殺害された日本人記者と同行していたトルコ人記者、シリアから解放
2012年11月18日付 Radikal 紙


共和人民党(CHP)議員の働きかけで解放された新聞記者のジュネイト・ウナルさんは、ハタイ県ヤイラダー郡の国境門からトルコに帰国した。

アレッポで取材中、断食明けの祭のときに拘束され、90日もの間、閉鎖された独房で解放を待っていたジュネイト・ウナルさんが、昨日ダマスカスで解放された。ウナルさんは解放後、自分を救ってくれたCHP代表団とともにハタイのヤイラダー郡にある国境門からトルコに帰国した。妻のヌラン・ウナルさんとの再会はカメラから離れた税関の中の一角で実現した。ウナル夫妻は会見を行った際、時々抱きしめあい、すすり泣いた。

ジュネイト・ウナルさんは、CHPハタイ県選出の国会議員レフィク・エルユルマズ氏、メヴリュト・ドゥドゥ氏、ハサン・アクギョル氏、アンカラ県選出の国会議員レヴェント・ギョク氏、人民の家文化協力財団(EHDAV)会長アリ・イェラル氏と数人の報道機関関係者からなる9人の代表団の尽力の結果、解放され、昨晩ダマスカスからラタキアに飛行機で移動し、その後ハタイの隣にあるこの街で夜を過ごした。安全面の理由により国境からトルコへの入国は、今日に決定された。ラタキアから30分で 国境のヤイラダー国境門に到着したジュネイト・ウナルさんは、涙を隠すためにしばしば顔を手で覆い、時々隣にいる国会議員の手を握り、歩こうと努めた。

シリアで拘束されてから90日目に解放された新聞記者ウナルさんが入国するヤイラダー国境門では、昨晩からの緊張に満ちた静けさが、本日11時頃に喜びの声に変わった。オルハン・マルディンリ副知事を代表とする公式代表団や、出迎えの人々が待っている間も、シリア側では銃撃の音が聞こえていた。
ウナルさんとその同行者がパスポートコントロールのために税関の中に入ると、1分も待てないと話していたウナルさんの妻も裏口から建物に入った。

■90日誰とも話さなかった。

ジュネイト・ウナルさんは、税関で行った記者会見で、90日間独房にいたことを述べ、「誰とも話さなかったため、今でも話すことが少し大変だ。すいません。今はとても幸せだ。私は祖国に戻れた。解放された。何といっていいのかわからない。同僚に、国会議員、市民団体の代表にとても感謝している」 と話した。

ジュネイト・ウナルさんは、90日の間、広さ2㎡の独房に収監され、目を開けている時も閉じている時も向かいには冷たい壁を見ていたと強調し、「一枚の毛布でコンクリートの床に寝ていた。昨日初めて暖かいベッドで寝た」と話した。ジュネイト・ウナルさんが話している時、彼と同様にアレッポでの内戦を目撃し、同じ場所にいた日本人記者が手を伸ばし、ウナルさんを抱きしめた。

ウナルさんは、拘束されていた場所にこの日本人記者の妻のカメラだけが持ち込まれたところを見たが、彼女がどうなったかは知らなかったと述べた。またそばにいたパレスチナ人記者もどうなったかを知らないと述べ、しかしバッシャール・アサド大統領が、この新聞記者に関する調査を行わせており、24時間以内に返答がなされるだろうと話した。
ウナル記者の妻ヌラン・ウナルさんも、この90日間非常に心配して過ごしていたと話し、夫を自分に再会させてくれた人々と、待っている間、常にに寄り添ってくれた人々に感謝した。

■救出した代表団は何と言ったか。

ウナルさんを救出するために尽力し成功した代表団を代表してCHPのレフィキ・エルユルマズ議員は次のように述べた:

「私達は二人(ジュネイト・ウナルとベシャル・フェフミ・カドゥミ)のために行った。カドゥミさんについては全く知らないと彼らは述べた。私達は24時間以内に情報がもたらされることを待っている。この働きかけにおいて、全く政治的な不安や利益はなかった。私達を支持してくれた皆様とケマル・クルチダルオール党首にとても感謝している。今後もトルコの新聞記者が自由に活動できるように少しでも貢献したいと私達は考えている。」

■そばで亡くなった日本人記者の夫も来た。

約3カ月前にシリアで殺害された日本人記者、山本美香さんの夫で、同じく記者であり、(山本さんが殺害され、)ウナルさんが拘束された時にその場にいた佐藤和孝さんは、解放されたトルコ人記者ジュネイト・ウナルさんを出迎え、話しをするためにヤイラダーの税関の中に入った。そこでジュネイト・ウナルさんがトルコに戻るのを待っていた佐藤さんは、新聞記者に行った会見で8月20日にキリスからシリアに入ったことを述べて次のように続けた:

「私と妻とジュネイト・ウナルとバスハル・フェフミ・カドゥミは撮影を始めた。この時軍服を着た兵士の一団が私たちに近づいた。兵士たちが私達に10~15mほどのところまで近づいた時、妻は私の左側にいて、ジュネイトとバスハルは右側にいた。そして突然衝突が始まった。最初3、4度銃声を聞いた。銃声はその後も続いた。私は逃げた。妻とジュネイトとバスハルがどこにいたか私はわからなかった。私は建物に身を隠した。妻の遺体をトルコから日本に移送した後、その遺体に9カ所の弾痕があることを知った。」

その衝突で何が起こったのか、妻がどのように殺されたのかをジュネイト・ウナルさんから聞きたかったと述べた佐藤さんは、次のように続けた:

「ジュネイトがそこで何を見たのか。何が起こったのかを説明して欲しい。妻が亡くなり、私はとても悲しんでいる。しかし、ジュネイトが無事に戻れたことは嬉しい。彼が生き延びたことは喜ばしいことだ。彼の家族もとても幸せだと思う。」

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:28283 )