イランでは、表ではスカーフやベールを着用し閉鎖的で宗教保守的な生活だが、家の中に入るとワインの最高級品を飲み、世界情勢を逐一確認する全く別の生活がある。
イスラム法の支配が続いており、男女平等という点で大きな問題を抱えている隣国イラン。そこでは外から見たのとは逆に、教育を受けた、現代的で、世界の情勢を逐一確認する大衆、特に女性が、自分たちが革命の犠牲などではなく、そのように見られることも認めないと証明しようとするかのように大きな抵抗を見せている。
イスラム革命後、政府の宗教的な圧力に押しつぶされているイランの女性達は、あらゆる方向から自分達を磨き続け、西洋式の現代的な生活を続けようと努めている。
DHA社のアイヌル・タッターソール氏は、「イランのもうひとつの顔」の写真を撮影した。
■イランに行く時、スーツケースに何を入れるか
イランに行くと考えるだけで人々は恐れを感じ、それどころか、新しい国を見るのだという期待感すら感じられることはない。私の頭の中にはそれは多くの質問があるが、最も重要なのは「イランに行く時、スーツケースに何を入れなければならないか」という質問だ。私は旅行の前にいつも行うようにクローゼットを開けた。その瞬間、一番好きな、似合うと思う服を除けなければならないと気付く。実際に新しい服が必要だと私は考える。しかし、まだ頭が混乱しているため、髪を覆うことのできる何枚かのスカーフ、体のどの部分も出ないようなズボンと合わせる長い洋服をいくつか用意する。もちろん頭の中は混乱しており、どんなことが起こるか見当もつかなかった。
「真実を,あるいは(少なくとも)見ることができる限り,経験できる限りのことをこの目で見て経験することは素晴らしい」と私は考えている。イランの首都テヘランに行くために飛行機に乗った時、美しく着飾り、プロのメークに化粧してもらったかのようなイラン人女性を見た時は少し驚いた。
道中、全てのことが普通に見えた。しかし、テヘランに到着すると、機内ですぐに動きが起きた。先程の美しい女性たちが、カバンからベールとスカーフを取りだして身に付けたのだ。
私も彼らのように、しかしぎこちなく、あたかも間違いを犯してしまったように感じながら、前もってハンドバックに入れていたスカーフを取り出し頭を覆った。飛行機から降りるとき、私のスカーフが白であることに気がついた。それでも気にせず、頭を覆い、飛行機を降りた。入国審査では「セラームアレイキュム」と挨拶をした。担当官は礼儀正しく何日滞在するかを質問し私を通した。
外から見ると悪い演劇のように人々に恐怖を与える。しかし、一度中に入ってその生活に合わせるや否や、その喧噪のなかで不自由であっても生活が続いているのを私は見た。スカーフをつけたり外したりは全く簡単なことではなかったけれど。
■イランのもうひとつの顔は家の中に
テヘランで法律がそう定めているため私は頭を覆ったが、その時、信仰心が篤く、望んで頭を覆っている女性が、強制的にスカーフを脱ぐことを要求されたときに何を感じているかを私は理解した。両者とも同じことであり、認めることはとても難しいと私は思う。
しかし、生活していく中で見えたことは、物事の本質は、対岸から見るのとはまったく異なるということだ。イランの女性達は、自分自身を西洋的な女性達より不自由であると考えていない。彼女たちの家の中での生活は、外から見られているイランのアイデンティティーに全くそぐわない。
テヘランで生活している女性達は、ベールの下からでさえ、その美しさや振る舞い、香水によって男性の心を弾ませている。罪になるのを知りながら、投獄される可能性もあるのに抵抗を続けているのだ。
■最高級のワインを飲んでいる
禁止であっても、罰金を払う覚悟をした店の扉を開けると、大音量の音楽が流れるレストランでの夜の生活があり、西洋の都市を思わせる。ファッションに注目しているのが明らかである流行りの服を着た女性達が、音楽のリズムに合わせて踊り深夜まで楽しんでいる。夕方になると帰宅する人たちは、家の扉を閉めるや否や、夕飯では密輸業者から買ったフランスのワインの最高級品を飲んでいる。
外で強制的にベールを着ているが、中では口紅を塗り化粧をしている女性達は、秘密にであるが、すべてにおいて全く遅れを取っていない生活様式を続けている。教育を受けたイラン人は、あらゆる禁止事項にもかかわらず、これらに妥協することを全く望んでいない。家に集まった友達とのおしゃべりでは、ベールを脱き、ハイヒールや流行りの洋服を身に付け、まぶしいほどだ。
道を歩く多くの若い女性の輝いた口紅と丹念にほどこされた化粧には、数メートル前からでも気づく。内面はどれだけ活発であるかを証明しようとするかのように、唯一外に出る体の部分である顔に行った化粧によって、あたかも心の中での反発を表現しているようである。
■イランの女性達は華麗なる世紀を視聴している
取材を行ったイラン人女性達は、トルコに憧れており、毎年かならずトルコの都市を訪れているという。『華麗なる世紀』をはじめ、たくさんのトルコのドラマを視聴しており、「トルコが大好きです。いくつかの都市を観光したし、毎年訪れるようにしています」と話した。また、商人は、トルコから来た商品は高品質であるために、需要があると述べている。特にトルコ産の織物は女性にとても好まれ、車では、ペルシア語に吹き替えられたトルコ音楽が流れていた。
(本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介
されています。)
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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:28742 )