・ババジャンさん、ハジュ・ウチャルさん、ムハッレム・ギュルビュズさん、イスメト・カヤさん、ムスタファ・モオルコチュさん、ラマザン・カヤさん、ベシム・カルダシュさん、エブル・セルヴィさんが負傷した。
警察署で民間警備員として働いていたイスマイル・サクンさんは重傷を負い、危篤が続いている。
■ 悲報を受け取った殉職者の母親は倒れた
アリー・ハムザ・ペフリヴァン郡長とラマザン・フルチュ市長は、カフラマンマラシュ市のクルトゥル地区にある故アフメト・ゲベンさんの実家を訪問した。彼の母親で75歳になるエスメ・ゲベンさんに悲報を告げ、弔辞を述べた。
母エスメさんは息子が亡くなったという報せにより気が動転して気絶してしまったため、手当を受けた。「息子が死んだ」と言って涙を流す年老いた母を、近親者達が慰めていた。
悲報を受け、故人の実家のある通りには国旗が掲げられた。既婚者で3人の子供の父である故アフメト・ゲベン氏の父親は数年前に亡くなっていること、4人の姉妹と2人の兄弟がいることが明らかとなった。
■ 家族の内2人目の殉職
この間に、殉職したアフメト・ゲベン氏の兄メフメト・ゲベン氏も、1981年にリュレブルガズで兵役に就いていた時、軍事演習中に亡くなっていたことが明らかとなった。
殉職したゲベン氏について話してくれた隣人のイブラヒム・ビニジさんは、新聞記者達の取材で、ゲベン一家から2人目の殉職者が出たことを述べ、「アフメトの兄メフメトも、1981年に、兵役に就いていたリュレブルガズにおいて、軍事演習中の飛行機事故で殉職しました。彼の家族は第二の悲しみにより押しつぶされています」と語った。
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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:26503 )