地球最後の日・・・にはなりませんでしたが、シリンジェに報道陣殺到
2012年12月22日付 Hurriyet 紙


マヤ暦で昨日やってくるとされた“世界の終末”において、影響を受けない場所の一つと言われたシリンジェでは、予想されていたことは起こらなかった。昨日の13時11分に世界の終末が訪れるという伝説は、人々の間で広く知れ渡っていた。シリンジェでテレビカメラを見つけると手を振りながら、世界の終末を待っていた人々は、“マヤ暦の予言が外れると”、お互いに抱き合い幸せを分かち合っていた。ヒュッリイェト紙のバヌ・シェン記者はシリンジェを、アルズ・チャクル記者はフラン スのビュガラッシュ村をそれぞれ取材した。

シリンジェにおいて、この24時間は、まさに歴史的瞬間の連続だった。世界の終末から逃れられるとされた二つの場所のうちの一つであり、マデン山に巨大な船が降り立ち、キリストが戻ってきてそこにいる人々を救うという伝説のあるこの村は、ここ二日間、映画のロケ地のようだった。225戸の、650~700人が宿泊可能なこの村に、多くのテレビカメラと新聞記者がひしめき合っていた。村の人口の半分ほどの、247人の報道関係者が確認された。軍警察と行政警察のチームは 昨日の朝から辻々で警備につき、パトロールを始めた。村では150人の軍警察官と私服警官が任務にあたっている。シリンジェ小学校の校庭には3台の救急車が待機し、国立医療捜索救助チーム(UMKE)もそこに配置された。400人が働くセルチュク市役所は、200人近い職員をシリンジェへ派遣した。税金やたばこの検査官にも通りで頻繁に出くわす可能性がある。商いは厳しい取り締まりを受けている。シリンジェに住むある店主はこう不平を漏らした:「シリンジェにいてこんなひどい目に遭ったことはない!」

■終末の日は彼に微笑んだ

店主と村人は、この状況にもはやうんざりしており、インタヴューのせいで店を開けなかったとぼやいている。一方で、村一番の幸せ者は、国民宝くじを売るオルハン・サルプナルさんである。報道関係者でさえサルプナルさんから宝くじを買うために、列に並んでいる。子供の時からここシリンジェで生活し、村でただ一人の宝くじ売りであると話すサルプナルさんの名前は、「終末の日の宝くじ売り」になってしまった。サルプナルさんは「これらは前向きな宝くじです。あなたたちだけがお金持ちになれるでしょう。終末の5分前にこの宝くじを買ってお金持ちになってください」と言って希望を振りまいている。

■村のホジャが4日間いない

シリンジェのイマーム、セルハン・オズヴァルダルさんは週の初めからこの村にいない。彼の見解を聞こうとした新聞記者らは、何の収穫もなく戻ってきた。オズヴァルダルさんのかわりにミュエッズィン(礼拝を呼びかける人)が礼拝行い、アザーンを読み上げている。セルチュクのムフティー、イスマイル・サルトゥさんは、オズヴァルダルさんは、葬儀があるため村にいないのではないかと考えていると述べた。サルトゥさんは金曜日の説教と礼拝を行った。

■シリンジェは終末の日も観光客も待っている

終末論に関連して注目を集めたシリンジェに、当初期待されていたほどの数の訪問者は訪れなかった。村の一日は、生中継とともに始まった。期待されていた訪問者数に届かなかった村では、朝早い時間から多くの報道関係者の姿が見られた。シリンジェの店主によって予想されていた忙しさは、朝早くからは始まらなかった。

■人影がない

シリンジェは夜半過ぎに、2012年12月21日を楽しく迎えた。中継が行われた広場では、炎の周りで奏でられた音楽に合わせてある者は踊り、ある者は好奇心旺盛な目でカメラの周りに集まった。しかし、やはり予想されていたような混雑はなかった。真夜中を過ぎると、シリンジェの通りには人っ子一人いなかった。夜00時00分に黙想している人もいた。世界中を訪問し、世界の変化について助言を行ってきたペルヴィン・ジュルジュロールさんは、時計が真夜中を過ぎると、ろうそくに火をともしながら隣の人たちと新たな変化の到来の儀式を行った。ジュルジュロールさんは「すべての悪いことと恐怖が、この素晴らしいエネルギーが広がるシリンジェで消え去り、私たちは新しい変化の過程に入ったのだ」と述べた。

■死体を包む白い布で抗議

村の入り口は、まるで市場のようであった。トルコの様々な場所からきた集団がプラカードを掲げ、デモを行っていた。デモを行った集団の一つ、ヤタガン鉱山労働組合と軍警察との間には、一とき緊張が生じた。ENグループの環境ボランティアらも注目を集めていた。彼らはお金を稼ぐという欲のために、自然のことを考えずに環境を汚染している人々に対し、死体を包む白い布で抗議した。

■予想されていたことは起こらなかった

マヤ暦において世界の終末とされている13時11分を迎えたシリンジェ村で、「予想されていたこと」は起こらず、その後も日常生活は続いた。訪問者たちは、その時、通りを歩きまわったり、一部の人々はセント・ジョン教会に行き、ろうそくに火をともし、願いの泉にお金を投げたりしていた。「終末の日用のロクマ」を作っていた店の店主たちは、いつもと比べても、今日は混雑していなかったと話した。店主は「(報道では)週末には少なくとも5千人の訪問者が来る。金曜日も混み合うと言われていた。この知らせのせいで来ようと考えていた人たちも来なかったのだ」 と不平を漏らした。

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( 翻訳者:甲斐さゆみ )
( 記事ID:28643 )