ディヤルバクル、19のクルド語公園名を裁判所棄却
2012年07月22日付 Radikal 紙


(地方行政)裁判所は、ディヤルバクル広域市の19か所の公園のクルド語名称を「反道徳、分離主義、外国語の名称は付けない」との管理規則の例を引いて撤廃した。

ディヤルバクル広域市の中心カヤプナル区の区議会の文化センターに付けられたクルド人詩人名「ジゲルハウィン」と、19か所の公園につけられたクルド語名称は、地方行政裁判所によって無効とされた。
ディヤルバクル市の中心カヤプナル区自治体によって4年前に開館し、タイイプ・エルドアン首相もディヤルバクルでおこなった演説でその名称を口にした、著名なクルド人詩人ジゲルハウィンの名前を冠した青年文化センターには、演劇、音楽や歌のレッスン教室、コンピューター室、映画館、図書館、会議室があり、街で最も大きい若者向けサービスエリアである。区議会が2009年に採択した決議によりこのセンターにはジゲルハウィンとの名称が付けられ、その承認のためカヤプナル郡知事に (同決定が)送られた。
これに対し、郡知事は「ジゲルハウィン」という名称がトルコ言語協会(TDK)の辞典に載っておらず、外国語の規則で構成されていると指摘し、撤廃を求めた。それに対し、区議会の方も「ジゲルハウィン」との名称を強く支持し、新しい決議を採択し、郡知事に送った。郡知事はこれを受け、ディヤルバクル地方行政裁判所へ区議会の決議を無効とするよう訴えた。裁判所も「ジゲルハウィン」との名称はトルコ言語協会の辞典に載っておらず、外国語の規則で構成されているとし、この名称をつけることを無効とした。

■「33クルシュン」も無効

ディヤルバクル第一行政裁判所は、ゼムビルフィロシュ公園、33クルシュン公園、デルウィシュ・エウディ公園、ネフェル公園、ダラシュン公園、ベザル公園、ジワン公園、ソシン公園、ジヤナン・アザド公園、アシティ公園、エック・ギュラン公園、ベイブン公園、シラン公園、ロシュナ公園、ロジュビン公園、ロジュダ公園、ベルフィン公園、ギュルシュタン公園、ロシャン公園の名称も同様の理由により変更を求めた。
裁判所は、2006年7月31日付けの官報第26245号で公布され発効した住所と付番に関する規制の、命名及び付番において遵守すべき原則と題された第24項に記載されている、「街区、通り、大通り、並木通り、広場などの場所の名称は、憲法の基本原理と有効な法に準じ、一般的に反道徳でなく、差別主義と分離主義に道を開く性質で確定されてはならない。外国語の規則に従って構成された単語や連語によって醜悪で、汚く、おかしな名称をつけてはならない。外国に関連する名称をつける前に外務省に適切な見解を伺う」という表現に言及した。

■弁護士が不服申立て

さらに裁判所は、トルコ言語協会の2011年5月23日付の第2440号の文書に注目し、「ジゲルハウィン」との名称はトルコ語でなく、トルコ言語協会の辞典に載っていない外国語の規則によって構成されている一つの単語であると述べ、この名称は青年文化センターには付けられないとの判決を下した。それに対し、カヤプナル区自治体の弁護士は行政裁判所へ申請を行い、裁判所の判決に不服申立てをした。

■エンサリオール議員:判決は国内の平和を乱す

公正発展党(AKP)でディヤルバクル県選出のガリプ・エンサリオール国会議員は、裁判所の判決に厳しく反応し、以下のように話した:
「世界が到達した地点、トルコが向いたい地点を読み取れない裁判官は、未だに、このような反民主主義的判決に署名することができます。今日までこの行政裁判所は、英語あるいはフランス語のいずれの名称も無効とし、クルド語の名称も無効としています。その場合、(裁判所は)これは外国語ではなく、「敵の言語」だといえばよい。クルド語のある名称を無効とすることに、裁判官は何ら制限がありません。ある言語が禁止されないときでも、クルド語であることは、何らかの理由により禁止されるのです。この判決は、トルコの国内の平和と同胞愛を乱すことになります。」

■ハッキャーリの高等学校にクルド語の名称:チョレメリク

ハッキャーリ大学付属の職業訓練高等学校の名称が街のクルド語名称である「チョレメリク職業訓練高等学校」に変更された。学長からの文書での発表では、1988年にヴァンのユズンジュ・ユル大学の付属として開校した同校は2008年からハッキャーリー大学の傘下に入ったことに言及し、以下のように記されていた:「ハッキャーリー大学学長は、2012年6月7日付でハッキャーリー職業訓練高等学校の名称が「チョレメリク職業訓練高等学校」に変更する目的で、高等教育機構総会へ提案を行いました。高等学校教育総会によって検討が行われた結果、学校の名称がチョレメリク職業訓練高等学校に変更されることは適切とされました。同校では今年、園芸、銀行業、保険業、コンピュータプログラム、電気、電子技術、伝統工芸、建設技術、制御・オートメーション技術、実験助手と獣医、会計と税務実務などの分野で学生を集めます。」


■ジゲルハウィン:クルド語のナーズム

著名なクルド人詩人のジゲルハウィンは1903年、マルディン県ゲルチャシュ地方のある村で生まれた。数百の詩からなる10冊の詩集、多くの短編小説、クルド文化と歴史に関する研究や辞書の仕事などがある。ジゲルハウィンについてはクルド民族を代表する詩人との形容がふさわしいと考えることができる。ロルジャ、ネルダ、ブレチトとナーズム・ヒクメトと同じ系統である。貧困の中に育った。かつては労働者として鉄道で働いた。宗教教育を修めるためにディヤルバ クルへ行った。その後、クルド人が暮らすすべての地域を歩き、人々の苦悩、貧困を見た。そして、これらを詩的美学の中で、素晴らしい抒情詩で表現した。27歳でイマームの資格を手放した。シリアへ行った。そこでクルド青年会を結成した。1946年に共産主義に出会った。逮捕され、拷問された。友人らとともに組織アザディを結成した。その直後、イラクのバグダッド大学でクルド語の講義をおこなった。イラク政府とクルド人の間の不和が生じてイラクの国境外へ出た。シリアへ行った。しかし、シリア政府の圧力により、スウェーデンへ行かねばならなかった。1984年の彼の死まで、そこで暮らし、最後の瞬間まで詩を書き続けた。ジゲルハウィンは幅広く詩を書いた。彼の詩では、階級闘争からクルド民族主義へ、そこから平和、兄弟愛、愛情、人間に関するすべてのトピックを題材とした。

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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:27111 )