KCK裁判、エルサンル教授ら釈放
2012年07月14日付 Radikal 紙


PKKの市部組織といわれるクルディスタン社会連合(KCK)への捜査において逮捕されたビュシュラ・エルサンル教授が釈放された。エルサンルと拘束されていた15人は、22時に刑務所から釈放され、彼らの愛する者たちと再会した。

 PKKの市部組織といわれるKCKに対する捜査で140人の逮捕者と205人の容疑者に関する訴訟の第8回目の公判で、裁判所は、4時間の休廷後に暫定的判決を述べた。

 イスタンブル第15重罪法廷により公判は、シリヴリ刑務所の隣にある大きなサロンで行われた。裁判所は、ビュシュラ・エルサンルを含めた計16人の被告の釈放を決定した。ビュシュラ・エルサンルは、KCK捜査において2011年11月1日に逮捕されていた。

 逮捕されたビュシュラ・エルサンル、ケマル・カラギョズ、キャーズム・シェケル、ビュシュラ・ベステ・オンデル、ジャンシャ・チェリキ、エルドアン・バイサン、 メデニ・デミルカプ、ゼキイェ・アユク、ジュネイト・オジル、ビルギュル・アルヴァス、スナ・ヴァルサク、イブラヒム・エトヘム・ユルドゥズ、メフメト・ス ウドク・クメキ、ウウル・タシュデミル、ニザメッティン・オズメン、そしてムスタファ・イペキの勾留期間、証拠の存在、施行となった第6352号の諸条項にしたがい、容疑者たちの罪状が変わる可能性に配慮し、釈放を決定した。担当の裁判官たちは、他の逮捕者たちの勾留状況継続を決定し、今後の公判が2012年10月1-9日の間に行われると公表した。

■長く嫌悪を内包した起訴状

 ビュシュラ・エルサンル教授を含めた計16人は、22時に刑務所から出てきた。エルサンル氏は、刑務所から出ると短い会見を行った。同氏は、会見で次のように述べた。

 「非常に長文で、全体として私たちが理解できない、私たちに対する非常に多くの嫌悪を内包した起訴状が作成された。

 起訴された者の大半はBDPメンバーである。友を残していくことになり、悲しい。自分たちの釈放はうれしいが、友人の多くを残していくことになった。皆の状況は一緒だ。

 母語での教育の訴えは、近い未来に実現すると考えている。これが最も信用できる方法である。母語で自身の意見を言い、母語を学ぶことは、この国で最大の安全保障である。

■エルサンル「釈放を望んだことを恥じている」

 エルサンル氏は、公判での抗弁で検察側が自身の犯罪を立証するため提出した証拠が全て会議でのメモや研究に関するメモ書きであると述べた。同氏は、年間に100近い会 議に参加し、社会民主主義と社会主義者系の多くのグループ活動に参加したとも述べた。また、BDPの政治アカデミーで行った氏の授業がPKKのメンバー確保に向けたものとの嫌疑を否定し、BDPへの加入理由を「解決策を生みだす選択肢となる活動に協力することを望んだ」ためとした。

エルサンル氏は、起訴状で証拠として示された記録の一部分は、政治アカデミーの講義に関係するものであるとし、「自宅から持ち出された記録はすべて会議の記録である。そのうちの大部分は、アカデミー会議に関するものであった。BDPに入った理由は、トルコ人同化計画に関係している。方法として暴力を用いることを、まったく信用していない。釈放してほしいといったことを恥じている、無罪放免にしてほしい」と続けた。

■トルコ語での抗弁でも釈放なし!

 公判を傍聴していたコライ・チャルシュカン記者は、判決後、次のように報告した。

 「判決を述べるとき、法廷に傍聴人を入れなかった。容疑者の家族でさえ、入れなかった。判決が下った後、釈放される人でさえ、100人を超える容疑者が夏を刑務所で 過ごすため、気分は良くなかった。裁判所は今後の公判を10月1-9日とした。クルド語での抗弁を望んだ人のため、大きな議論の起こった公判で、トルコ語での抗弁を行ったデルヤ・アスラン、ギョニュル・エルデム、イディル・エルデムが釈放されなかった人々の中に含まれた。ビュシュラ・エルサンルの釈放の判決は、“ハイクラスの幹部”であるとされる人物の釈放という意味で、KCK裁判にとって非常に重要な出来事である。

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( 翻訳者:甲斐さゆみ )
( 記事ID:27007 )