エジプト:タワドロス新総主教、日曜のミサから教皇の座へ
2012年11月05日付 Al-Ahram 紙


■エジプト:タワドロス新総主教、日曜のミサから教皇の座へ

2012年11月5日『アル=アハラーム』

コプト正教会の新総主教に就任したタワドロス2世を知る人は皆、彼が明快かつ的確であり、全ての手順に科学的な見方を適用すると証言する。彼の元の名はワギーフ・ソブヒー・バーキーといい、1952年11月4日生まれである。

彼を愛する人々は、くじ引きの日が昨日、すなわち彼の誕生日と同じ日である2012年11月4日日曜日に決定されたことは、彼がアレクサンドリア教皇および聖マルコ大主教管区総主教に選出されるであろうという天から示された最初の兆しであったと考えている。

新教皇の家族は、測量技師である父と主婦の母、2人の妹であり、上の妹はおよそ3歳年下で下の妹は11歳年下である。1957年に一家は仕事の関係でソハーグ市へ引っ越し、同市でタワドロス2世は小学校に入学した。そしてここから教会とのつながりが始まった。彼は子どもの頃、ソハーグの神父たちの一人であるシェヌーダ司祭の車に乗って日曜学校に初めて通ったのである。そして1961年には一家は再び父の仕事の関係でダマンホール市へと引っ越した。タワドロス2世は、小学校の教育を終えるためダマンホールのコプト学校に入学した。当時その学校の校長はキリロス6世(訳注:第116代コプト正教会総主教)の姉妹であるシャフィーカ校長であった。同校長はタワドロス2世がとても小さかったにもかかわらず支援を惜しまなかった。

タワドロス2世はアレクサンドリア大学の薬学部に入学し、1975年に卒業した。そして1985年には彼の優秀な業績を評価して世界保健機構(WHO)に選ばれて奨学金を得、イギリスのオックスフォードにあるWHO研究所のフェローシップを受けた。

エジプトに戻った後、タワドロス2世は1986年8月20日に修道士見習いとして修道院に入り、1988年7月31日にはシェヌーダ3世の手により修道士に任命され、名前をビショイ修道院のセオドールと改めた。当時、修道院の薬局の仕事を担当していた。その後1997年6月15日にはシェヌーダ3世により主教に任命され、名前をタワドロスと改めた。そしてボハイラ主教区の府主教であるバホミユース主教の補佐という職務を任せられた。バホミユース主教は、今年3月17日にシェヌーダ3世が逝去した後、総主教代理の職務を果たしていた人物である。

タワドロス2世は、シェヌーダ3世がそうであったように教皇が祖国の安全弁であり続けることが必要であると考えており、祖国を共にする兄弟であるムスリムとの関係を強化しなければならないこと、そしてコプトの要求は教会を通して提起されてはならず、むしろ一般的な形で社会を通して提起されなければならないことを指摘した。そして西洋への移住を志向するコプトが自らに関して、そして彼らの祖国に関して大きな間違いを犯している、なぜならば祖国は全員を受け入れ育む場所であるからであると述べた。

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介
されています。)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:三代川寛子 )
( 記事ID:28142 )