アサドの元側近でスンナ派大物軍人、極秘にアンカラ訪問
2012年07月26日付 Hurriyet 紙
アフメト・ダヴトオール外相は、反体制派側についたシリアのメナフ・トゥラス元少将とアンカラで会見した。ダヴトオール外相とトゥラス氏の会談は、外相公邸で行われた。イフタール(断食後の食事)ではじまった会見は1時間続いた。トゥラス氏は、イフタールの食事ののち、乗ってきた飛行機でトルコから離れた。
しばらく前にシリアを脱出してサウジ・アラビアに逃げていたメナフ・トゥラス氏は、本日(26日)、密かにアンカラを訪問した。ダヴトオール外相は、トゥラス氏と外相公邸でイフタールの食事を共にした。
■アサドの右腕
メナフ・トゥラス氏は、シリアの名門スンナ派一族のひとつの出身で48歳。少将の位にあり、ハーフズ・アサド元大統領の2000年の死後、息子のバッシャール・アサドの右腕として活躍した。シリアの元国防相ムスタファ・トゥラス氏の息子であるマナフ氏は、バッシャール・アサドと子供のころからの友人である。両者の信頼関係は強く、そのおかげで、メナフ・トゥラス氏はシリアの共和国防衛司令官の地位まで出世した。バッシャール・アサドは、重要な決定をする前には、常にメナフ・トゥラス氏に相談していた。
■アサドを、改革のチャンスと見ていた
トゥラス少将は、バッシャール・アサドを、シリアにおける改革の開始のための一つのチャンスと考えていた。しかり、トゥラス氏は、アサド政権が市民に向けた軍事策背を開始するとそれに反対し、7月のはじめに、23人の軍人とともにトルコに亡命した。トルコ経由でパリに向かい、そこで暮らす家族と合流したトゥラス氏は、一時期、サウジアラビアにおり、そこからアンカラに来たことが判明した。
■「シリアでは、国家打倒ではなく、政権打倒を」
メナフ・トゥラス氏は、シリアの反体制派がシリア国家評議会Suriye Ulusal Konseyiのもとにまとまり、国家ではなく、政権が打倒される必要があると主張している。シリアの将来のために、シリアの国家組織が存続する必要を唱えており、アサド後のシリアで、暫定的な国家元首となりうる人物の一人とみられている。メナフ・トゥラス氏の一族の一部は反体制派に属しているが、別の一部は、アサド体制を支持している。
■フィダンMIT事務次官も同席
ダヴトオール外相とトゥラス氏の食事には、国家諜報局ハーカン・フィダン事務次官と外務省中東担当事務次官ハリト・チェヴィキ大使も同席した。チェヴィキ大使は、トゥラス氏を在シリアトルコ大使時代からよく知っているという。イフタールの食事は、大統領公邸の反対側に位置するクルラングチ通りの外相公邸で行われたが、非常に厳しい警戒態勢がとられていたのが目をひいた。
(本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介
されています。)
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( 翻訳者:和泉由美子 )
( 記事ID:27146 )