車両が通過する際の接触や摩擦による城壁門の損傷について、イスタンブル広域市は行動を起こした。市の決定によると、歴史的な城壁門は、車高があり幅の広い(大型)車両の通行を禁じ、普通自動車にのみ通行を許可するよう整備される。
歴史上、多くの帝国が領有を願ったイスタンブルを守ってきた城壁の門は、多くの否定的な要素によって消失した。ビザンツやオスマンの時代にイスタンブル を取り囲んでいた「マルマラ海」側、「金閣湾」側、そして「陸上」の城壁にあった60の門の多くはなくなってしまった。歴史的な城壁門が、特に車両が通過する際に接触や摩擦によって損傷を受けていることについて、広域市は、重要な決定を下した。最終的にはジバリカプに大型トラックが衝突し、門についていたスルタン・アブデュルメジトの花押が崩れたために、城壁門を車高が高く幅の広い車両が通行することを禁止した。ファーティフ区にあるジバリ門、アヤ門、イェディクレ門、ベルグラード門、スィリヴリ門、メヴラーナ門、そしてエーリ門には、もう普通車しか通行できなくなる。広域市職員は、門を普通車のみ通過できるようにするために必要な物理的な整備を行い、交通標識を用意する。城壁門の周囲には電子データシステムのカメラが設置される。必要な整備の後、歴史的な城壁門を普通車以外で通行した大型車両の所有者には罰則が適用される。
イスタンブル広域市交通整備委員会は、ジバリ門、アヤ門、イェディクレ門、ベルグラード門、スィリヴリ門、メヴラーナ門、そしてエーリ門で行った調査で、門を大型車両が通過する際の接触や摩擦による破損があると明らかにした。門の壁面の石が剥がれ、アーチや門の周囲にはひびや割れ目ができ、漆喰は剥げ落ちていると報告された。ジバリ門の金閣湾側にあるアーチは完全に崩れているという。歴史的な門の被害を繰り返さないために、大型車両が与える被害について対策をとる必要があると委員会が指摘したことを受けて会議が催され、「歴史的半島(旧市街)」にある7つの城壁門では普通車以外の通行を認めないことが決定された。
■歴史的な城壁門
・ジバリ門:エジプト君主カラウーンの師であり、馬の毛のガウン(ジュッベ)を着たために「ジェベ・アリ」として知られる人物が、イスタンブルを攻撃した(ときの)門。
・アヤ門:イスタンブル征服の際、「アヤデデ」という名の人物が300人のナクシュバンディ教団メンバーとともに門の近くに埋葬されたことからこの名がついた。
・エーリ門:「曲がっている」というこの名の門からテクフル宮殿に入ることができる。トプカプ宮殿の宝物の中で最も高価なカシュクチュ・エルマス(スプーン屋のダイアモンド)は、ここのゴミの中から発見された。
・スィリヴリ門:ビザンツ時代には「ペゲ・カプス(門)」と呼ばれていた。メフメト2世の包囲の際には、この門の向かいに3台の大砲が据えられた。
・メヴラーナ門:オスマン時代にここにあったメヴラーナ教団の修道場にちなんでこの名がつけられた門は、イスタンブル征服の後に設けられた。
・イェディクレ門:門の内側のアーチに描かれた双頭の鷲のレリーフが目を引く。イェディクレカプからベルグラードカプまでには11の櫓がある。
・ベルグラード門:城壁門の中で2番目に大きな門。ベルグラード門と呼ばれる理由として、立法者スルタン・スレイマンがベルグラードを征服した後、連れてきた職人たちをここに住まわせたことが挙げられる。
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( 翻訳者:杉田直子 )
( 記事ID:26722 )