ムーラ若者間で騒乱の危機―ユルキュジュ民族右派vs.東部出身者
2013年04月01日付 Zaman 紙


ムーラ市(トルコ南西部)にて、ユルキュ・オジャクラル(※理想主義者の青年組織で急進的民族主義者グループ)と東部出身者の大学生間で起きた衝突は、市民を大きな不安に陥れた。手に石や棒を持った二つのグループ間の緊張は、警察が講じた措置のおかげで大きくはならなかった。同事件の後に、ユルキュジュ(理想主義者)グループの若者が「撃てと言われれば撃つ、死ねと言われれば死ぬ」とのシュプレヒコールを叫んだことが注目された。

民族主義者行動党(MHP)のデヴレト・バフチェリ党首のブルサ集会にて、あるグループが「撃てと言われれば撃つ、死ねと言われれば死ぬ」と叫んだスローガ ンの影響は、ムーラ市でも見られた。ムーラ・ストク・コチュマン大学付属のエセム・ルヒ・フーラル教授学生寮で敵対する二つの学生グループの間で昨晩、口論が起きた。諍いが大きくなるにつれ、コテクリ地区と寮の建物にいた数千人の若者が短時間で集結した。県警察本部に属する多数の警察チームが同地区に派遣された。寮のある地区には、装甲車と偵察警戒車が投入され寮の内部と周辺道路で治安対策が強化された。夜間には、ユルキュジュ民族右派の若者が「撃 てと言われれば撃つ、死ねと言われれば死ぬ」と叫んだシュプレヒコールに対し、敵対する東部出身者の方は、「ムーラはファシズムの墓地になる」と返した。 二つのグループの間にバリケードを築いた警察は、あらゆる警告を無視して若者が解散しないと双方に介入した。この間、学生らは手に石と棒を互いに投げ合っ た。さらに、寮では銃を用いた空砲発射が続けられたといわれる。

勃発した乱闘の間、警察官1名が軽傷を負う一方、7人の学生が逮捕された。警察当局の呼びかけにも関わらず、寮の建物の外にいた学生は、装甲車両と警察の同行を受けて居住場所に戻された。学生らは警察で状況説明を行った後、釈放された。ムーラ県警本部長のアフメト・アクバルとムーラ・ストク・コチュマン大学のマン スル・ハルマンダル学長は、寮の建物に滞在し、事件の沈静化を求めた。

一方、ユルケ・オジャクラルのムーラ県支部長を6年間続けたエレン・アクデニズ氏は、最近、(同組織の)旗移譲(儀式)によりその役職をジェミル・ギュンドゥズ氏に引き継いだ。まだ日の浅いギュンドゥズ支部長は事件が起きた夜21時30分に、「最近起きた紛争」との見出しのプレスリリースを出した。同支部長は、ブルサ集会で叫ばれたシュプレヒコールにデヴレト・バフチェリMHP党首が「時が来れば、そうなる」との言葉で返答したことに関する批判に反発した。「アッラーは、我々の指導者デヴレト・バフチェリMHP党首へ何百万人もの理想主義者の若者を巡り合わせた。そして、彼ら各々は神の道、真理の道において、殉教の果実シロップを飲む準備をしている青年である。したがって、快適で気楽な考えをもつ者達は国民の苦しみに寄り添うことに失敗する」と語り、ナショナリストの民族的反応に誰ひとりとして干渉しないよう望んだ。

ギュンドゥズ支部長は、テロ組織構成員はもはや山にはおらず、都市、村、街角に、そして、ムーラ大学にいると語り、和平のシナリオがトルコ国民に民主化を口実に受け入れさせられようとしていると主張した。

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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:29597 )