1915の悲劇記念日、オバマ大統領メッセージで「ジェノサイド」使わず
2013年04月24日付 Hurriyet 紙
1915年の悲劇を記念して毎年伝統的に出されている大統領声明で、オバマ大統領は今年も就任以来同様に、アルメニア語で"大きな災難"という意味の”Meds Yeghern”という表現を用いた。またも「ジェノサイド」という表現が声明で用いられることはなかった。
1915年の事件がどのように定義されるのかという議論に関し、今年米国で変更された点はない。バラク・オバマ米大統領は毎年、悲劇記念日と設定される4月24日に、この事件に関して大統領声明を出している。2009年の就任以来「ジェノサイド」ではなく、アルメニア語で”大きな災難”という意味の” Meds Yeghern”という表現が用いられているが、今年もそれが踏襲された。そして過去4年の声明の「コピーアンドペースト」から成るメッセージを今年も繰り返し、「98年前、150万人のアルメニア人が、オスマン帝国末期に殺害され、あるいは死に追いやられた」と述べた。
「今日はMeds Yeghernを思い出し、20世紀最悪の残虐行為のひとつにより命を失った方々に敬意を表する日です。98年前、150万人のアルメニア人が、オスマン帝国末期に殺害され、あるいは死に追いやられました。失われた命を忘れないために、そして起こってしまった悲劇を思い出すために、敬礼しましょう。そうすることで、我が国の各州や団体、コミュニティ、そして家族が敬意とともに思い出す、アメリカや地球上の何百万もの人々に加わることができるのです。我々は、歴史におけるこのような暗い時代が二度と繰り返されることことがないよう、自分自身を戒めました。
私は1915年に起こったことを何度も頻繁に振り返りました。そして、見解は変わりませんでした。真実が公正かつ的確な形で認められることは、私たち皆の利益となります。各国は、過去の凄惨な出来事を認めてこれと向き合うことで、より公正で寛容な未来のための基礎を築き、より大きく成長していくでしょう。我が米国も、自らの歴史における暗黒の時を抱えて平和の構築に努めており、これら教訓の価値がよく分かります。いま我々は、このような過去を持った勇敢なアルメニア人とトルコ人を称え、各国政府と米政府が支援して彼らの関係のさらなる発展を奨励しています。
アルメニア人の歴史や遺産をたどると、彼らの不屈の魂と、大きな痛みや苦しみ、困難に対する強い抵抗の跡を見ることが出来ます。米国は、アルメニア系アメリカ人コミュニティとその文化、そして地域社会への貢献により、さらに強いものとなっています。そして、祖先が誇れるような、民主主義を守り、人間の自由と尊厳に対し敬意を表するような国づくりに邁進するにあたり、アルメニア人を支援することで彼らのこの貢献に応えています。今日私たちは、Meds Yeghernの恐ろしさを心に刻み、亡くなった方々の記憶を称え、そしてアルメニア人への永続的な結びつきを強めるために、世界各地のアルメニア人とともにあります。」
■即刻の抗議はなし
過去には、オバマ大統領の声明発表後にトルコ人・アルメニア人双方からの反発が高まった。トルコ人は歴史を片側からしか見ていないとして米国を非難し、アルメニア人は、議員時代の約束を反故にし、大統領就任後は「ジェノサイド」という表現を用いなくなったとしてオバマ大統領を批判した。
アルメニア人ディアスポラの統括組織ANCAは、今年の大統領声明を受けて2時間後に声明を出し、「ジェノサイド」という言葉が使われなかったことへの失望感に言及した。ディアスポラの急先鋒であるANCAは、次のような発表を行った。
「悲しむべきことに、今日オバマ大統領はアルメニア人虐殺の追憶において先頭に立つのではなく、トルコ政府の威圧的な政策に追従することを選びました。トルコの圧力に屈し、世論を前にして後退したのです。(虐殺の)罪を認めるという約束と、自国の政府が半世紀以上前にアルメニア人虐殺を明らかな虐殺として認める記録があるにもかかわらず、こうした後退が起こってしまいました。我が国の大統領が、現実を無視するというトルコの罪に加担し、公正をまたしても妨害したのです。こんなことでは、トルコがアルメニア国家に対し未だ罰せられていない罪の、事実に基づいた公正で包括的な国際的解決に向けての我々の歩みを、飛躍させることはできないでしょう。」
(本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:大門志織 )
( 記事ID:29752 )