外国人出稼ぎ家事労働者たちの苦痛を詳細に描き出す『私はスリランカから来たコマリ』
2013年03月02日付 al-Sabah al-Jadid 紙


■外国人出稼ぎ家事労働者たちの苦痛を詳細に描き出す『私はスリランカから来たコマリ』

2013年3月2日『サバーフ・ジャディード』

【ベイルート:ジョルジュ・ジュハー】

レバノンの作家・ジャーナリストのハーズィム・サーギヤは、ルポルタージュと物語的手法を掛け合わせ、あるスリランカ人女性を通じて、多くのアラブ諸国で外国人出稼ぎ家事労働者が被っている苦痛の物語について書いている。

著者は主人公の女性・コマリがさらされた状況を描き出す。彼女は、ぶたれ、食事を断たれ、閉じられた場所に監禁され、給料の差し止めに遭い、仕返しで虚偽の罪を着せられる。だが彼女は、彼女が働いた国々の人々について全て同じ語調では語らない。そこには常に、悪人もいれば善人もいるのだ。

93頁の中型サイズのこの本は『私はスリランカから来たコマリ』という題名で、ベイルートのダール・アッ=サーキー社から出版された。

この本のカバーにある紹介文や目次には次のように書かれている。「コマリは貧困ゆえ国を出ざるをえず、湾岸・エジプト・レバノンでの生活を余儀なくされたスリランカ人女性である。コマリは番号でも物でもない。彼女は他のすべての人間のように、いろいろな特徴を持ち、条件を有する存在である。だが彼女が受け入れた人生は、人間よりも番号や物にふさわしいものであった」そして次の言葉で文章は結ばれる。「これらのページは、私たちが毎日会い、付き合う一人の女性の苦悩の詳細な検証である」

(中略…コマリは1971年、スリランカ中部の都市・キャンディ近郊の村で生まれる。貧困のため学業を中断した彼女は、紅茶農園で働くが、やがて親戚の手引きでクウェートへの出稼ぎに旅立つ)

コマリは最初、ある夫婦の元で働いた。だが、パスポートの問題(コマリではなく他の女性の写真が添付されていた)を見つけると、家の女主人はコマリを雇用事務所に引き立て、彼女はそこで男に棒で指を叩かれる。コマリが家族に毒を盛ろうとしたと、女主人が虚偽の訴えをしたのはその直後のことだ。だが、食事に毒を入れたのは、実は女主人その人だった。しまいには、コマリへの給料の一部が差し止められた。コマリは他の人の元で働くよう雇用事務所に要求し、前よりはよい雇用主のもとに移る。

(中略…コマリは中東諸国で労働を続ける。その間、スリランカに一時帰国した際に結婚した夫との間に女児をもうけるが、夫に他にも妻とその家庭があると判明したことから離婚し、レバノンへ出稼ぎに行く。そこでムニールというレバノン人男性と結ばれるが、彼は酒と麻薬に溺れるようになる)

コマリは私たちに彼女が受けた一連の苦痛や悲惨な人生を詳細に伝える。彼女は結びにこう語る。「このようにして私はいま生きている。私が望むのは、過酷な労働の一日の後、テレビの前で過ごす静かな夕べ。慈しみ、愛、そしてムニールが私から奪っているもう少し広い世界。特に望むのは私のための家。遅かれ早かれ私はスリランカに戻る。今むこうで、私と15歳になる娘が一緒に住むための家を建てている。その家はひと月150ドルかかり、家族の家の近くにある。でも家の建設にかかった費用は私が予想したよりはるかに多かった」

コマリは娘についてこう語る。「私は娘のためにできる限りのことをした。外国で生活し、今も昔も空腹にさらされ、多くの人が我慢しえないことに今日まで耐え抜いてきたのも、娘のためだ。私は毎日、神に感謝を捧げる。私の人生が、私と同じような多くの女性たちほどは酷くないことに。彼女たちの中には、強姦され、火傷を負わされ、名誉を傷つけられ、中には自殺をしたものもいる」

コマリは自身の過去を思慮深く判断し、自分の行ってきたことが無駄以外の何物でもなかったと結論する。だが、そこには彼女とともに他の人々も加担してきた。「私は自分自身を無駄にしてしまった。そしてその無駄には多くの人間が関わっていたのだ」

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( 翻訳者:児島祥子 )
( 記事ID:29410 )