エルドアン首相に関する書籍出版:『疾走20年』
2012年05月27日付 Hurriyet 紙

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相が県支部長や市長、党首、首相を務めた20年間がとてもプライベートな写真を含むフォトブックとなった。 ヒュッリイェト紙が首相府担当の記者ムスタファ・キュチュク氏の勤続20周年を記念して作成した書籍「疾走の20年」がルカプから出版された。

大型書店やwww.lupapu.comで発売された本では、これまでメディアで取り上げられなかったエルドアン首相のモスクでの礼拝や、墓前で祈りを捧げている瞬間、サッカーボールでシュートを打った瞬間、結婚式を祝っている瞬間、歌を歌っている瞬間など、とてもプライベートな写真の他、この期間中の重要な瞬間を残した186枚の写真 が載っている。本の中で最も注目を集めるのが、エルドアン首相が1月に亡くなったフェネルバフチェの伝説のサッカー選手、レフテルと写った感動的な写真だ。 ビュユクアダで会った時に撮影された写真では、レフテルがエルドアン首相に抱き付き頭を首相の胸にもたれかけていた。

■リーダーたちを追い続けた20年

1992年に仕事を始めたムスタファ・キュチュク氏は、ここ20年間に影響を与えた政治的リーダーたちを地道に追って来た。ファインダーを通して見てきたリーダーたちの「あの瞬間」を写真で永遠のものとした。スレイマン・デミレル、ビュレント・エジェヴィト、アルプアルスラン・チュルケシュ、ネジメッティ ン・エルバカン、ラウフ・デンクタシュ、エルダル・イノニュ、メスート・ユルマズ、タンス・チルレル、デヴレト・バフチェリ、アフメト・ネジデト・セゼル、アブドゥッラー・ギュル、レジェプ・タイイプ・エルドアンといったトルコ政治の様々な顔に加え、イスタンブルを訪れたジョージW.ブッシュ、ビル・ク リントン、バラク・オバマといったアメリカ大統領たち、キューバの伝説のリーダー、フィデル・カストロ、ローマ教皇ベネディクトを含むここ四半世紀に名を 残した世界のリーダーたちの姿もこのフォトブックにおさめられた。シャッターに指をかけ息を切らしつつリーダーたちを追う一方、時代時代の重要な社会的事件も目にしてきた。

■あの話は決して忘れられない

ムスタファ・キュチュク氏は、まだ「新人」記者だった1992年に至福党(RF)が開いたファーティフにある結婚式場での断食月の夕食会で初めて見て聞いた、イスタンブル県知事だったレジェプ・タイイプ・エルドアンのあの日の話が忘れられないと述べ、以下のように語った:

「よく響く大きな声で式場を揺るがしているかのようだった。彼は次のように言っていた。「人間は知らないもの、分からないものを恐れる。もう古い慣習を捨てる時だ。日の光がすべての人に届く時だ。目の前にいる人がどの言葉を話しているとしても、その言葉で話す時なのだ。まず挨拶から始めなさい。目の前にいる人によって、「アッサラーム・アライクム」、「メルハバ」「ハロー」と言いなさい。大事なのは挨拶を交わすことと、その人たちのところに出向くことだ」 実はこの話は彼の党の中の精神の革命にも火をつけていた。政権を獲得するにはひとつの階層の人々ではなく、すべての階層の人々に届く必要があることを説明し、党組織に向けこのロードマップを作っていたのだ。」

■密着追跡

ムスタファ・キュチュク氏はエルドアンのことをイスタンブル市長時代からよく追いかけていたが、特に2001年に公正発展党を結成し、党首になった後は、 さらに密に追いかけるようになったと述べ、「首相になった2003年以降、イスタンブルや、時にはマルマラ地方で明け方から夜中まで追跡する日々が始まった。雪や嵐、雨、寒さ、暑さなど関係なしに、「密着」して首相の護衛車を追い、一日に8回会議へ、丸一日かかる会議から一対一の対談へ、さらには道で首相を見失い、見つけるのに奔走した長く、疲れる状況を経験した。そして未だにこのようなことを続けている。首相のすごく近くにいることも、遠くにいることもあった。彼が喜んだ時に周囲に与える前向きなエネルギーや、怒った時に与える恐怖、悲しんでいる時の感情的な姿を見てきたが、最も重要なのは、彼が強い思い、決心、仕事に対する熱意、尽きないエネルギーで語ってきた目標を実現するところを目撃したことだった」と述べた。

■撮った写真は100万枚

仕事を始めて20年が経ったムスタファ・キュチュク氏は、20年間の記者人生で100万枚以上の写真を撮り、何千時間もを解析に費やしたと明かし、次のように語った。:「多くのリーダーを一定期間追ったが、県知事、市長、党首、首相時代すべてを追った唯一のリーダーがレジェプ・タイイプ・エルドアンだった。 一人の政治家が一歩一歩頂点に向かう過程での容赦の無い厳しい闘いから選挙での大勝利まで、「中立な立場の記者」として一つ一つ見てきた。肯定的であれ否定的であれ、どんな政治的立場から見ても、静かな革命を行ってきたこのリーダーの重要な瞬間を写真で永遠のものにした。スライドやネガ、デジタルの写真から成る私のアーカイブを何日もかけて見直した。エルドアン首相のこの長い歩みにおいて、とても特別な瞬間をおさめた写真を選びました。

■ルカプの商品の材料は、思い出

フォトブック「疾走の20年」を出版したルカプは、トルコで新たな分野の先駆者となった。マヒル・アリティ、アルプ・ベッリ・アリティ兄弟が2011年5 月に設立したこの会社は、デジタルカメラで撮影され、パソコンのメモリーに保存されたまま見られることのなかった写真に命を吹き込んでいる。休暇や誕生日、結婚式、ハネムーン、旅行といった特別な瞬間に撮られた写真、或いは人や組織の写真集、宣伝やプレゼント用の写真は、www.lukapu.comから無料でダウンロードできるフォトブックアプリケーションの既定のテンプレートに貼り付け、メモなどをつけることで短時間で完成する。インターネットからの注文は遅くても2日以内に利用者の住所に送られる。

■思い出に命を吹き込んでいるのです

アメリカで広告の教育を受けたルカプの創業者の一人、マヒル・アリティ氏はデジタル写真からフォトブックをつくるためのソフトウェアシステムに投資をしており、この点で トルコで先駆者であると述べ、「成功すると信じていました。なぜならこの会社の商品の材料は思い出でした。忘れられていく写真に命を吹き込みたかったのです。つまり、人の思い出をフォトブックで永遠のものにし、思い出を生き生きと残すお手伝いをしているのです」と述べた。

■最高のプレゼントとなった

アメリカで写真と金融の教育を受けたルカプの創業者の一人、アルプ・ベッリ・アリティ氏はこの投資や努力はすぐに実を結んだと述べ、「とても単純なシステムで自分や愛する人たちのフォトブックを作ることができます。特別な日に『どんなプレゼントにしようか』と迷っている人たちがはじめに検索するサイトとなりました。北から南へ、東から西へ、全国から注文が来ています。私たちの夢は、すべての家庭に最低1つはルカプのフォトブックがある、という状態です」と語った。

■フラッシュが光った

首相府担当の記者として働くムスタファ・キュチュク氏は、ある首相との出来事の後、新聞記者になることを決めた。ムスタファ・キュチュク氏はその日のこと を次のように話した:「1990年のことです。私はまだ16歳でした。アンカラのアヌトテペ高校の2年生です。夜学校から帰ると家でのラマザン中の夕食に、当時のユルドゥルム・アクブルト首相がいると知りました。彼は私をそばに呼びました。向かい側には数人の記者たち。『アクブルトさん、こちらへお願いします、これをやってください、手にキスをしてもらってください』といった言葉が次々と投げかけられました。アクブルト首相も言われたことをすべてやって いました。その後次々に向けられるフラッシュ。職業を選ぶ段階にいた人間として、その瞬間私の脳内でもフラッシュが光りました。この光景を前に、『首相は国で一番強い人で、この国を動かしている。その首相が記者たちの言うことをなんでもやるのだから、この人たちは本当にすごい人たちなんだ』と考えました。 こうして私は職業を決めたのです。」

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:26520 )