新設ルーブル博物館イスラム芸術展示、タイルはすべてトルコから
2012年10月28日付 Radikal 紙


フランスのルーヴル美術館のイスラム芸術展示室で先月始まった展示のタイルは全てトルコからのものだという。文化観光省からこの展示に非公式に送りこまれた2人の職員が撮った写真で、ピヤレ・パシャ・モスクから19世紀末に盗まれたペディメントが確認された。ラディカル新聞は同じ写真に写っている他のタイルについても調査し、どの建築物から盗まれたのかを一つ一つ突き止めた。展示されている貴重なタイルは過去にセリム2世やムラト3世、 エユップ・スルタンの廟や、マフムード1世図書館、ピヤレ・パシャ・モスクから盗まれた作品である。イスタンブルのカスムパシャ地区にある、スルタン・セ リム2世の婿の一人で提督の、ピヤレ・パシャによって彼の名において1573年に建てられたモスクは、当時最も美しいイズニク・タイルによって装飾されていた。タイルは特にモスクのミフラーブとミフラーブ壁の下にある窓の上部にあるものだった。ミフラーブの上の2段目と3段目の窓の間にはカリグラフィーの帯状タイルもあった。しかし、ミフラーブのところにあった全てのタイルと窓の内側にあったタイル板は、現在そこにない。2012年9月22日に開かれたルーヴル美術館イスラム芸術展示室にはこのモスクのものである三つのタイル板が展示されていることがわかった。しかしルーヴル美術館はこの作品がピヤレ・パシャ・モスクのものだということを否定している。

ルーヴル美術館内に新しいイスラム芸術展示室を開設するための最初の取り組みは2002年10月14日に始まった。開設費用の半分以上はイスラム諸国からのものである。サウジアラビアは2200万ドル、モロッコ、クウェート、オマーン、アゼルバイジャンは3300万ドルを寄付した。

文化観光省は展示が始まった後、どの作品がトルコのものであるかを明らかにするため、職員2人を派遣した。そして作品の写真と出所が記録され、エルトゥールル・ ギュナイ大臣に報告された。報告書はルーヴル美術館のヴィスコンティの中庭の2800㎡の土地に建てられた展示室に、ルーヴル美術館の1万5千点のコレクションのうち3千点と、ミュゼ・デ・アート・デコラティフ(パリ装飾芸術美術館)のコレクションのうち3千4百点が展示されており、7世紀から19世紀までのイスラム文明を映し出す陶器、ガラス、ミニアチュール、建築といった芸術作品が展示されていることを明らかにし、トルコからも多くの作品があると記された。また展示で撮られたある写真では三つのタイルがピヤレ・パシャ・モスクのものであるとされ、次のような情報が載せられた:

「このモスクの、現在は紛失してしまった(全八列のうち)六列の窓の上にある尖ったアーチつきのパネルについての報道で;パネルの一つがベルリン国立美術館、一つがポルトガルのカルースト・グルベンキアン財団コレクション、三つがパリのルーヴル美術館とパリ装飾芸術美術館、ボストン美術館、六つ目のパネルがウィーンの美術館にあるとされている。しかしこの他の二つのパネルがあるのかどうか、あるとしたらどこにあるのかは知られていない。問題のパネルのうちの一つには全く同じものが存在するということが知られており、私たちが行った調査ではルーヴル美術館に開かれたイスラム・セクションで、この美術館にあるピヤレ・ パシャ・モスクのものである二つのペディメントタイルの隣に、パリ装飾芸術美術館にあるこのモスクのタイル板も移されたこと、新しい展示で三つ目のパネルも展示されていることを確認した。パリにある1点のペディメントの他に、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館でピヤレ・パシャ・モスクのタイル板1 点が展示されていることが分かっている。」

■ルーヴルは認めない

ルーヴル美術館のカタログにはピヤレ・パシャ・モスクのペディメントについて次のように記してある:

「イスタンブルを旅行で訪れた芸術史学者のゲルマイン・バプストによって1899年5月13日に美術館に寄贈された。タイルのパネルは長い間ピヤレ・パシャ・モスクのものだと考えられていた。モスクの最近の修復で壁にはこのパネルが置かれるのに適した場所がないということが分かった。タイルがこのモスクから来たものであるという説は伝説なのだろうか?」

文化観光省によると、タイルは確実にピヤレ・パシャ・モスクのものだという。これに関して科学的な調査が始まった。タイルが盗まれた場所は手書きの装飾で埋められている状態である。就任以来国外にある作品の返還に努めているエルトゥールル・ギュナイ文化観光相は現在これらのタイルの返還に取り組んでいる。以前にはルーヴル美術館に対し、アヤソフィア博物館の庭にあるセリム2世の墓のタイル板の返還が求められたことがある。

■修復の名のもとに盗難

ルーヴル美術館のペディメント以外の他のタイルの大部分はアルベール・ソルラン・ドリニーによって盗まれた。セリム2世とムラト3世の廟やマフムード1世 図書館のタイルも同時期にドリニーによってフランスに秘密裏に持ち出された。イスタンブルで歯科医をしていたドリニーは1894~1898年の間、廟と図書館の修復のために4年間働いた。ドリニーはオスマン帝国から頼まれた修復の代金を手にする一方、何百ものタイルを国外に持ち出した。展示されているエユップ・スルタン廟のタイルはフランス人歯科医ジャン・バリによって1919~1920の間に国外に持ち出された。

■ルーヴルで最も過激なデザイン

一方、イスラム作品展示室はマリオ・ベリーニ氏がプロジェクトを手掛けた。建物はI.M.ペイ氏によって1989年に建設されたピラミッド以来これまで ルーヴル美術館の中で最も過激なデザインだとされている。展示されている作品の大部分に宗教的な要素はないが、中にはキリスト教徒やユダヤ教徒によって作られたものもある。

■8つのペディメントがあった場所には手書きの装飾

カスムパシャ地区にあった1573年時点のピヤレ・パシャ・モスクは全体がイズニクタイルで装飾されていた。ミフラーブ壁の下部の窓の上は「ペディメント」と呼ばれるタイルで装飾されていた。これらのタイルのうち八つが盗まれ、アメリカやヨーロッパの美術館に持ち出された。うち三つはルーヴルで発見された。タイルがあった場所には現在手書きの装飾が施されている。セリム2世廟から盗まれたタイル板も同様にルーヴル美術館で展示されている。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:28060 )