パリPKK女性幹部3人暗殺事件、目撃者証言明らかに
2013年01月12日付 Radikal 紙


フランスの首都パリで1月9日から10日にかけての深夜、PKKの情報局に行って遺体を発見した目撃者らは、初めて目撃情報をANFに語った。

報道では、セキュリティ上の理由からこれらの人物の名前は公表されなかった。フランスの首都パリで殺害された3人のPKKメンバーの遺体と最初に対面した目撃者らは、フラト通信(ANF)に語った。目撃者らは、(殺害された)女性たちと最後に会ってから遺体発見までの間に起こったことを説明した。

PKK創始者の1人サキネ・ジャンスズ(コードネーム・サラ)、クルド民族会議(KNK)パリ代表フィダン・ドアン(コードネーム・ロジビン)、青年活動メンバーであったレイラ・ソイレメズ(コードネーム・ロナヒ)は、1月9日水曜日に殺害された。

情報によると、襲撃者らは、パスワードと二重のロックが付いていたにもかかわらず苦もなく情報局内部に入った。取り調べは、パリ殺人事件部隊テロ対策局とパリ・テロ対策課(SDAT)が行なっている。この取り調べは理論的に15日ほど続くことが期待されている。

遺体の第一発見者らと、殺害された女性たちと最後に接触した人々による説明は、事件に新たな色を加えた。警察近くにあるレ・ミュローのクルド協会責任者の1人は、フィダン・ドアンが1月8日の夕方レイラ・ソイレメズと面会するため協会に電話し、彼女に1月9日13時30分発ドイツ行きのチケットを用意したと述べた。協会責任者は、「ロナヒは電話した翌日の9時50分にレ・ミュローで電車に乗りパリに向かいました。(ロナヒは)パリ北駅で11時30分にロジビンと会いました」と述べた。

協会責任者は、13時30分に仲間がクルディスタン情報局に行って門を鳴らしたが、誰も開けなかったと話した。ANFに語ったフィダン・ドアンの多くの友人も、1月9日12時以降電話に応答がなく、連絡が途絶えたと述べた。

フィダン・ドアンと懇意の友人だという目撃者Aは、目撃したことに対するショックに未だ襲われると話した。立つことも困難で話すのにも苦労する目撃者の女性は、「火曜日の夜(1月8日)に話し、その前の二晩は実際に一緒にいました。水曜日に彼女に再び電話をしようとしました。私が彼女のそば行くか、彼女がこちらに来るようにと。18時から19時の間に電話でメッセージを送りましたが、返信はありませんでした。私ももちろん仕事があったので、後で電話しようと考えました。20時30分に電話をかけました。鳴らしても鳴らしても、答えはありませんでした。メッセージを送りましたが、返信は来ませんでした。9・10回繰り返し電話をかけました。これは普通でないと思いました。私に連絡をしないことはなかったので」と述べた。

■「局の鍵は私が持っていた」

目撃者の女性は、その後周囲やフィダン・ドアンを知る人々に電話をかけたが、それでも何も情報を得ることができなかったためさらに動揺したと述べ、次のように続けた。
「滞在していた家で23時30分頃に局(クルディスタン情報局)に行きたいと言いました。友人ロジビンに何かあったに違いないと。局の鍵の1つは私が持っていました。電話をかけましたが、結局電話も鳴らなかったので0時15分頃友人の1人とともに局に行くため出発しました。到着すると局の一室の明かりがついているのが見えました。これは普通ではないと、この時間まで明かりがついていることはないし、ロジビンがこの時間まで1人で残ることもありえないと言いました。必ず誰かが一緒にいるはずでした。」

■「中には惨劇が」

目撃者は、その後ドアを開くために行ったことを次のように説明した。
「私たちは外の扉のパスワードを知っていたため、この扉を開けましたが、2番目の扉は閉まっていました。私は局の扉の鍵しか持っておらず、間のこの扉の鍵はありませんでした。ビルのすべての家のベルを鳴らしましたが、ひとつも開きませんでした。1人だけが答えたので、その人に『中にいる友人から返答がないので心配している』と言うと、なにも答えず閉められました。その人が誤解したのだと思い、5分後に再び尋ねました。今回は『扉の前から去らないと警察を呼ぶ』との答えがありました。隣の家にもまだ明かりがついていましたが、その人たちも一切声を出しませんでした。

その後別の友人が電話をかけてきました。ロジビンから知らせがないと言うので、私たちも同じように連絡が取れず、ビルの前にいると言うと、彼女も起きてやって来ました。私たちはこのとき外に出て車で待ち、局を見ていました。

3人目がやって来た時ビルのすべての家のベルを再び鳴らしましたが、やはりだれも扉を開けませんでした。友人は『消防を呼ぶか、自分がこの扉を開けるか』と言いました。私たちがこうして話していたとき、肩で少し押すと扉が開きました。力尽くで開けることはまったくありませんでした。その後2階に行って鍵で扉を開けました。」

目撃者の女性は、目撃したことを「内部には惨劇と殺戮があった」と説明した。

■「最初に見たのは足」

目撃者の女性Aとともに局に向かったYは、「局には2つの部屋があり、うち1部屋のランプがついていた」と述べ、状況に疑問を持ったと述べた。Yは、友人が少し肩で押して、中間の扉を1時ごろに開けたと述べ、室内に入った際に目撃したことを次のように説明した。
「部屋に入った時、最初に見たのは足でした。進むと床に仰向けに倒れたロジビンの顔が見えました。口から血が流れ、目は閉じていて、顔は固まっていました。入った時に見たのは友人サキネの足でした。背をテレビ台にもたれさせて倒れていました。彼女たちの間にはスーツケースがありました。友人ロジビンは膝をついて座り、仰向けに倒れたようでした。サキネも座っていた場所から横に倒れ背を戸棚にもたれさせていました。スーツケースを準備している際に襲われたようでした。スーツケースの荷物の一部はまだサキネの膝の上にありました。

その時、友人Aが叫び声を上げました。ショック状態に陥っていました。その後ロナヒを見ると、顔を上にして寝ていました。髪が顔を覆っていました。ロジビンは首筋から血を流し、サキネは目の横が卵くらいに腫れていました。」

「ショックを受けつつ階下に下りた」と目撃者Yは続ける。「3人目の友人はその時警察と話していました。1時20分でした。すべては2分ほどの間のことでした。上の階に行って起こったことを見て、ショックの中で何をやっているのかもわからないまま階下に下りたにもかかわらず、すべてが私の記憶に刻まれたようでした。居間は何も動かされていませんでした。すべての物が定位置にありました。テーブルと椅子も動かされていませんでした。」

遺体の発見者たちは、(殺害された)女性は3人と頭を殴られていたと話している。目撃者の女性は、「まったく予想していませんでした。頭に血がついていて、周囲は血の海になっていました。頭を殴られたようでした。無防備に殴られたように見えました」と話した。

■疑問点

目撃者らの証言からは、サキネ・ジャンスズとレイラ・ソイレメズが13時30分発のチケットを持っていたこと、スーツケースを準備していたこと、12時前後からまったく電話にでなかったことがわかる。検死によれば、殺害は18時から19時の間に行われたという。仏メディアが検死の結果と警察からの情報に基づいて行った報道によると、襲撃は非常に迅速に行われた。目撃者らと犠牲者の友人たちは、すべての実行が11時30分から13時30分の間に起こった可能性があるのではないかと疑念を口にしている。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:28863 )