トルコサッカーとフェネルバフチェにとって、伝説的な選手であるレフテル・キュチュクアンドニヤディス選手の没後一年の追悼式が行われた。
ビュユクアダにあるアヤ・ディミトリ教会と墓前で行われた追悼式には、故レフテル・キュチュクアンドニヤディス選手の家族と親族、フェネルバフチェ・クラブのアズィズ・ユルドゥルム会長、タラト・ユルマズ事務局長、前執行部のアリ・コチ氏、アダラルのムスタファ・ファルサクオール市長とフェネルバフチェのサポーターらが参加した。
アダラル市、アダラル財団と1907大学フェネルバフチェサポーターズクラブの呼びかけでカバタシュとボスタンジュに集まったフェネルバフチェサポーターが、早朝からビュユクアダにやってきた。アヤ・ディミトリ教会で行われた追悼式を最前列で見守ったアズィズ・ユルドゥルム会長と前執行部のアリ・コチ氏は、その後、故レフテル・キュチュクアンドニヤディス選手の墓地を訪れた。
墓前で会見に臨んだタラト・ユルマズ氏は、真の伝説を偲ぶ述べて、以下のように話した:
「亡くなったレフテル・キュチュクアンドニヤディス選手は、宗教、言語、民族 の違いを取り払い、フェネルバフチェサポーターをはじめ、全ての人々に愛された、トルコ国民の財産となる人物であった。故レフテル・キュチュクアンドニヤディス選手や、同じく亡くなったメティン・オクタイ選手のような人物が私達には必要である。私達は、難しい時代を過ごしている。この不和や対立をなくす必要がある。レフテル・キュチュクアンドニヤディス選手の没後1年に際して、彼を模範とし、彼の精神を受け継ぐ若者達にもこの道を歩いてもらいたいと望んでいる。」
祈りが捧げられた後、アズィズ・ユルドゥルム会長は、故レフテル・キュチュクアンドニヤディス選手の妻であるスタヴリニ・キュチュクアンドニヤディスさん、娘のアルギルラ・カトメルさんと少しの間言葉を交わし、島を離れた。
追悼式にトルコサッカー協会のユルドゥルム・デミルオレン会長も花輪を送った。
フェネルバフチェサポーターは、追悼式の後に、島にある故レフテル・キュチュクアンドニヤディス選手の展示展を訪問した。
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( 翻訳者:新井慧 )
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