2004年にトルコ語の授業を禁止したオランダで、現在、学校でトルコ語を話すことが禁止されている。多くの初等、中等学校運営者が採用した決定の後、学校にいる間は、校庭、廊下、教室、カフェテリアでトルコ語を使用する事が禁止され始めた。決められた禁止事項に抗議し、母語を話し続 ける学生は「校則に違反している」として学校側によって退学処分となっている。
何年も前に、トルコ語の授業を禁止したオランダで、現在多くの学校でトルコ語を話すことが禁止され始めている。校庭、廊下、教室、カフェテリアで、トル コ語の使用を禁止した学校運営者らは、違反した学生に対し、3回警告した後、退学処分とした。首都アムステルダム・コスミックス・モンテッソーリ高校の学 生であるデニズハン・ムラト・ウレスィン(18)は、学校側が取り決めたトルコ語の使用禁止に従わなかったとして退学処分となったとしている。
ウレスィンは、学校側の圧力のため、多くの学生がこの規則に異議を唱えず、黙っていることを強いられているとし、「私たちの学校には約500人の学生がい る。このうち生徒の70%がトルコにルーツを持つ。学校運営者が、学校にいる間、校庭、廊下、教室、カフェテリアでトルコ語を話すことを禁止した。私はこの 規則に抗議する。調べたところ、オランダで校則に「あなたの母語を話すことができない」という項目はない。実際、多くの学生はこの問題について話したいと望んでいる。しかし、彼らは退学処分になることを恐れて、黙っているのである。
■抗議をし続ける
私は決められた規則に従わなかった。何度も警告された。しかし、学長は私に、学校にいる間トルコ語を話さないことに関する書類にサインさせしようとした。しかし、私はその書類にサインしなかった。結果、学校側は私を退学処分にした。今、大変悲しい。自分の不利益も顧みなかった。法律の面から自身の権利を探ろうと思う。私の母語はトルコ語であるから、抗議し続ける。もし、自身が犠牲になろうとも、その心の準備は出来て いる」と述べた。
■母親は非常に悲しんでいる
母語を話したために、息子が退学になったことに抗議した母親、ガムゼ・スィベル・ウズン(44)は、「息子がトルコ語を話したため、退学になった。事実はこれだけだ。このことについて、学校側は2人の教師を私たちの家へ送り込み、息子に対し「デニズハン、学校でトルコ語を話すことは禁止されているのだ。君はこの規則に従わねばならない」と述べた。そして、息子を退学処分にした。このようにして彼らは息子の教育を受ける権利を取り上げた。彼らにそんな権利はないはずだ。私たちが自由の国オランダで暮らしているなら、このような禁止を設ける権利はない。苦しみが始まり、それ以降、家族として非常に悲しんでいる。何日も、何も口喉を通らない。何があっても自分の息子の味方だ。しかし、母語を話したからといって、息子の教育を受ける権利を息子から取り上げた、これが事実なのです」と述べ た。
トルコにルーツをもつ一部の生徒は、学校側によって決められた禁止事項を、オランダ語の習得という点から良いことだと評価する一方、学校教育に関する運営責任者であるピート・ヴァン・ダイク氏は、「オランダの公用語はオランダ語である。そう、学校にいる間は、私たちの学校ではオランダ語だけを話して欲しい。こうした規則を設けたのは私たちだけではない。オランダの至る所に私たちのような学校が ある。デニズハンはただ、トルコ語で話したためにこの学校から退学することになったのではない。今現在、このことに関し、多くの説明はしたくない」と述べた。
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( 翻訳者:細谷和代 )
( 記事ID:28326 )