メフメト・アリ・ビランド氏、葬儀
2013年01月19日付 Radikal 紙


故メフメト・アリ・ビランド氏は、職場であり、妻ジェムレ・ビランドさんによれば家でもあったドアンTVから花とともに見送られた。

メフメト・アリ・ビランド氏は、妻と息子の言葉によれば「情熱と一体であった」職場と今日(19日)最後の別れをした。ドアンTVビル前でビランド氏のための式典が行われ、同僚たちは彼に最後の別れをした。一昨日亡くなったジャーナリスト、メフメト・アリ・ビランド氏の遺体は、アメリカ病院から7時50分頃移送された。ビランド氏の妻ジェムレさんと息子のウムル・ビランドさんは互いに抱き合って支えあった。ビランド氏の遺体はズィンジルリクユ墓地の遺体の洗浄場に移された。遺体はその後9時30分頃ドアンTVセンター前に移された。

■息子は涙をこらえきれず

息子のウムル・ビランドさんは、涙ながらに短いコメントを行ったが、最後まで言うことはできなかった。ウムル・ビランドさんは、父親について次のように述べた。
「父は仕事を非常に愛していました。毎朝走って仕事に行っていました。仕事が父の人生でした。父がここにいたならば、この様子を見ることができたならば。皆さんがどれほど尽力したかをここで伝えられれば。父を失ってしまいました…。」

■妻ジェムレ・ビランドさん「家に留めることはできなかった」

ビランド氏の遺体のそばで短い言葉をかけた妻のジェムレ・ビランドさんは、「私たちは彼を家に留めることはできませんでした。24時間を仕事とともに、情熱とともに過ごす人でした。今日の日を見たらとても喜んだでしょう。大統領に匹敵する見送りの式典となりました。このビルでもとても素晴らしい日となりました。彼はすべての人生をドアン一家の出版する新聞と雑誌とともに過ごしました」と述べた。

■花に見送られる

式典には、ドアン・ホールディングスのアイドゥン・ドアン名誉会長、ヒュセイン・チェリキ公正発展党(AKP)副党首、アキフ・ハムザチェビ共和人民党(CHP)会派副代表、オクタイ・エキシCHP議員、カーディル・トプバシュ・イスタンブル広域市長、ムスタファ・サルギュル・シシュリ区長、ヒュサメッティン・オズカン氏、ベルハン・シムシェキ氏、ヒュッリエット紙の記者たち、近親者、同僚たちが参加した。式典の最後の最も感動的な瞬間、遺体が運び出される際には、ビルから花が投じられた。ビルで働く人々は、ビランド氏を花で見送った。

■黄と赤の布

ビランド氏の遺体は、葬儀の礼拝が行われるテシュヴィキエ・モスクに移された。ヒュセイン・チェリキAKP副党首、カーディル・トプバシュ・イスタンブル広域市長、ムスタファ・サルギュル・シシュリ区長らも、ビランド氏の棺を運んだ。ビランド氏の遺体は霊柩車に運び込まれた後、彼を愛した人々は棺の上に(ガラタサライを象徴する)黄と赤の花を乗せた。ガラタサライ高校出身でガラタサライ・クラブのメンバーであったメフメト・アリ・ビランド氏の棺の上には「我々の人生、ガラタサライ」と書かれた黄と赤の布が掛けられた。

■市民が殺到

テシュヴィキエ・モスクで行われた式典に、市民が殺到した。式典にはドアン・ホールディングスのアイドゥン・ドアン名誉会長も出席し、アブドゥッラー・ギュル大統領、ジェミル・チチェキ・トルコ大国民議会(TBMM)議長、ビュレント・アルンチ副首相、ケマル・クルチダルオールCHP党首、デニズ・バイカルCHP前党首、イスタンブル選出のハカン・シュキュルAKP議員、ブルハン・クズAKP議員、メフメト・セヴィゲンCHP議員、ヒュセイン・アヴニ・ムトゥル・イスタンブル知事、カーディル・トプバシュ・イスタンブル広域市長、ムスタファ・サルギュル・シシュリ区長、リチャルドーネ駐土アメリカ大使、フェネル・ギリシャ正教会のバルトロメオス総主教、ハリト・クヴァンチ氏、芸術家のスアヴィ氏、アドナン・シェンセス氏、ヤヴズ・ビンギョル氏、映画監督のデメト・アクバー氏、実業家、近親者、同僚たちもやってきた。

■雨が降り始める

ビランド氏のための葬儀の礼拝が行われた時、突然雨が降り始めた。葬儀の礼拝の後、ドアン・ホールディングスのアイドゥン・ドアン名誉会長、ギュル大統領、バウシュEU大臣、ジャーナリストのアリ・クルジャ氏など多くの人物が棺を霊柩車に運び込んだ。

■ギュル大統領「民主主義のために闘った」

アブドゥッラー・ギュル大統領は、ビランド氏について、「メフメト・アリさんは、常にトルコの議題にのぼる偉大なジャーナリストでした。トルコの民主主義のために常に闘った人物でした。この資質は忘れられることはないでしょう。哀悼の意を表します」と述べた。

■「首相がいない理由は…」

ビュレント・アルンチ副首相は、政府を代表して式典に出席したことを明らかにし、次のように述べた。「突然のことでした。存命であることを聞き、すぐに病院に走りました…。信仰をもつ人間として私たちはこれに従っています。彼に神の慈悲がありますように。彼はこの慈悲にふさわしいと考えています。ドアン・グループと、すべてのメディアグループに、お悔やみ申しあげます。首相はガーズィアンテプでの予定を変更することができませんでした。私は首相と政府を代表しています。」

フェネル・ギリシャ正教会のバルトロメオス総主教は次のように述べた。「故人はとても好ましい人物でした。1月9日に彼の家に夕食に呼ばれました。忘れられない夜となりました。だれもこのようなことは想像できませんでしたが、常に至高の神のおっしゃるとおりになるものです。我々は至高の神の望みに従わなくてはなりません。彼はトルコ社会のため、国際社会のため、世界平和のためもっと長い期間奉仕できたでしょう。非常に勇敢で、非常に民主的な人物でした。常に少数者の要望を支持していました。彼に感謝を。」

フランシス・リチャルドーネ駐土アメリカ大使は次のように述べた。「彼は実際仲間であると同時に、皆に、トルコに、アメリカに大きな貢献を残し、奉仕しました。トルコに外の世界を素晴らしく理知的な形で説明しました。しかし最も重要なのは、私たち外国人にもトルコがとても複雑で、さまざまな方向を持っている現実をとても説得力のある形で説明したことでした。とても誠実で、勇敢で、熱い英雄でした。平和と外交、自由にとっての英雄でした。我々は常に彼を思い出すでしょう。」

■墓地に北イラクの土

メフメト・アリ・ビランド氏の遺体は、テシュヴィキエ・モスクで正午に行われた葬儀の礼拝の後、アナドル・ヒサル墓地に移された。葬儀に北イラク・クルド自治政府のマスード・バルザーニー大統領の代理としてやってきたサフィン教育大臣は、アルビルから持ってきた土をビランド氏の墓にかけるため、息子のウムル・アリ・ビランドさんに渡した。
ビランド氏の遺体は、息子のウムル・ビランドさんによって墓に降ろされた。アナドル・ヒサル墓地で行われた葬儀には、ビランド氏の家族と近親者とともに、彼を愛した人々も参加した。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:28949 )