アルジェリア:第7回全国プロフェッショナル劇場祭より
2012年10月03日付 al-Hayat 紙
■ 独裁者、自らを「不滅」にする死体を発見できず
2012年10月3日 水曜日『アル=ハヤート』
【アルジェ:ラナー・ザイド】
劇場は、現在あるいは過去の積み重ねである社会をその脚本から分けることはできない。あるいは、翻訳、借用した他の脚本を再編したものからでさえも、分けることはできないのだ。アルジェリアで行われた第7回全国プロフェッショナル劇場祭は、地元社会的な脚本をなおざりにしていた。ただ、いくつかの作品は例外で、それでは一般社会のディテールとそれに対する分析的な伝統的考察が交錯していた。おそらく、アルジェリアの現在と過去を問題にした、ただ一つの脚本はムラード・サヌーニスィーの「紙の女」だろう。これはアルジェリアの小説家ワースィーニー・アル=アアラジュの小説「蜃気楼の女」を借用したものである。
同祭の審査委員会(委員長はアルジェリア人のアフマド・フーディー氏)は最後に、17の地元劇が参加した公式コンペティションの各賞を発表した。演出家ルトゥフィー・ブン・サブウによる演劇「実際に起きたことの仮定」(ウンム・アル=ブワーキーの地方劇場による)は最優秀上演賞を獲得した。この劇は「悲喜劇」手法を用いて、独我論以外のいかなる弁明もない、世界の独裁や狂気的軍事抗争という問題を扱っている。劇の出来事は、劇中の「元帥」の願いを要約している。その願いとは、埋葬を待つ身元不明の死体を見つけ、その死体や身元不明の兵士を不滅にするというものである。1体も発見できないと、生きている兵士を選び、歴史に残るというバカげた方法で彼を説得させようと努める。しかし、兵士が拒んで死にたくないと訴えると、その兵士は歴史ではなく墓に入ることを悟る。元帥は道化的で暴力的な争いの解決方法として、ただ新しい戦争を宣言する。そして勝利すると、見つけるのはただ、自分が戦った相手の死体で、自分は1人の兵士も失ってはおらず、自分の前には敵の死体しかない。そこで、その死体を不滅化することで満足する。しかし死んだと思われた死体が突然目を覚まし、交渉を拒んで反抗し、元帥の部下の手から逃亡する。
劇は確実に観衆を満足させた。戦争の現実の分析が単純だからだ。特に、国々が無配慮に、平和を好む弱い他国に対して行う戦争に関してである。元帥は自身の後ろに、手足のない破滅した正気を失った人形を置き、自分を不滅にする象徴、つまりひとりの犠牲者を探していたが、見つけられない。この元帥の役で、俳優のヒシャーム・カルカーフが最優秀男優賞を受賞した。
一方、スキクダ劇場の「王は遊ぶ」の脚本に関して、その著者のムハンマド・ブー・リフラ氏が最優秀原作賞を受賞した。それは、「実際に起きたことの仮定」と同様の争いの問題を語っている。また最優秀女優賞はナーディヤ・ラアリーニーが「紙の女」の役で受賞した。この役で、ラアリーニーは現代のアルジェリア女性の典型を表現した。その女性は有名な小説家との結婚を通じて、自分の地方性とアルジェリア文化中央からの影響とを合わせもっている。作家夫人は、自らの東洋性と闘い、自分の環境のヨーロッパ文化への開放と闘う女性の例えになっている。そして彼女は、暗い過去に従って自身の精神世界を動かす。それは、一部の教養人を不信の非難や浄化に晒した暗い時期に、彼らの運命について回ったものである。
同祭の審査委員会が発表した提言のなかに、最優秀上演賞を受賞した劇が他の賞を受賞することを可能にすること、とあった。また「観衆賞」の設置、先行上演で芸術的要件を必要とする選抜作業後に上演選考する必要性を提言した。委員会はそれぞれの上演後に、即時審査を行い、それから4作品ごとに審査し、第3次、最終審査は全て同時に行っていた。
「カーリマ」劇場は2つの賞を受賞した。1つは演出家アフマド・リザーク氏による「ローマの春」の演出に対して、そして、同作品の作曲家サーリフ・アッ=サービイーへの音楽賞である。それにより、審査員たちは、演出の観点から、演出家ハールーン・アル=キーラーニー氏による劇「さあ何をしよう?」(シジベルアベスの地方劇場による)を見過ごした。彼は、詩的かつ夢幻的な方法による独自の演出法を打ち立てた。これは素早く濃密な演劇のきらめきに基づくものであり、短い演劇の表現と釣り合うものであった。
(後略)
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( 翻訳者:渡辺亜実 )
( 記事ID:27760 )