メフメト・アーキフの生家、無許可で取り壊し駐車場に
2013年01月02日付 Zaman 紙


死後76年を経てメフメト・アーキフ・エルソイのチャナッカレにある家が跡形もなくなった。彼の家は、周囲に危険を及ぼすとして取り壊されたと語るバイラミチ市長のイスマイル・サーキン・トゥンジェル氏は、元の家にふさわしい建物を再建する予定であると述べた。

トルコ国歌「独立行進曲」の作詞家であるメフメト・アーキフ・エルソイは、イスタンブルのファーティフ地区で生まれたが、住民台帳では出生地はチャナッカレのバイラミチ市であると書かれている。76年前にこの世を去った国民的詩人の、トルコへの最大の贈り物は「独立行進曲」である。エルソイが遺した多くの思い出の一つがバイラミチにある、かれが子供時代を過ごした家である。しかし国民的詩人のこの家はすでに無い。

彼の名がついた通りにあるこの家は取り壊され、駐車場になってしまった。バイラミチ市長のイスマエル・サーキン・トゥンジェル氏は、家は17年前に周囲に危険をもたらすとして、市によって取り壊されたと述べている。トゥンジェル氏は、「メフメト・アーキフ・エルソイは、4歳から12歳まで私たちの町で過ごした。父は歴史的なタシュキョプリュ・ジャーミーでイマームをしていた。彼の生まれた場所もバイラミチであるとおもわれている。ここで彼が生活したこと、そして家の事も公式文書に記録されている。この家は残念なことに1996年に市によって危険性が指摘され、許可なく取り壊された」と述べている。

家のあった土地は市の保護地区であったにもかかわらず、不法に取り壊されたと述べたトゥンジェル市長は、新しく元の家にふさわしい建物を建て、博物館として使用したいと考えている事を明かした。この土地の所有者と市の間の訴訟問題がいまだ続いていると述べたトゥンジェル市長は、訴訟問題が解決した後はこの一画を公有化し、事業に取り掛かると説明した。アーキフが暮らした家は文化観光省によっても市の保護地区として登録されていると明らかにしたトゥンジェル市長は、「チャナッカレ県へ申請しました。ここにあったメフメト・アーキフの家は取り壊されたが、私たちの手元には20の写真があり、様々な側面から撮られたものです。これをメフメト・アーキフの住んだ家として新しく建設し、博物館という形で取り戻したいと議会でも採択しました」と述べた。この過程の中で土地の所有者が、(土地の)相当価格の三倍の金額を要求したと述べたトゥンジェル市長は、「(土地)収用のための訴訟を開始した。家がもはや存在しないため、必要な下絵がかかれることになる。その下絵は、記念建造物高等委員会で承認してもらうつもりである。承認を受けた後入札を行い、ここにメフメト・アーキフ博物館をつくるつもりである」と話した。
保存されていた家が不法に取り壊されても、エルソイの記憶は今でも残っている。町の人々の説明によれば、彼の父がタシュキョプリュ・ジャーミーで礼拝を執り行っていた時、メフメト・アーキフは、よくジャーミーの前の橋のたもとに座り、父が終わって出てくるのを待っていたという。国民的詩人がこの町で暮らしていたことを誇りに思う市民らは、家の取り壊しを許した関係者を非難している。国民的詩人を軽んじるような行為が、家を再建し博物館となることで解消されることを望んでいる。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:藤田昌弘 )
( 記事ID:28760 )