イラン伝統音楽の研究者、イマームたちの悲劇を歌う「哀悼歌」の現代風アレンジを批判
2012年11月28日付 Mardomsalari 紙

 近々出版される予定のイラン音楽事典を執筆した、この分野の専門家の一人が、〔イマーム一族の〕死を悼む哀悼歌(ノウヘ)について、現在イランで流行っているスタイルの中に〔伝統から〕根本的に逸脱してしまっているものが見受けられると批判した。

 ジャハーンギール・ナスリー=アシュラフィー氏は、〔‥‥〕ニュースサイト「ファルヤードギャル」でのインタビューのなかで、〔イマーム一族の〕死を悼む儀礼で流行している今風の哀悼歌〔※例えば、ここを参照(You Tubeに飛びます)〕について批判し、次のように述べた。「今日、〔イマーム一族の〕死を悼む哀悼歌として一般に普及し、イラン国営放送もその定期的な放送に力を入れているものの大部分は、本来の姿から根本的に逸脱した種類のものであり、死を悲しみ哀悼歌を歌うイラン本来の文化・伝統を、日一日と根こそぎ破壊してしまっている」。

 アシュラフィー氏はこのことについて、当世風のマッダーフ〔※イマーム一族の悲劇を歌い上げる歌い手のこと〕たちはイラン音楽のラディーフ〔※イランの伝統音楽の旋律〕について全く無知であると指摘し、次のように続けた。

かつては、多くのマッダーフたちや、イマーム一族の殉教劇(タアズィーイェ)の演者たちは、イランで一般的であった古典的な方法でラディーフを習得していた。〔‥‥〕皆、ラディーフ音楽を理解していた。ところが今や、これはほとんど例外的なことになってしまった。つまり現在、マッダーフや宗教音楽の語り手の中でラディーフに精通しているのは、ごく少数だということだ。

 同氏はさらに、次のように続けた。「〔‥‥〕我がイランの国民的音楽が〔‥‥〕変化にさらされている今、当然のように、そこから派生してきた宗教音楽もまた、変化に直面しているのである。このことが、イランの伝統音楽の本来の姿が失われてしまう原因となっているのである」。

 音楽研究家のアシュラフィー氏は、過去の優れたマッダーフたちについて、次のように指摘した。

アフマドハーン・サーヴェイーのようなガージャール朝期の吟唱者や芸術家らの多くは、宗教音楽の語り手でもあり、ラディーフの語り手でもあった。言い換えるならば、これらの人物は、宗教上の祝祭日には宗教的メロディーを、そうでない日にはラディーフを歌っていたのだ。同様に、ガージャール朝期や第一期パフラヴィー朝〔=レザー・シャー期〕初期の優れた吟唱者たちは皆、例外なく、〔礼拝のときを知らせる〕アザーンや〔ラマダーン月に夜明け前を知らせる〕モナージャート以外にも、ラディーフも朗唱していたのである。

 〔‥‥〕イラン・シーア派の宗教音楽の研究家である同氏は、イマーム一族の悲劇の朗唱に非伝統的メロディーが用いられていることについて、「我が国の文化をめぐる状況は極めて悪化している。われわれの国民文化や古典文化の多くは、誤って伝統文化などと呼ばれてはいるが、しかしその実、構造的に大きな変化を被ってしまっている。そして徐々に、アイデンティティのない〔=無国籍の〕文化が国民文化に取って代わっているのである」と言明した。

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( 翻訳者:8409119 )
( 記事ID:28452 )