平和の船(ピースポート)の日本人、歓迎の出迎えなく・・・
2012年09月23日付 Radikal 紙


日本で1945年に広島・長崎への原爆投下から奇跡的に助かった4人を含む800人の核兵器反対の平和主義者がピースボートでアイドゥン のクシャダス郡を訪れた。各国で地元の自治体の関係者や市民団体に歓迎された平和ボランティアは、クシャダスでは誰にも出迎えられなかった。

日本の横浜港から出発したピースボートは、ベトナム、シンガポール、インド、イスラエルの後、原子力発電所建設の準備にあたっているトルコへと向かった。日 本で核兵器の放棄のために活動している、シンクタンク・ピースデポに属するピースボートは、1945年の広島・長崎への原爆投下から奇跡的に助かった4人を含む800人の平和ボランティアと共にクシャダス港に停泊した。この核兵器保持に反対する平和ボランティアたちは訪れた国々で地元の有力者や市民団体に歓迎されたが、クシャダスでは誰にも出迎えられず、自分たちの体験を誰とも共有できなかった。

朝クシャダス港に到着した平和ボランティアの一部は、エフェソスと聖母マリアの家を訪れる一方、一部はクシャダスを観光した。平和ボランティアのスポークスマン、エガシラ・カズさんは訪れた国々で核のない世界を求めてきたと語り、「原爆の経験者たちが自らの体験を語っている。同様の災難を、日本で2011年の地震の後に起こった津波が福島の原発を襲った後に経験した大学生たちが、自らの体験を語っている」と述べた。

■「1カ国でも戦争を始めれば、全世界が崩壊する」

広島と長崎への1945年の原爆投下から奇跡的に助かった、日本で「被爆者」と呼ばれる4人の日本人が自らの体験を語った。広島に原爆が投下された日、 16歳だったというミヤケ・ノブオさんは、世界で核兵器保持が急速に拡大していることは憂慮されると強調した。ノブオさんは今日世界には2万発以上の核兵器 があると指摘し、「このような核兵器を所有する国々の内の一つが戦争を始めれば、全世界が崩壊する。私たちはこれを経験した。このことを全世界に知らせた い、説明したい。これほどの爆弾を持つことはおろか、地上に一つでも原爆が存在することは非常に悪いことだ。本当の問題は世界で最も多くの核を生 産する2つの国、アメリカとロシアにある。両国は自ら武器を減らすことに賛成はしない。この状況に市民は反対するべきだ。このような目的で毎年何度かアメリカを訪れ、若い世代に核がどれほどひどいものであるかを伝えようとしている」と語った。

広島の原爆投下を経験した技師のナガヤマ・イワオさんは、核兵器の最初の実験をした国々は多くの犠牲者を出したにもかかわらず、この武器の生産を続けたと強調 した。イワオさんは「アメリカが初めてこれらの兵器を実験した時、多くの人が亡くなった。中国とロシアでも同じ状況となった。これらの国々はこの現実を隠そうとしている」と述べた。

■「一人の母親として・・・」

被爆者の一人、ツチダ・カズミさんは戦争後最も泣いたのは母親たちであり、一人の女性としてこの状況を非常に良く理解していたと述べ、「一人の母親、一人の女性としてトルコの平和を祈っています。全てのトルコ人女性が平和に暮らす事を願っています」と述べた。

スギノ・ノブコさんも2人の子供を亡くした母親の子供として、全世界の平和を祈っていると述べた。

■学生たちの警告

同様の災難を、日本で2011年の地震の後起こった津波が福島の原発を襲った後に経験した大学生たちは、原発建設の準備に取り組んでいるトルコに警告した。日本人学生はトルコの政府関係者たちに「原子力はいかなる形でも制御できない。トルコが福島の事故の後もまだ原発を建設する事を望むなら、その地域の 人々に十分に情報を提供し、起こりうる危険を知らせなければならない」と訴えた。

ピースボートはギリシャのピレ港へ向かうため、クシャダス港を離れる予定であるとされた。

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介
されています。)

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介
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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:27688 )