トルコで男性へ性転換した人々の身の上に起こることは
2013年03月03日付 Radikal 紙


トルコは「男性への性転換者の存在」をリュズギャル・エルコチラルにより知ることとなった。しかし、「兵役問題」や「男性としての身分証(Mavi Kimlik:青の身分証)取得」といった問題に立ち向かっている人々(性転換者)がもっとたくさんいる。ラディカル紙に話してくれたベルクとイルクセンもそういった人たちだ。

女性として生まれたニル・エルコチラルが性転換を経て、男性の身体で、リュズギャル・エルコチラルとしての人生を始めたことが分かった後、本当の試練は、男性社会からやってきた。エルコチラルが兵役に就くか就かないかといったことから、性生活で「幸福」なのかどうか、はたまた男性であるために定年が5年遅くなるといったことまで、頭の痛くなるような問題が噴出した。
根本的な問題はというと以下の通りだ。「男性への性転換者」の問題で、国が前に進めないのを私たちは見てきた。なぜなら「性転換」という言葉でまず思い浮かぶのは、「男性から女性」への性転換だからだ。つまり、社会生活においてその外見的特徴(女性という外見)で暴力と差別を受けている「女性に性転換した男性」である。

さて、女性から男性に性転換した人たちには何が起こるのだろうか?外からは「男性」として認識され、「性転換者」であることがわからなければ、いじめや差別を受けないのだろうか?または、「性転換者」であることを隠し、「過去を消す」必要に迫られるのだろうか?兵役や、「男性としての身分証取得」といった段階になったら、なにがまちうけているのだろうか?社会が以前彼らに課した「女性としての役割」は、もう「男性としての役割」に変わるのだろうか?
私は次々と湧き起ってくる疑問について、「男性への性転換者」である二人の若者と話し合う機会を見つけた。ベルク・イナンとイルクセンから返答を得ることで、私の頭はクリアになった。性の狭間で苦悩する彼らの経験に、「常識」を捨てて、耳を傾けようと思う。

■イルクセン:「生殖能力あれば男性としての身分証は受け取れない」

イルクセンは、1984年生まれの音楽教師でフェミニストの、性転換活動家だ。人間を女と男の二つに分ける性別システムに政治的に反対で、自身を「男性への性転換者」ではなく、「トランス(性別を超えたもの)」として定義している。私と会った時には、1年以上翻弄されている兵役問題を解決しようと努めており、よい知らせがその翌日に届いた。すでにギュルハネ軍病院から承認済みの「兵役不適合報告書」をもらっている。23歳の時に、性転換者であることを家族や周囲にカミングアウトした。

■「あなたは男性としての身分証を持っているが、男性への性転換者はどのような手続きでそれを取得するのか?」

身分証取得に際し、国は身体的特徴を優先するよう定めており、それが問題となってくる。男性としての身分証を取得するには3つの条件がある。性転換手術を受けていること、未婚であること、生殖能力がないことだ。外見上、性転換者であることが必要だ。髪を短く切り、ホルモンを使ってから出向くことが必要だ、例えばあなたが「女性としての身分証(Pembe Kimlik:ピンクの身分証)を持っているけど男性のようだ」といってもらえるように。認識はこうだ。精神科医も性同一性障害だと申し出る者たちに、身体的な性を変えるようすすめ、手術を受け入れさせるのである。チャパもしくはハジェッテペでセラピーを始め、精神科医が「ホルモン治療を始める」と言う。自身を「トランス(性別を超えたもの)」だとする人はホルモン治療を望まず、ただ男性としての身分証を望むかもしれないが、そのようなことは可能ではない。

二つ目の条件は、生殖能力が欠如していることだ。しかし不妊でない限り、誰もが生殖能力を持っている。「生殖能力をなくすために、子宮か、卵巣か、精巣を除去したい」と言っても、誰でもが手術を受けられるわけではない。国が説明を求めるからだ。その器官の機能が失われたことが証明できなければ、除去することはできない。裁判官は、「生殖能力はないと(医者に)書いてもらってきなさい」と言う。産婦人科医は「そうは書けません、違法なので」と言う。法律はみんなを困難な状況に陥れている。というのは、これは一つの人権侵害であり、誰かから生殖能力を奪うことはできないのだ。このため手術は、精神科医が出した「性転換(性同一性障害)の特徴を持っている」という診断書でもって合法ではない形で行われている。私のある友人は、医者が「あなたのような人は見たことがない。ひげもあるし子宮もある。私が手術する」と言っただけで手術された。

しかしトルコはそのような国なので、実際はいろいろである。男性への性転換者が表に出ず、誰も何も知らないため、例外として子宮を切除せずに、ペニスをつけずに、男性としての身分証を手にする者もいる。ある男性への性転換者は身分証の変更のために裁判所に来て、「自分は男だと思っている」と言う。裁判官が経緯を知らず、前に立っている人物を男だと認識すれば、「社会生活のなかで困難を感じていることでしょう、男性としての身分証を受け取りなさい」と言うことがある。

■これら身分証の問題であなたが提案する解決法は何か?

病気の診断から抜け出すべきだ。私たちはLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)の権利が憲法に認められることを望んでいる。ピンク(女性)や青(男性)の身分証と言われるものを廃止すべきだ。体が違う、身分証が違うと感じるや、人は自分を病気だとみなす。私たちの身体あるいはジェンダー・アイデンティティは間違いではなく、間違っているのは制度である。人は、「二つのジェンダー・システム」と私たちが呼ぶ男女二元性の関係の中に閉じ込められることなく、ヘテロセクシュアル(異性愛者)になることを強制されなければ、身分証(男か女かというアイデンティティ)の問題は終わる。

■男性に性転換しても青い身分証がもらえない人はどうしているのか?

私は教師を始めた時、女性の身分証を持っていた。怖かった。例えばホルモン治療をやめていたので、生理になっても男子トイレにナプキンを捨てることはできなかった。もしあなたに生徒がいて、あなたがピンクの身分証を持っていることを知れば、あなたは暴力を受けることになるのはお分かりでしょう。ドキュメンタリーで、私の名前や苗字が知られてしまうや、生徒たちは私を特定し、SNSで「同性愛先生」と書いてシェアした。ジェンダー・アイデンティティを言えないために、40度の熱が出ても病院に行けない性転換者もいる。

■男性の身分証を受け取った性転換者にとって、次は兵役の問題でしょうか?男性の身分証を受け取ったら、あなたは兵役に呼ばれたか?

身分証変更の通知が来る前に、このことが人口総局から軍に知らされたそうだ。兵役検査の呼び出しが来た。兵役不適報告書のためにハルジュオールにある徴兵事務所に行き、カスムパシャ軍病院に送られ、ギュミュシスユ軍病院の精神科クリニックへ送られた。精神科医はどこでも「何歳ころからそうなのか?お人形で遊びましたか、それとも車のおもちゃで?」などの質問を、報告書や裁判所の書類があるにもかかわらず、何回も聞いてきた。

最初の申請では兵役不適報告書は渡されず、延期が言い渡された。翌年はギュルハネ軍病院に送られた。また一からであった。ギュルハネ軍病院の医者たちは経緯を少しはよく知っている。しかし報告書を出したにもかかわらず精神科医はまた「婦人科と一般外科」に送るのです。(あなたが私の立場だとしたら、あなたも)すべてを何回も回ることになったとおもう。

ギュルハネ軍病院でのテストでは絵を描かされる。木と家と人だ。ピンクの色鉛筆を使えば女性であり、青い色鉛筆を使えば男性であると言うのだ!私は性転換であるというシグナルを残した。目的は二つの性のどちらかに当てはめられないためである。このような結果が出た。子供の時にどちらの性も身につけることができず、ジェンダー・アイデンティティが未発達であった。一つの(ジェンダー・)アイデンティティを見つけることができなかった!

私は司令官に、「手術を受けた性転換者が『兵役に就きましょう』と言ったら、受け入れますか?」と尋ねた。彼は「受け入れない」と言った。軍には性転換者に関する条項はない。「軍に行きたいと願っても、身体検査で手術の跡が見つけられる」と言った。兵役不適報告書にも、「性転換者であるために兵役に適さない」と書かれている。これは彼らにとって一つの病気となる。

■あなた方の経緯を認めた人たちはもう、あなたたちが「男性の役割」に応じて行動することを期待しているのか?

父も兄弟たちも、「もう男なんだから、男のようにしなさい」というようなことはなかった。私は行動主義者なので、社会的な枠に収まってはいなかった。例えば母は、「それならお父さんとコーヒーを飲みに行きなさい」と言っていた。男であることとはこういうことだ、というように方向づけられる。男性に性転換した女性の経験からして、以下のようなことがある。食卓で母や姉が、「あなたはいいわ、私たちが片づけるから」と言う。社会的に男性優位な状況には私は不快感を覚える。そのような規範に当てはまりたくはない。

■社会に「男性」として入れば、ある種、より「有利」な立場に入ったことになるのでは・・・

性転換して男性になれば普通の男性に、性転換して女性になれば普通の女性になるというものではない。性転換とは、二元的ジェンダー・システムを混乱させるものである。「男のファトマ」と言ってみんなが背中をポンポンたたいても、性転換であると公言するや、誰も好意的に背中をポンとたたいてくれることはない。もはや人々の目には「転向者(性転換者)」に映ってしまう。

■イルクセン:「性を器官で決めるのはどれほど正しいのだろうか?」

リュズギャルのことが明るみに出た後、非常に卑猥なことが書かれ始めた。「性生活はどのようなものになるのか、ペニスは何センチか」といったことだ。性を器官で決めるのはどれほど正しいのか、検証すべきだ。ハイダル・デュメン氏は、「性生活で不幸になる」と言ったそうだ。ある人たちの性は公の場で議論されることがない一方、私たちの性は公にされている。国は性転換した人たちの権利を侵害したのだから、言いたいことを言ってもいいと思う。私たちは言う、「私たちの身体は私たちのものだ」と。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:29412 )