2月28日過程で各省庁の反動分子処罰命令リスト、露見
2013年03月03日付 Zaman 紙
軍部は、2月28日過程で16の省庁と高等教育機構(YÖK)、宗務庁のような組織を、内偵していたことが実証された。参謀本部が、エルゲネコン事件の公判で法廷に提出したハードディスクに、興味深い詳細があった。これによると、軍部は、「反動的活動の中核をなしている」として4,226人を各省庁に通告し、彼らを処分したかどうかをチェックしていたらしい。
あれから16年がたったが、ポストモダンなクーデターが残した「つけ」が徐々に明らかになりつつある。あの暗い時代に、公務員が要注意人物としてマークされ処分されることに関して、データはいろいろあるが、それに新しいリストが加わった。参謀本部が2月28日過程において、「反動的活動の中核をなしている」として4,226人を各省庁に告発し、処分を求めたことが実証された。
エルゲネコン事件の公判が行われている第13重罪裁判所に提出されたハードディスク(第11と第12番フォルダ)に記録された、反動分子リストアップ文書に、興味深い詳細がある。これによると、軍部は、リストにある人物を省庁と組織ごとに内偵していたという。「内偵中、調査実行中、回答待ち、調査不必要」という形で人々を分類していたという。
処分相当として告発された人数は、国民教育省(1,479人)が第1位になる。高等教育機構は648人であった。第3位には532人で内務省がくる。宗務庁でさえも241人の処分が必要とされた。法務省に伝えられた人数は180人である。
トルコは、エルゲネコン事件の公判で明らかになった文書でとても多くのことを学んだ。受託裁判官が分析した文書の追加11番、12番フォルダにある記録と情報により、参謀本部が「反動分子との闘争」で何を行っていたかが明らかとなった。インターネット覚書(2007年4月27日、大統領選に絡み軍部が警告を発した事件)裁判の重要な証拠もこのフォルダのなかにある。文書ではまず初めに1997年から2001年の間に、年ごとに「反動的な活動の数」と「反動的な発言の数」を示した表を準備していた。クーデターが成功したことを示すために準備したとみられる表では、1997年に246だった「反動的な発言の数」が、2001年に13になっている。これらの年には、発言に反動的な内容が含まれるかどうか調査がおこなわれたが、各省庁に処罰が必要と通告された人々(の数)および彼らに対し行われた措置のパーセンテージが明らかとなった。リストをみると数の点で一番多いのは国民教育省である。反動的であるとして1,479人が告発された。これらのうちの252人が処分された。告発数が最も少ないのは外務省であった。1人が告発されたが処分されなかった。国民保健省では418人が告発された。このうち32人が処分された。県知事、郡長、警察組織を管轄する内務省は、2月28日過程(軍部)が最も苛立ちを募らせた省庁である。参謀本部は、ここでは532人を処分することを求めた。手元にある資料によると、内務省で処分された職員数は15人と記録されている。環境省では、2人の職員を処分するよう通達された。この二人とも処分されたので、成功率100%と書かれていた。このリストは直接参謀本部が(各省庁の)上層部を狙って作られたリストである。この過程に関与した、中下層クラスの多くの役人の処分を、別のデータとして心に留め置くことも有用である。
■宗務庁においては反動分子のうち42人が処分された。
クーデターを効果的なものにするために高等裁判所で証言した2月28日過程の実行者たちは、ここでも大きな処分を行った。法務省でも180人の職員の処分が要請された。リストでは処分が要請されたもののうち実際処分されたのが19人であることがわかる。高等教育機構に対して処分すると告げられた人数は648名。これらのうち実際処分されたのは25名であった。241人の職員の処分が求められた宗務庁では、実際42人が処分された。参謀本部の追加文書の第2リストでは、「反動的な行動に対して、省庁がどのような態度をとったのか」がみてとれる。法治国家という点で問題があるこのリストにおいて、各省庁が告発された人々に関して行った行動を、「回答待ち内偵中、調査実行中、調査不必要」といったかたちで分類している。たとえば、法務省において、18人に関しては回答待ち、21人に関して内偵中、15人は調査実行中、58人は調査不必要と分類されていることが明らかになった。内務省は、140人について「調査不必要」とされた一方、156人については調査実行中とされている。手持ちの資料では、168人が「回答待ち」とされている。軍部のハードディスクから出てきた分類リストは、1997年から2001年の間のものである。福祉党と正道党の連立政権を転覆させてから、世俗的な性格の強い政府の国民教育省は、126人について「調査の必要がない」と記していた。
ハードディスクから出てきた文書によると参謀本部は、2009年にこの活動を日々の記録の中に組み込んでおり、「反動分子との闘い」という名のもとで、2月28日過程でとられた写真を新たに流布させていたようだ。
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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:29411 )