BDPバイデミル市長、「トルコ人とクルド人のトルコへ」
2013年02月08日付 Radikal 紙
ディヤルバクルのオスマン・バイデミル広域市市長は、「トルコ人がクルド人に、またクルド人がトルコ人に銃弾を撃ちこむことを止めましょう。この問題の責任は何よりもまずこの国を治めている人々にあるのです」と語った。
青年協議会が主催し、2日間にわたって開催される予定の社会平和シンポジウムが今日ディヤルバクルで始まった。
ディヤルバクルのオスマン・バイデミル市長は、70の県から青年達が参加するシンポジウムの開会の辞を述べ、平和を語るうえで最も理想的であり、正当性のある町の一つがディヤルバクルであると語った。
バイデミル市長は「まず第一に、歴史の碑文(粘土板)に残された最初の和平はこの地において実現されたということです。その結果平和をこの地で語ることは、つまりこの地での経験を踏まえ、平和に到達するプロセスを早急に築くことにつながると私は思うのであります。21世紀には、もはやトルコにおいてクルド問題で戦争は起きてはいけないし、また戦争の勝者もいないのです。和平において敗者などいないのです。従って絶対に全員が一体となって和平プロセスと平和を支え合う必要があるのです。今日ここに我々が共にいることが和平プロセスと平和への希求を支えているのです」と述べた。
バイデミル市長は、社会の構成員が過去と未来に責任をもつ必要性を述べ、また過去を知らずして将来に責任をもつことは出来ないと述べた。
バイデミル市長は「我々が平和に責任を持つことは、本来我々の過去と未来に責任をもつことなのです。この70から90年間の過去が、あたかもパソコンのハードディスクの中身を消すかのように、我々の過去を消去しようとしているのです。ディヤルバクル、クルド語ではアメド、あるいはアミダでありますが、今から100年前の人口において、その48%をアルメニア人やユダヤ人、そしてカルデア人が占めていたのです。今日では(これらの者たちの割合は)片手の指の数ほどです。さて、彼らに何があったのでしょうか?ある日彼らは嫌になって、ここから去っていったのでしょうか?そうではありません。この100年の間で大変悲惨な出来事が生じてしまったのです。はっきり言いましょう。我々が自身の過去を知らず、その傷に包帯を巻かない限り、おねがいですから、明るい未来を実現するチャンスはないのです。我々は単独ではマスメディアを通じて、また歴史の本を通じて真実を学ぶことが出来ません。このことについてはあなた方、また我々全員に大きな責務があります。真実を、そして真理を我々が探求することが必要なのです」と述べた。
■ バイデミル市長、思い出を語る
バイデミル市長は子供の頃、家族と経験した出来事を、会場にいた青年達に語った。バイデミル市長は村で祈りと礼拝が行われる時、村では一人の見張りを立てていたと話した。バイデミル市長は次の様に語った。「今から30年前、私の子供の頃、我々には恐れていることが二つありました。私の家はシャーフィイー学派に属していました。またナクシュバンディー教団に親近感を抱いていました。ナクシュバンディー教団の祈りは少しばかり違っていました。一方でクルド人である我々の家族が祈りを行っている時、村や家の者が村の各入口に見張りを置いていました。「Cenderme te, ya na(軍警察が来たかどうか)」と言って。またエレヴァン(アルメニア)のラジオ放送も聴く時は、家から1人は必ず外に出て見張っていました。軍警察がやって来はしないか、或いは密告されはしないかと。我々は信仰の点でもアイデンティティの点でも、自由に生きることはできなかったのです。この70年を要約するとこうなると思います。それから30年過ぎ、ある日私はディヤルバクルの市長として、2007年を迎える新年を祝うカードを私はトルコ各地に送りました。そのカードには次の様に書きました。「Happy New Year, Yeni yılınız kutlu olsun, ser sale we piroz be」と挨拶を英語、トルコ語、そしてクルド語の3つの言語で書きました。カードはトルコ中に送りましたが、何人かの国会議員や県知事からはカードが送り返されてきました。クルド語を使用しているカードは受け取れないといって。これは2007年に起こった出来事です。ディヤルバクルの共和国主席検察局にも私は同じカードを送りました。そこに送ったカードは私に戻ってきませんでした。私は私の友人達を励ますために、「ほら、司法も変わってきたんだよ」と私は言ったものです。司法がかわれば、実は全てのことが変わるのです。しかしそれから20日過ぎた頃、検察は私を尋問のために呼び出しました。カードは罪の証拠として保管していたようです。戻さなかった理由は私の罪の証拠として使用するためだったのです。弁護士を呼ぶことに関してすぐに我々は口論となり、私は尋問を受けることになりました。その直後私は次の様に言いました。「検事さん、あなた方法務省の刊行物について知っていますか?」と。「知っています」と彼は答えました。私の論文もそこに載っています。どうか、検事殿、そのアドレスを私に下さいと言いました。そのアドレスはwww. Adeletbakanligi.comでした。私が裁判にかけられた理由が、その文字列にある「W」だったのです。私は次のように言いました。「検事さん、私がWを使ったのは一回なのに、あなたは毎日3回使っているじゃないかと」。私は心から願っています、多分、これから数年後、私たちが経験した禁止、全く馬鹿げた禁止、あるいは不当な禁止を、まさに今ここで私たちがやっているように、一笑に付そうではありませんか。我々が笑えるためにそれらを乗り越える必要があります。乗り越えられない限り、これはトラウマとして残ることになります」
■ 一つの国民として、住民として共に生きることを望む
バイデミル市長は、過去にディヤルバクルで暮らしていたアルメニア人、ヤズィーディー、カルデア人らが去って行ったことを明らかにし、次の様に述べた。
「はっきり言えば、我々はとどまるべき人々を失ったのです、何故なら彼らが去って行ったことでこの地は寂れてしまったからです。この国が自分自身を寂れさせたのです。財政的意味合いにおいても、経済的意味合いにおいても、彼らが去ったことで我々は平和をなくしてしまったのです。ご覧なさい、彼らが去って以来、未だこの地で平和を実現できていないではないですか。トルコにおいて全員が最初に行うべきことは、まず我々自身の思いを一度清算すること、そしてこの意味合いで(自らに)問うことです。トルコ人はクルド人、ペルシャ人、アラブ人、アルメニア人達と同じくこの地の古の住民の1つです。従ってトルコ人、アラブ人、ペルシャ人らに何か言い分(思い)があるなら、クルド人がそれを思いはせることも、彼の母親の白い乳のように彼ら自身にとって当たり前なことなのです。これは次のような意味ではありません、つまり国を分断する意味ではありません。新しい国家をつくりたいという意味ではありません。一つの国民、住民として共に生きることを望んでいます。では、共に生きるというロードマップのための憲法を、また社会的な協定をどうしたら我々は構築できるでしょうか?我々は互いに対等な者としてテーブルに着くことでのみ、平等で自由な将来を築いていくことが出来るのです。我々は一つの将来を築けるのです。そのためにあらゆる我々の努力は、対等なる者たちがテーブルに着くことに貢献するでしょう。対等なる者がテーブルに着けば、間違いなく私たちにとって自由への道を開いてくれるはずです。私は明らかに、そしてはっきりと言いましょう、しかしながらこれは全ての人類のために私は考えてはいるのですが、21世紀においてクルド問題は緊急課題であるので、そしてこれを我々が話しあっているので私は言っているのです。トルコ人がクルド人に、クルド人がトルコ人に銃弾を撃ちこむことを禁じます。そしてこの責任は、何よりもそして誰よりも、この国を統治している人々、この国の政権を担当している人々、この国を治めている人々にあるのです。しかし同時に沈黙している人々や追随している人々の責任もとても大きいし、大きくなるでしょう。今後(盲目的に)追随するつもりはありません。我々は追求し、常に問い続けなければならないのです。共に生きるためにこれが条件となるのです。ヘイトスピーチ(差別発言)は、統治者らの発言であるのは確かです。何故なら、戦争継続のために嫌悪の感情が必要なのです。平和的な感情でどうやって戦争が起きるでしょうか?平和の感情を持てば、愛されるのです。ただ抱擁されるのです。互いに助け合い、協力しあうのです。しかし戦争や衝突が起こってほしいと考えると、嫌悪の感情を増大させざるを得なくなるのです。またある権力が存続するようにと考える場合も同様です。真実が見えないようにと考える場合も同様です。さあ、皆さんと一緒に明るい未来へ突き進もうではありませんか」。
■ 平和はこの国にとても必要なもの
シンポジウムに講演者として参加したLGBT組織((レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスセクシャル・トランスベスタイト)のメンバーであるデニズ・ロジュダ・ソルマズ氏は、和平はこの国のいまだ出血している傷口であると述べた。またソルマズは「和平はこの国のいまだ出血している傷口の一つです。国家が自らの手によって敵対するあらゆる人々に向けて始めた戦争というものが存在します。ある時はオープンに、ある時は秘密裏に。平和はこの国にとても必要なものです。我々はもともとこの大地で一緒に生活することを知っている者達です。しかし、常に国家はある形でもってその前に壁を築くのです。LGBTの個々人に対して犯される殺人の共犯者は国家です。犯罪者達はいまだ(塀の)外に居るのです。現行システムは殺人者達に褒美を与えています。(LGBTの者達のように)他者化された者達は皆国家の手によってシステムの外に放り出され、平和のために話し合いや対話といった諸提案さらにはテーブルに着くという要請は、常に何らかの形で拒否されているのです」と語った。
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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:29182 )