アルンチ副首相と論争したCHP議員インタビュー
2012年12月23日付 Hurriyet 紙

■幼児婚を恥ずかしいと思う者はいない

どうしてだか、「ワギナ」という言葉を聞くや顔を赤らめる者たちが、この国では名誉殺人で命を奪われる女性たちが問題となるや、それを不問に付している。どうしてだか、18万人もの幼児花嫁がいても彼らは恥ずかしく思わない。刑務所で子供たちがレイプされても・・。日々男女不平等、差別、暴力、ハラスメント、レイプにあう女性たち・・・

「中絶論争中に首相に「ワギナの番人にならないでください(ワギナということばを隠匿しないでください)」とあなたはおっしゃいました。その後その言い回しであなたが返り討ちに合っています」

―「ワギナ」はみだらな言葉ですか。侮辱的な言葉ですか。そうではありません。恥ずかしい単語でもありません。私はいつ使用しましたか。彼らが女性の体を使って政争し始めたときにです。そうでしょ?女性を性の対象に、そして性的器官にさげすみ、女性の唯一の機能が生殖であると考える考え方、これに腹を立てました。一方、「ワギナ」という単語は、教育、医療、出産といった多くの分野で使用されています。これを明らかにする必要を感じています。あたかも理由もなく性的器官について言及した人のように扱われ、彼らは私を社会の前でさげすみ、侮辱しようとしています。これをこうした話とは全く無関係な時、ワクフ総局の予算について話している時に行ったのです。女性の権利などについて話し合われている時ではなく、突然、性にかんする言葉が飛び出したのです。

「ビュレント・アルンチ氏があなたについて、「わきまえさせなさい」、「『恥知らず』に恥が何たるかを教えなさい」と言える立場にあると思いますか?」

-そういう立場の人がいるなら、勝手に言わせておけばいい。彼自身は、私に「恥」が何たるかを教えたと考えているふしがあります。なぜなら次の日に「節度を持たないものは節度を、礼儀を知らないものは礼儀を学ばなければならない」というような会見を行いました。誰も私に節度を教えることはできないでしょう。なぜなら、私は節度をわきまえているからです。その日行ったことは、演壇から私へ「心理的暴力」を行使することでした。私がだらしない不貞な女性であるかのように社会の前で攻撃しようとすることだったのです。

「「(アルンチ氏が)君はいつも私を見ているのですか?」と言った時、何を言いたかったのでしょう。もしかしてあなたは、さあ白状してください、ビュレント・アルンチ氏と秘密裏にデートをしようとしているのですか?」

-(笑って)一人の人についてなにか話すとき、その人の顔を見ることがより自然ですよね。しかし、彼は、「ボーイフレンド(男性)」として私が彼を見たと言ったのです。

「彼はあなたに、「君は目で私と姦通しているね」とでも言いたかったのですか?」

-はい。まさしくそうです。もともと彼がしようとしたことは、自分の思考構造によって、女性に対する道徳基準を明らかにし、これも侮辱し、あるいは、心理的な暴力をふるい、強制的に認めさせようとすることだったのです。私の、女性としての頭で、私が首相に責任を追及したことが、彼(アルンチ氏)を怒らせてしまったのです。その日彼が行ったことは、自らの地位を盾に、私を脅し、黙らせることだったのです。しかし、彼の頭痛の種は、私ではなく、本来全ての女性だったのです。彼の本来の目的は、女性達を脅すことだったのです。女性が男性と同じ場所から見る権利、女性が男性を精神的に(メンタルに)問いただす権利を奪い取ることだったのです。

「あなたとしては、アルンチ氏は議会の女性議員をどんな目で見ていると思いますか?」


-この国の意思決定機関(議会)に属している人間として見ていないことは確実です。飾り物として見ているのでしょう。本来、公正発展党も、女性を単に飾り物として見たいのです。公正発展党が女性問題について語ってきた素晴らしいことばは、ビュレント・アルンチの涙くらいに偽物なのです。彼らは、男女平等について全く真剣ではありません。

「彼は、あなたに「優雅」と言っていますが、あなたをどこに閉じ込めたいのでしょう?」

-頭の中では、私をたった一つのプロフィールに閉じ込めたいのです。「君はこの国の権利を守る国会議員ではなく、単なる女性だ」と言い、「女性としての節度をわきまえなさい。多く話すべきではない」と言いました。こうして「人格殺人」を行いました。この言葉が私はとても好きです。もちろん彼らは人格殺人者です。

「「ワギナ」のように「中絶」という単語を使用することも彼らは避けているというのは本当ですか?」

-はい。しかし「ワギナ」という言葉を使おうとすると、これほどまでに嫌がる者たちが、女性のプライベートな部分に関してはとても気軽に話しています。女性に何人の子供を産ませるべきか、この子供達をどういう形でこの世に産ませるべきか、中絶をするかしないかなど、とても気軽に話しています。さらには、「全ての中絶(望まない子供)はウルデレ(=クルド人)である」というような非常に不適切な比喩を使っているのです。

■アルンチ氏は保守派の代表ではありえない

「それは、彼が保守派であるからですか?」

-その後の議論で、「私は習慣と慣例に忠実な人間である」と言って保守派であることを強調したかったようです。しかし、アルンチ氏は、決して保守派の代表ではありません。そのように主張することは、保守派の人々にとってひどいことをしていることになります。なぜなら、保守というのは、女性を見た時に赤面し、困惑するといった弱点を見せたり、務めを果たしている国会議員を貶めようとはしません。

「公正発展党は、近々、『恥ずべきことがらのリスト」』を公表するのですか?」

-まず、現在、押しつけがましい(強いられるような)生活がないでしょうか?非常にあります。一般的な意味で分極化への定義がなされています。これが行われる一方で、生活スタイルも(ある方向へ)偏向されようとしています。首相の話を聞いていると、若者は二極化している状態で、片方が宗教心の強い若者であり、他方はシンナー中毒の狂った若者しかいないのです。彼らはこのように考えているのです。彼らはアレヴィー派とスンナ派を分けたがり、トルコ人とクルド人をも分けるのです。首相のやり方にはすべてこうしたことが見てとれます。

「さて、伝統と習慣及び慣例にこれほど忠実な人が、「あれを、私がああしたあれを・・・」といってひどい言葉を言った時に、国民として私たちも恥ずかしがるべきではないのでしょうか?」

-もちろんです。しかし、私はあなた達に言っておきます。アルンチ氏の習慣と慣例に忠実な態度というのは彼の涙と同じくらい偽物です。

「とするなら、ひどい役者ですね・・・」

-(笑って)しばしば泣いている姿を見ると、いい俳優になれるかも!

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:28675 )