私立ギョクチェアダ・ギリシャ人小学校(旧アヤ・トドリ小学校)は半世紀ぶりに開校が許可された。しかし生徒が一人もいないために授業は開始されていない。
すでに校長も確定しているのだが、開校のために生徒が12名必要であった。お手上げとなった市民は解決の糸口をギリシャに求めた。ギョクチェアダは、ギリシャで起こった経済危機の影響を受けて、今年ギリシャ系住民がトルコに再び戻ってくることを期待している。ギリシャ系家族の児童が入学すれば、学校に以前の活気がってくると信じている。ギョクチェアダのユジェル・アタライ市長は、今年は1000人の移民の受け入れを目標にしていると語った。
ギョクチェアダのギリシャ人村落はデレキョイ村、テペキョイ村、ゼイティンリ村とエスキ・バーデムリ村の4村である。1970年代までギョクチェアダには約6千人のギリシャ系住民が住んでいたが、現在は約200人へと減少しそのほとんどは高齢者だ。様々な問題やヨーロッパ経済の好況により、ギョクチェアダに住むギリシャ系住民のほとんどが主にギリシャへと移住した。
ギョクチェアダのユジェル・アタライ市長は今年度約1000人のギリシャ人移民受け入れを目標にしていることを明らかにし、(ギリシャ系住民の減少という)問題の解決策の模索について、次のように語った:「私たちの市には現在約200人のギリシャ系住民がいます。この数を我々が移住を望んでいるギリシャ人の数と合わせて1200人に増やしたいと思っています。今、ここに住むギリシャ人のほとんどが高齢者で、子供がいません。そのため再びギリシャにいる人々が戻ってくることを期待しています。すでにギリシャ系第三世代はこの地で暮らしていないためトルコ国籍の権利を失っています。また彼らの祖父達が残した遺産等も相続しておらず、それに関わる法的手続きにも対処できるようになればと思っています。子供がいる家族が移住すれば、学校も開かれるでしょう。」
学校を開くには最低でも 生徒が12名必要である。学校の再建者であるアンナ・コチュマルさんは、学校再開により、ギリシャ人の若者が島に戻ることができると述べ、「ギリシャの経済危機もギリシャ人の島への移住の要因となるでしょう」と話した。さらに、ギョクチェアダで生まれたアンナさんは、学校再開の経緯について、「私が6歳の時、ギリシャ語を学ぶためにイスタンブルの学校に行かなければなりませんでした。18歳の時にアテネへ移り、物理療法について学びました。26年間アテネに住み、昨年4月にギョクチェアダに戻りました。その後、ギリシャ人学校再開に向けて活動をはじめました。国民教育省に申請をし、しばらくの後にナビ・アヴジュ大臣から吉報が届きました。私はここの学校には通っていませんでしたが、学校が開校されて非常に嬉しく思っています」と語った。
学校ではトルコ語とギリシャ語の両方で授業が行われる。幼稚園も併設されており、すでに教師も任命されている。校長には、家族がゼイティンリ村に住んでいるパラスケヴィ・ベルベルさんが就任し、副校長にはトルコ人が就任する予定である。ギリシャ語の授業と幼稚園のクラスにはギリシャから教師が1名派遣される予定だ。
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( 翻訳者:小幡あい )
( 記事ID:29648 )