ギュル大統領、1993年シヴァス、バシュバーラル事件解明を指示
2012年12月02日付 Zaman 紙


ギュル大統領の指示で、シヴァス事件を国家監査委員会が再調査することは大きな反響を呼んだ。公正発展党のセバハッティン・カラケッレ氏は、マドゥマクとバシュバーラルでの虐殺は分けることはできず、両事件とも同じ魔の手によるものだと話した。

トルコにとって1993年は、多くの犯人不明の事件と虐殺が起きた年となった。1993年5月24日にテロリストは、新兵訓練ののちに各部隊配属に向かってい た、非武装の兵士33名を殺害した。1993年7月2日にはシヴァスで、ピール・スルタン・アブダル祭の開催期間に、マドゥマク・ホテルが放火されて37人が焼死した。三日後の惨劇の舞台はバシュバーラルであった。エルズィンジャンのケマリイェ郡にあるバシュバーラル村で33人の民間人が殺され、村は放火された。残虐な事件は、一部の不穏分子が、アレヴィー派とスンナ派の衝突を引き起こすために引き金を引いたことを示していた。

アブドゥッラー・ギュル大統領は、一昨日、国家監査委員会にシヴァス事件を捜査するよう指示した。このことは大きな反響を呼んだ。クーデター調査委員会も国会に送った報告書で、シヴァス事件やバシュバーラル事件のような過去に起こった虐殺を、国会で委員会を設置して再調査するよう提案した。報告書を作成したメンバーの一人である、2月28日過程下部委員会の委員長で公正発展党のカイセリ県選出の国会議員ヤシャル・カライェル氏は、過去の社会的事件と政治的犯罪を必ずや再度、より詳細に捜査する必要があると述べた。カライェル氏は、「国家監査委員会がシヴァス事件に関して調査をしてはじめて、重要な情報が得られると信じている」と話した。

カライェル氏は、シヴァス事件では銃撃の結果亡くなった人もいると指摘し、以下のように述べた。「銃により、この人たちはどのように殺されたのか。シヴァスの外で行われていたこれらの会議が、なぜシヴァスの中心部で行われたのか。県や警察が望んだにもかかわらず、なぜ治安部隊に増強がはかられなかったのか。これらを詳細に捜査する必要がある。これらが明るみに出れば、トルコは過去の汚点に向き合うだろう。行政裁判所襲撃事件の理由が明らかになったように、シヴァス事件の裏にいかなる目的があったのかも明らかになるだろう。シヴァス事件とバシュバーラル事件のような暗い事件はすべて、再び一から捜査する必要がある。」

■目的はアレヴィー派とスンナ派の衝突を引き起こすことだった

公正発展党所属でエルズィンジャン県選出の国会議員セバハッティン・カラケッレ氏はギュル大統領を訪問し、国家監査委員会がシヴァス事件とともにバシュバーラル虐殺事件も捜査するよう求めると述べた。シヴァス事件の三日後に33人の市民がバシュバーラルで「残忍に」殺害されたとするカラケッレ氏は、「バ シュバーラルで殺害された人たちのところに、「シヴァス事件の復讐だ」というメモが残されていた。シヴァス事件の首謀者たちも、バシュバーラル虐殺事件の首謀者たちも、ともに(社会の)裏切り者で、脇役だ。目的はアレヴィー派とスンナ派の衝突を引き起こすことだ。二つの事件はばらばらに考えるベきでない。シヴァス事件は終身刑に処された31名がおり、バシュバーラル事件は犯人が不明だ。シヴァスで涙を流した母親たちも我が国の国民であり、バシュバーラルで涙を流した母親たちも(いずれも)我が国の国民である。シヴァス事件について語るときはバシュバーラルも忘れてはならず、一緒に捜査しなければならない」と話した。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:28421 )