PKK10名死亡の大晦日「雷光作戦」、手がかりは携帯電話だった
2013年01月04日付 Milliyet 紙


12月31日、ディヤルバクルのリジェ郡とハニ郡の郊外において10名のPKK(クルディスタン労働者党、非合法組織)党員を殺害した「局地攻撃」は、テロリスト達が使用する携帯電話に仕掛けられた盗聴器の成果によるものだった。テロリスト達はこの携帯電話を通じて行われた会話から彼らがいた洞窟を突き止められ、軍警察と警察が共同で敷いた「雷光作戦」によって一掃された。

大晦日、治安部隊が、PKKのディヤルバクルのリーダーと目されており、「ヌマン」のコードネームを持つエトテム・カラブルトと、地域幹部数名を含む10名のPKK党員を死体で回収した作戦の詳細が明らかになった。ディヤルバクルの情報収集・治安維持部隊は、カラブルトがリジェ郡及びハニ郡郊外に居ることを探り出し、10~15名で行動するPKK組織に必要物資を提供するため、街に潜入していたPKKの党員を特定した。そして、この人物を泳がせ、この人物がたびたび郊外に出向き、カラブルトと彼の側近達と会い、彼らに物資を供給していたことを突き止めた。

■修理に持ち込まれた携帯電話

この人物はPKK党員らの1人の壊れた携帯電話をディヤルバクルに持って行き修理に出したが、常に情報斑の監視下にあった。情報班は直ちに行動を起こし、機会を見つけて修理に出された携帯電話に追跡型の盗聴器を仕掛けた。修理された携帯電話を受け取った人物はそれをPKK党員に渡す。治安維持部隊はこの電話によって行われた全ての会話を盗聴し、PKK党員らのグループを容易に追跡し始めた。

■PKKが潜伏している洞窟を特定し、局地作戦を実行

12月31日、情報班はPKK党員らがディヤルバクル郊外にある洞窟に居ることを特定し、作戦が開始された。ヘリコプター部隊の支援を受けた警察と軍警察の特別チームが加わりPKKを包囲、「降伏せよ」との呼びかけを行った。PKK党員達を生きたまま拘束しようと治安部隊は忍耐強く待機していたが、まず1人のPKK党員が洞窟から飛び出し、治安部隊に手榴弾を投げようとしたため射殺された。次に出てきた他のPKK党員も発砲を始めたため、戦闘となり殺害された。

その後の戦闘で他のPKK党員らが殺害される中、エトヘム・カラブルトは、洞窟の他の出口から逃げようとした。しかしながら、治安部隊がこれを防ぎ、カラブルトも戦闘中に殺害された。殺害されたPKK党員達の中に、カラブルトの他にも最高幹部クラスの者達がいたことが明らかになった。殺害された内の1人は、この地域の兵站を支えていたPKK党員であり、身元確認作業が続いているという。

ディヤルバクルで2008年1月3日に7名(内6名は学生)が死亡した爆弾事件、リジェ郡の軍警察司令官エルジャン・クルト少佐とアブドゥッラー・アジュジュ上級軍曹が犠牲になった地雷爆発事件、ガズィアンテプで9名が死亡した爆弾事件などを含む多くのテロ活動において、エトヘム・カラブルトが、実行命令を与えた人物であることが明らかになった。

■殺害されたPKK党員10名の身元情報

10月31日に、軍事評議会のメンバー兼ディヤルバクルの責任者と目された「ヌマン・アメド」のコードネームを持つエフテム・カラブルトを含め、ディヤルバクルのリジェ郡郊外で展開された作戦で殺害された10名のPKK党員らの身元が判明した。組織に近いインターネットサイトに記載されていた情報によると殺害されたPKK党員達の身元は以下の通りである。

エフテム・カラブルト: コードネーム「ヌマン・アメド」。ディヤルバクル、ビスミル出身。PKK軍事評議会のメンバー、「アメド州(ディヤルバクル)の責任者」と目される。
ファールク・ドル: コードネーム「アギト・アメト」。ディヤルバクル出身。
オメル・シェケル: コードネーム「オゼル・デルスィム」。マラトヤ出身。
メフメト・ビチェジェキ: コードネーム「レンナス・アメド」。ディヤルバクル出身。
ペルヴィズ・ハリリ: コードネーム「ショレシュ・セルマス」。イラン共和国のセルマス出身。
メスト・ユルドゥルム: コードネーム「デムハト」。マルディンのクゼルテペ出身
ルハッラー・シディネジャト: コードネーム「フィラト・マルギ」。イラン共和国のイラム出身。
メフメト・ズュルフィカル・カチュマズ: コードネーム「ケバト・カンチェペキ」。ディヤルバクル出身。
メフメト・ジャルプ: コードネーム「シェルヴァン・コチェル」。メルスィン出身。
ハカン・テゼル: コードネーム「マシロ」。バトマン出身。

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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:28777 )