■ヨルダンの物価上昇に対する行進で、流血の摩擦が起きる
2012年06月09日 土曜日 『アル=ハヤート』
【アンマン:ナビール・ギーシャーン】
イスラーム主義者と野党は、合同デモ行進に街頭へ舞い戻った。デモ行進は、「我々の目的は1つ、市民の食糧はレッドラインだ。」とのスローガンの下、昨日アンマンのアル=フサイン・モスクから出発した。しかし、首都での週ごとの街頭行動に対するお決まりの言い方は変わりなかった。スローガンやシュプレヒコール、或いはデモ参加者の数に違いはあったとしても。参加者は1,000人を超えず、諸党の指導者が参加者を率いた。
フェイスブック上のヨルダンのページは、悲しみと嘲りの空気に包まれた。サッカーのヨルダン代表の日本の前での6ゴールの敗北と、人民運動家がこの金曜日(我々の目的〔ゴール〕は一つ)につけた名前を結び付け、スローガンは楽観的だ、「我々の目的〔ゴール〕は6つ」でなければならないと言った。
デモ行進は出発以来、人民統一党の党員間の流血の内部抗争に直面していた。党員の一人は、味方である書記長補佐のアブドゥルマジード・ダンディースに襲い掛かり、持っていた横断幕の支柱で頭を殴った。書記長補佐は血を流した。この暴行の理由は不明だった。
昨日、デモ行進はすべての県で繰り返されたのと同じスローガンの下、行われた。異なったのは、参加者が政治活動家や、野党の党員に限られていたことだった。一方で、民衆の参加者は、非常に少なかった。事態は、改革の動きに対する民衆の同情に害を与える無気力状態を反映している。これは、[警官の数などの]治安上の存在にも当てはまる。約20ヶ月前から始まったこうした[治安の]機会のような前例になく、[警備体制は]控えめだった。
アル=フサイン・モスクのデモ行進の参加者は、ヨルダン政府の経済政策や物価上昇や、必需品への補助金の取りやめについての一連の決定を糾弾し、国営企業の民営化事業で奪われた財の返還を要求した。
ムラード・アル=アダーイラは、ムスリム同胞団の名で話し、「我々の持ち物は、監視人や抑制もなく盗まれている。」と述べ、「ブリティッシュ・ペトロリウム」と調印したガスついての協定を避難した。掲げられた横断幕は上院が決定したこの協定を批判し、下院は「堕落している」、協定は「植民地化への贈り物」だと示した。
アラブ社会主義バアス党書記長のアクラム・アル=ホムスィーは、野党の名で報道官として、「政府は改革の意志を持たず、それを望まない。」、下院議会は国民の負担になっている。解散を求めるとのべた。
諸県について言えば、カラク、タフィラ、マフラク、イルビド、サルト、ショーバクでは、「国民の食料は、レッドラインだ」という同一のスローガンの下、デモ行進が行われた。しかしジャラシュでは、長期の継続が出来なかった。「暴漢」は、抗議参加者をナイフや鉄パイプ、割れたガラス瓶で襲い、デモの行列から4人の負傷者が出た。事件の内容については錯綜している。デモ行進の参加者によれば、「暴漢」は10人で、改革を要求するデモ行進を行った場合には襲撃する、とデモ行進参加者を先週脅迫していた。ニュースサイト「アムーン」によれば、暴漢は〔襲撃の〕理由は個人的なものであると述べた。
イルビドでは、2つのデモ行進が行われた。1つは、無所属、民族主義者、左派が参加し、ヨルダンの資源の販売についての政治的なスローガンを掲げ、民芸ダンスを行った。非難は諸個人に向けられ、イスラーム主義者と国民の意識の立場、ヨルダン川西岸の領有権放棄に対するシュプレヒコールが繰り返された。それに対して、イスラーム主義者は最初のデモ行進よりも少し大きな行進を組織した。大学のモスクを出発し、激しくアッ=タラーウィナ政権を非難した。
カラクの南では、人民、党、委員会の活動家数百名が、改革を要求し、商品とサービスの値段の引き上げを拒否する週ごとの座り込みに参加し、ファーイズ・アッ=タラーウィナ政権と、とりわけ様々な商品とサービスの値上げの決定への拒否を顕にした。座り込みでは次の声明を述べた。政府の計画と最近の計画は、人民の多数を飢えさせ貧しくさせ、国の債務を増大させ、貧困率と失業者の数をさせ、製造業と農業のいくつかの部分の破産を描写するものと言わざるを得ない。その時に、支配者の同盟の富は増加し、権力は少数に集中する。
マーダバーではバニー・ハミーダ族の構成員の集団が改革のためにデモ行進を組織した。その中にはマーダバー県やザイハン地方の名士が参加し、「目的は1つ。物価の引き上げに抗議することだ。」というタイトルの下、物価の引き上げに抗議した。
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( 翻訳者:岡裕一朗 )
( 記事ID:26656 )