識者の意見(連載)―クルド問題解決にむけ、政府に支持を
2013年01月16日付 Milliyet 紙
クルド問題が、今日のトルコの最大かつ早急に解決が待たれる問題であることに疑いはない。この問題が、適切な期間内に正義にかなった解決されうるならば、この解決は、社会的な安定をもたらすという観点からだけでなく、人権や民主主義の観点からも、トルコに非常に大きなものを与えるだろう。残念なことに、トルコはこの問題で今日まで、非常に時間を浪費してきた。
■テロ問題なのか?
公正発展党が政権をにぎるまで、クルド問題の解決に対し、まともな一歩はふみだされてこなったし、それができないでいた。このことは、認めようではないか。もともと、トルコのエリート層は、この問題の存在そのものを否定してきた。直面する問題が「テロ問題」であるといいはり、「解決」も、この主張から生み出される「治安」対策に求められた。問題が、テロや暴力の問題から構成されていないということに気付いたあとも、本来、社会・政治的、文化的、法的側面を有する、根本的な問題に直面していることを認めることをさけてきた。そして、今度は、「南東(アナトリア)問題」であるとか、「経済後進性問題」であるとかいってきた。故トゥルグト・オザル元大統領やスレイマン・デミレル元大統領は問題の存在を認める発表を行ったが、あとは続かなかったか、(その意思はあっても)続けることができなかった。
■ジグザグの進行
とはいえ、公正発展党政権も、現在まで、この問題についてはっきりした、また首尾一貫した政策をとることができなかった。ときに躊躇をし、前に進んでは後戻りした。出発点では、この躊躇やためらいには、それなりの理由があった。実際、公正発展党政府は、政権が安定したと感じてはじめて「クルド問題解決策」政策を開始し、この過程で例のよく知られた(PKKメンバーの国内帰還の容認などの)前向きの一歩を踏み出すことができた。しかし残念ながら、政府はまもなく、反発の声に恐れをなし、後退した。「解決策」をあきらめ、その後は、しばらくの間、ほとんど100%、治安対策的な対応に後退したのだ。しかし、政府は、先日、ようやくにして、問題の解決のために、今度は、強い決意を示す新しい試みを開始した。首相が彼の党に属するクルド系国会議員と行った会合の2週間後に、この試みが発表されたことは意味深い。
■恒久的な平和
この最近の試みでは、クルド問題解決の交渉相手はアブドゥッラー・オジャランだとされている。これは、政府関係者の発言から、また、BDP(平和民主党)の公式報道官的人々が、このプロセスで自分たちが除外されるのではないかと憂慮しているとみられる発表をしていることから、よくわかる。それがなんであれ、政府が交渉相手の選択を、手にしてる情報を正しく検討した結果決めたものであることを期待したい。
今回こそ、真に結果を得ようとするなら、だれと交渉するかは重要である。しかし、この大きな社会的問題を、ただオジャランと交渉するだけで解決することができないことは、おそらく政府だってわかっているだろう。真の解決には、PKK(カンディル拠点やヨーロッパ支部)、BDP、そして KCK(クルディスタン社会連合)をこの解決プロセスに加えることが必要である。さらに、クルド社会の、BDP-KCKラインの外にいる重要な社会的要素を計算に入れない解決策は恒常的な平和をもたらさない、ということを理解することも非常に重要である。
■国をあげての政策
また、これまでの試み(たとえばオスロ―でのPKKとの交渉)とは異なり、このプロセスが、より透明な形で行わるだろうことが見て取れる。実際、関係者は、世論を喚起するため、ときに相当に「率直な」発表を行っている。この目的に沿って、メディアを巧妙に使っているし、使うことができる立場にいる。メディアが「世論喚起」のために利用されていること、あるいは、メディアの方も、自ら進んでこの役割を引き受けていることは、「問題の色」が今回は、本当に違っていることを示している。
はっきりいおう。今回のプロセスは、政府のイニシアチブで行われており、政治的責任は政府にあるとはいえ、実際には、「国家」のなかのさまざまな要素の、歩み寄りの産物である。つまり、よく言われる言い方をすれば、「国をあげての政策 Devlet Politikasi」である。
しかし、頭を混乱させるような点もないわけではない。そのうちの一つは、政府スポークスマンが、何度も、このプロセスの目的が「PKKを武装解除」させることであるといっていることである。この発表では、(クルド市民の)文化的権利や民主主義的側面にはまったく言及されておらず、この面での新しい展開を予想させる糸口がまったく含めていない。これは、まったく驚くべきことだ。なぜなら、クルド問題は云うに及ばず、「テロ問題」を解決するためにさえ、PKKが武装解除したり、国外に撤退することだけでは十分ではないことは自明だからだ。
■解決諸策!
解決のためには、根本的な対策を含む、真剣な「解決諸策」が必要である。トルコ共和国の定義、国民の定義、基本的権利、国の政治的行政的組織などに関する憲法上の表現の変更は、この「解決諸策」に不可欠である。また、「まずは、武装を解除し、解決諸策はそのあと考える(あるいは、そのあと発表する)」といった態度は、正しくない。地平線の向こうに光がみることができないクルド側が、単に、あなたの善意を信じ武装放棄をすると期待することなど、単に能天気すぎるばかりでなく、同時に、この解決のチャンスを無残に台無しにすることを意味している。
もう一つのよくわからない点は、リュルサト・ブミン氏が何度も繰り返している問題だ。しばらく前、メディアでは、問題の解決を国家諜報局の(フィダン)事務次官がイムラル島(のオジャラン)と「交渉」し、彼(フィダン事務次官)が計画を策定するとの記事が躍った。このニュースでは、政府がまるでこの仕事を国家諜報局事務次官にまかせたかのような雰囲気が支配的だった。しかし、いうまでもないが、クルド問題の解決は官僚の行うことではなく、政治の仕事である。何が交渉され、どう解決プランが検討されるかについての権限と責任をもつのは、間違いなく政府である。いずれにせよ、その後、政府や公正発展党の名において次々に行われた発表は、この間違いがすぐに気づかれ修正された表れといえるだろう。
■支援をしなくてはいけない
つまりいえば、政府がクルド問題の解決についに真剣に取り組みはじめたこと、そして現時点に至るまでこの点で示してきた決意は、非常に喜ばしいものである。しかしながら、こうした努力がもし失敗したならば、大きな失望をうみ、問題をさらに解決の難しい状態にするという危険がある。今回ももしそういう結果に終わってしまうなら、いうまでもないが、この問題を短期的、あるいは、中期的な期間のうちに平和的に解決するチャンスを、我々は完全に失ってしまうかもしれない。そうなることを望まないなら、我々皆は、この問題について、政府を支援しなくてはならない。
投稿:ムフタファ・エルドアン(イスタンブル大学法学部教授)
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:29267 )