「表現の自由」の危機―アクセス禁止サイト6年間で1万9000件
2012年12月30日付 Milliyet 紙

IPS İletişim Vakfı/Bianet社の『表現の自由の10年間』という本が、2001年から2011年にかけてのトルコにおける表現の自由に関しての報告を行っている。

弁護士のフィクレト・イクリズ氏と国境なき記者団トルコ代表エロル・オンデルオウル氏の協力のもと、エメキ・チャイル氏とギュルセム・デペリ氏により編纂されたこの本の中からいくつかの段落をご紹介しよう。
—過去10年間で少なくとも489人の報道関係者と少なくとも64の報道団体が攻撃を受けた。攻撃のほとんどは物理的なものだった。報道関係者や報道団体に向けては、記録されているだけで少なくとも553件の攻撃が行われた。
—2006年に『デヴリムジ・デモクラスィ』紙の報道記者のイリヤス・アクタシュ氏、2007年にアゴス出版社社長フラント・ディンク氏、2009年にマルマラテレビ局幹部ジハン・ハユルセヴェネル氏の3人の報道人が殺害された。
—2002年だけで2921日の放送禁止処分をだしたRTÜKは、2003、2004、2005年には29のラジオ局とテレビ局に対し合計870日の放送禁止処分をだした。2005年に国内のテレビ20社が抗弁を行っている。33社は警告を受け、9社の番組が中止させられた。2007年にはカナルチュルク・テレビ局に対し、選挙関連報道が原因で6度にわたる放送禁止処分がだされた。RTÜKは2002年5月から2008年末にかけて合計2022件の警告、262件の番組放送禁止、1件の放送ライセンス停止命令を出した。また2011年1月から12月にかけては89件の罰金、383件の警告、27件の番組放送禁止と1件の勧告(うちわけはラジオ20件、テレビ局480件)を与えた。


首相は4件の訴訟を起こした

—インターネット閲覧禁止について、2007年に43件、2008年に1046件、2009年に6131件、2010年に7762件、2011年に14737件、2012年に19507件のサイトが閲覧禁止になった。
—少なくとも167人の新聞記者が監視下に置かれた。理由として「違法組織」のメンバーへのインタビュー、「違法組織」リーダーの見解を報道し、「テロのプロパガンダ」を行ったこと、「違法組織との結びつき」が注目される。
—2004年には、首相がメディアに対し4件の訴訟を起こした。2007年には、新聞社の『ジュムフリイェト』紙と『サバフ』紙、雑誌の『レマン』誌、カナルチュルク局に対して行った6件の訴訟のうち3件が敗訴した。2008年に報道関係者に対して起こされた合計49件の「侮辱及び個人の権利の侵害」訴訟のうち7件は首相が起こしたものだ。
—2005年から今年にかけてEkşi Sözlük(投稿型ウェブサイト)に対して、おおよそ40件の捜査が開始された。このうち5%について訴訟が起こされた。


5カ国で検閲が行われている

世界で最も厳重なインターネット禁止令を適用している国は以下のとおり
シリア:インターネット閲覧禁止の多くは「政治的」理由によるものである。禁止されたサイトへのアクセスは禁固刑が適用される。
中国:フィルタリングの適用、わいせつ画像、警察による弾圧、台湾とチベット問題のような内容を含む。国内だけでなく、国際的な情報源も制限されている。
イラン:インターネットは完全にイラン政府の管理下にある。検閲を破った者に対しては禁固刑が適用される。
ロシア:首都モスクワでは広範囲の監視システムが使用されている。
フランス:政府はインターネットユーザーを監視下に置いている。

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( 翻訳者:佐藤悠香 )
( 記事ID:28732 )