オラル・チャルシュラル・タラフ紙新編集長に聞く
2013年02月17日付 Yeni Safak 紙


タラフ紙の新編集長オラル・チャルシュラル氏は、アフメト・アルタン元編集長のもとで発行されていたタラフ紙が重要な使命を果たしたと信じている。しかし現在トルコで起こっている変革に向かって、タラフ紙も進化すると述べたチャルシュラル氏は、「タラフ紙が平和的な解決のプロセスを支持する必要がある。これはタラフ紙だけの問題ではない。今、新聞記者らがやらなければならないことだ」と話した。

あなたは2月からタラフ紙の新編集長に就任しました。誰が編集長になるかという問題では、多くの意見がありました。しかしあなたの名前はあがっていませんでした。提案はあなたにどのように来たのですか?
―私も全く予想していませんでした。今後の記者人生で、編集長になると言う考えもありませんでした。

提案が来た時、どう思いましたか?
―最初はとてもためらいました。なぜならドアン・グループで定期的に記事を書くことには何の問題もありませんでした。しかし編集長になるということはとても難しいことです。朝は早起きして、すべての新聞を読まなければなりません。私は、週に4日は記事を書いていました。コラムニストは、編集長に比べてはるかに楽な仕事です。

驚きましたか?
―はい。思ってもいませんでしたし、そのようなことを望んではいませんでしたから。私はタラフ紙をじっくり読む普通の読者でした。タラフ紙の愛読者の一人でした。この提案が私に来なければよかったのにと思わなかったわけはありません。なぜなら、私の平穏が壊れることになると思ったからです。最初は断ろうと決めました。

その後は?
―メフメト・ベティル氏とアルペル・ギョルミュシュ氏(訳者註:両者ともタラフ紙で記事を書いている)は私の旧友です。アルペル氏は私の隣で記者を始めました。二人からの影響はとても大きかったです。

■タラフ紙は困難な状況にある新聞

社主と対面した時、彼はあなたに何を望みましたか?
―何も望みませんでした。社主であるバシャル・アルスラン氏は私の政治的立場や人となりが、新聞を存続させる意味で非常に適していると話しました。そのため、互いに質問し合ったり、期待されるようなことはありませんでした。私がより多くの時間をかけて取り組むべき問題は社が抱える負債です。

以前あなたはタラフ紙に関する記事を書きました。「私が編集長だったらこうしたのに」ということを書いたのですか?
―どの記者も、自分ならこうしたと言うことを書いたことがあるでしょう。しかし私はそれらが実現するとは一度も思いませんでした。タラフ紙に関してはいくつか記事を書きました。ユルドゥライ・オウル氏、アフメト・アルタン氏、アルペル・ギョリュミュシュ氏との間で議論がおこりました。私はまだこうした問題の解決とトルコの民主化において、公正発展党の選択が重要な選択であると思っています。そのためには、この問題でより冷静になる必要があると考えていました。私自身の態度はすでに表明しています。現在、私たちの期待が夢ではないという兆しが見えています。イムラル島と政府が新しいプロセスに入りました。

タラフ紙の中に入ることと外にいることにはどのような違いがありますか?
―タラフ紙が抱える最大の問題は経済的な問題です。これは皆が知っています。この問題がどれほど深刻なのかは、中に入ってからより強く感じました。仲間のためにお金が必要です。困難な状況はまだ続いています。

編集長の仕事に慣れましたか?いずれにせよ、アイドゥンルク誌(訳者註:1968年刊行の雑誌。編集に携わっていた)から30年たちますが。
―もちろん忙しくなりました。コラムニストの気楽さはもちろんありません。新聞社に毎日来なければなりません。ただ記事を書くことだけではなく、新聞社の財政状況にも目を配らなければなりません。これらすべての問題に直面しているのですから、もちろん大変です。財政問題だけではありません。競争の世界では、自身の意見を持たなければなりません。私は何年も経った後、編集長を始めました。発言することが求められます。タラフ紙にはきわめて優秀な仲間がいます。うまくやっていくという点で何ら問題はありません。

タラフ紙はその使命から考えても難しい新聞です。プレッシャーになることはありますか?
―もちろん難しいです。私は物静かな人間ですが、信条があります。民主主義と自由は私の人生哲学の一部です。このために多くの代償を払ってきました。自分の信条をなに一つもあきらめたことはありません。いまだにトルコには様々な問題があります。クルド問題に関して一歩前進が見られました、しかしこれが私たちにとってどのような道を開くことになるのか、どのような困難に直面することになるのかを推測するのは簡単ではありません。すべてがうまくいくとは思っていません。このプロセスを妨害しようと望む分子も存在します。中にも外にもです。困難を忘れずに、希望を持って歩みを続ける必要があります。

前編集長アフメト・アルタン氏は情熱的な人でした。一方あなたは性格的に、物静かな方です。このことがタラフ紙にとって何かメリットになりますか?
―強い発言をすることは好きではありません。タラフ紙はうまく発行されています、私が現行のスタッフより優れているところなどありません。私はこの新聞に何が貢献できるかと考えているだけです。唯一私の優れているところをあげると言ったら、それはおそらく経験と冷静さでしょう。政治的には多くのことを経験しました。

■新しいたタラフ紙ではなく、新しい時代

前編集長アフメト・アルタン氏は記者であり編集者であることをとても感じさせる人でした。彼が辞めた原因はこれだったのですか?
―アフメト・アルタン氏は偉大な記者です。タラフ紙の攻撃的で、反骨精神にあふれた側面と、アフメト・アルタン氏の性格はパラレルな関係にありました。しかし簡単ではありません。財政問題が起こり、たびたび政治的緊張が起き、脅迫される5年間をアフメト・アルタン氏は過ごしました。このことが彼を疲弊させました。私は、彼が5年間とてもよく耐えたと思います。政治的には私もアフメト・アルタン氏のように考えています。

あなたがたの間の違いは?
―やり方です。トルコは新しい時代に入りました。新しい時代はより多くの譲歩(和解)の時代です。クルド問題のようなとても深刻な問題が解決する可能性が、視野に入ることが重要です。このような時代では、言葉、方法、態度に注意しなければなりません。新しい民主主義の模索には冷静さが必要です。

では「新しいタラフ紙」と言うことができますか?
―新しいタラフ紙ではありません、トルコにとって新しい時代なのです。

タラフ紙は公文書を暴露する報道で、国家体制の後見者としての軍の立場の弱体化に重要な役割を果たしました。プロセスが変わるとタラフ紙の使命も終わるのでしょうか?
―トルコの変革はもちろんタラフ紙にも影響を及ぼしています。今トルコの目の前にある問題は軍の後見の問題ではなく、クルド問題の解決です。ここ5年間にトルコにおける根本的な問題は軍の後見の問題でした。タラフ紙も重要な任務を実行しました。現在のタラフ紙は、平和的な解決プロセスを支持する必要があります。これはタラフ紙だけの問題ではありません。今、記者たちが行わなければならないことは、トルコが民主化に向けてまっすぐ進むために、平和的なプロセスを支持することです。

以前タラフ紙を離れたハディ・ウルエンギン氏やムラト・ベルゲ氏のような記者が戻ってきました。他に戻ってくる人はいますか?例えばネシェ・デュゼル氏やヤセミン・チョンガル氏は?
ーネシェ・デュゼル氏は戻ってくると思います。ヤセミンも戻ってこればうれしいです。彼女らは政治的にも人間的にも私のとても好きな友人です。

■アフメトにも戻ってきてほしい

アフメト・アルタン氏がコラムを書くなら?
ーとてもうれしい。アフメト・アルタン氏は本当にとても重要な記者です。少しこの仕事に慣れてから、彼にそのような提案をしたいです。

オルハン・パムク氏はタラフ紙でいつ書き始めますか?
ー誤解されている点があります。オルハンはタラフ紙を支持したいと言い、何かできるかもしれないと言いました。私たちはじっくり話しました。彼は、「写真を撮っているので、その話を書くことはできます」と言いました。勇気づけ、支持したいといいました。彼はタラフ紙で政治的なコラムは書かないでしょう。

オルハン・ミルオール氏はタラフ紙から問題あるかたちで離れました。編集長になってからあなたと連絡を取りましたか?
ーいいえ。今は他の新聞で書いています。彼らが対話する相手は私ではありません。オルハンもアフメトもコラムを書いています。

新しいメンバーが加わる予定はありますか?
ー私は今のタラフ紙のチームがこのプロセスの中で極めて十分であると思います。

彼ら(アフメト・アルタン氏やヤセミン・チョンガル氏ら)辞めた後、タラフ紙の発行部数が増えましたが、あなたはなぜだと思いますか?
ー分かりません。私も驚いています。つまりタラフ紙は真の名声を得たということです。読者に支えられています。

タラフ紙は今後何を取り上げますか?
ー私たちの前にある問題の中で最も重要なものは新憲法問題でしょう。民主的な憲法になるように努めます。

タラフ紙は「尖った(ピリピリした、攻撃的な)」新聞というイメージがあります。こうしたスタイルはあなたが編集長になっても続くでしょうか?
ー全く新しい新聞にするとは言っていません。結果、わたしには政治的に明らかな考えがあり、タラフ紙の考えに近い。私は新しいタラフ紙を作りはしません。どのようにしたら、より良くなるのか悩んでいます。新しいこととして次のことを行っています。2月1日からある連載記事を始めました。タラフ紙の民主主義の中で果たす役割を明らかにします。同様の他のプロジェクトもあります。しかし「カバンからウサギが出る」とは言っていません。

■台所(編集部)に女性も登用

タラフ紙にどんな貢献をしますか?
ー私は女性の自由と権利の問題に敏感です。タラフ紙にはこの意味で違った観点を持ち込むことができるでしょう。女性が抑圧され、疎外され、ダメにされること、男性中心の考えがメディアで支配的であることなど、これらはすべての新聞でそうであるようにタラフ紙にもあると思います。このことと闘っていきます。

タラフ紙の台所(編集部)にも女性は登用されますか?
ー私はそれをとても望んでいます。初めて来たとき、編集部は男性5人でした。私はこれではだめだと言いました。私はこの状態を好ましく思っていないと、彼らに言っています。何らかの形で、女性が各部署に手が届くように措置を講じます。

■財政問題は解決できない

編集長の仕事はあなたの執筆に影響をあたえましたか?
ーもちろんコラミストだったときほどの自由は感じていません。問題として、トルコは権威主義的な国です。そのため批判的な報道をする時、それによってもたらされる結果は組織全体に関わってきますので、慎重になる必要があります。ペンが、すなわち自分の手で書いたものが、自分を縛ることもあるのです。そのため、記者であったときほど楽ではありません。

タラフ紙の財政問題は解決できますか?
ーいいえ。この問題は続きます。バックに資本グループがついていないためです。しかし共同出資者がでてくれば改善できます。

ムスタファ・サルギュル氏の業務提携の考えについてあなたは何と言うつもりですか?
ー提携しましょう。私からすれば何の不都合もありません。パトロン(後援者との利益関係)がいないことはタラフ紙にとってメリットです、そうでしょ?
もちろんよいことです。しかしお金がないことはデメリットです。私に政府を支持しろとか反対しろとか言っていますが、私はパトロンは認めません。認める人とやったらどうですかと勧めています。

■教団に関する主張は根拠がない

ラグプ・ドゥラン氏は、「タラフ紙は透明な報道をしていない。教団(フェトフッラー・ギュレン教団)に対する態度がはっきりしない」と言っています。
ータラフ紙と教団との関係に関して知っていることがあれば、私たちに教えてほしいです。私たちも知りたいのです。空想に基づく分析によって作られた意見に私が何を言えるでしょうか。教団に関する主張に具体的根拠がありますか?この新聞を誰が財政的に支えているのか。フェトゥフッラー・ホジャですか?証明してほしいものです。

あなたの教団に対するアプローチはどのようなものですか?
ー教団はこの国の重要な事実です。これを見ようとしない態度が正しくないように、これを敵対視する態度も正しいとは思いません。私はジュムフーリイェト紙のような新聞で働いていた時に、フェトゥフッラー・ホジャに初めてインタビューした記者の一人です。私はこれをしたから、今でもフェトゥフッラー支持者でしょうか?暴力を認めない、人種差別をしない。分離主義者ではない、差別主義者ではないものは皆、何らかの形で自身を自由に表現すべきです、こうした表現を禁止するものをすべて取り除かなければなりません。これは教団だろうが、他の政治的流れであろうが関係ありません。

■スカーフをして働いています

あなたは自由に対して敏感です。スカーフをした記者はもはや多くの新聞で見られますが、タラフ紙にもいます。働いている人の中にスカーフをした人はいますか?
ー私はジュムフーリイェト紙で働いているときに、スカーフをした女性の権利を主張した人の一人です。働いている人の中にもいます。私はこの意味で、ぶれることはありえません。タラフ紙にはより信心深い女性もいるでしょう。ザ・ガーディアン紙で、「マイノリティの交流」というテーマのセミナーに参加しました。社会における様々なエスニック集団や性差にとらわれない人々を代表する一定の割合の人々がその中に含まれていました。新聞で私になにか出来るとするなら、こうした人たちに注目したいと思います。スカーフをしていない女性が伝えるニュースとスカーフをしている女性が伝えるニュースは違います。彼女たちの感性といったものも違います。交流を持つほどに、違った悩みも出てきます。信心深い女性が何を感じるかを、世俗的な女性が完全に理解することはできません。いろいろな出来事をみていると、この異なった感性がニュースに反映されることが必要なのです。

■アイドゥン・ドアン氏とはトータルで1時間話し合った

あなたがラディカル紙を離れたのはかなりの反響がありました。アドゥナン・ベルク・オカン氏が書いたコラムで、あなたがアイドゥン・ドアン氏と金銭的な関係を続けていることをほのめかしました。なぜこのようにいわれるのでしょうか?
ー離れた組織について私は前向きに話しましょう。離れる前も後もアイドゥン氏と話しました。これをいつだって隠したことはありません。アイドゥン氏とラディカル紙を離れること以外で、いかなる場所で会ったり、話したりはしませんでした。私はテレビ番組で、「そこは私たちの巣で、この組織は私にとてもよくしてくれました。ですからアイドゥン氏には感謝しています。明日思いつめたら、またそこに戻るかもしれません」と言いました。これらすべては人間的なことです。離れた組織について敬意をもって話すことが、利害関係を伴うとみなされているなら、私は何も言うことはできません。アイドゥン・ドアン氏からは自分の法的な権利を、それが何であれ、私はうけ取りました。タラフ紙に移ってからも一回給料を受け取りました。その他のことは何もありません。

ラディカル紙であなたは非常にいい給料をもらっていました。タラフ紙に来たことは理にかなっているようには見えませんが。
ーはい、あまり筋の通っていることではありません。私も自分自身に時々憤っています。来たことを後悔するときもあります。しかし、結果的に私が選択したのです。問題のある新聞を立て直すのに貢献しようと思って来ました。人は、時には金銭的利益の伴わない仕事に就くこともあります。私はそのような仕事を多くやってきました。私を知る人は分かっていますが、お金や利益とは無縁の記者生活を50年送っています。誰かが出てきて、私に利益と関係があると言うことはできません。私のこのような記者人生で、アイドゥン・ドアン氏とじっくりすわって、トータルで一時間以上話したことはありません。

なぜこれほどこれらの問題に関わっているのですか?
ー一部の人たちは私のような人間を好ましく思っていません。民主化の過程で私たちは共和国主義者のエルゲネコンに反対してきました。トルコにおける軍事主義的構造を壊し、クルド問題解決のための民主的な一歩が踏み出されるのを支持しました。これらに怒る人々がいるのです。たとえば、Oda TVで私に関しでっちあげられた様々な話があります。これらの話から許せないという感情が生まれています。これまでは彼らに対し発言する必要を感じませんでしたし、今も感じていません。私は社会の前面にいます。毎日何を考えているのかを明らかにしています。私が金持ちであると主張する人がいるなら、私の財産を調べてください。自身を弁護する必要は感じていません。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:29291 )