エルドアン首相、「国民的飲み物はビールではなく、アイラン」
2013年04月27日付 Hurriyet 紙


レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、金角湾会議センターで開かれた、トルコ緑月協会と世界保健機構主催の「世界アルコール政策シンポジウム」に参加した。エルドアン首相はその場で「我が国の国民的飲み物はアイランだ」と発言し、これを受けて株式市場ではプナル乳業の株価が上昇した。

53カ国から1200を超えるテーマの専門家が参加したシンポジウムで演説したエルドアン首相は、我が国の国民的飲み物はアイランであるとし、次のように語った:

「93年前です。その偉大なる議会で出された最初の5つの法律のうちの一つが、アルコール飲料を非合法化し、人を酔わせる酒類を禁止する「アルコール飲料禁止法」でした。1920年4月28日、トラブゾン選出の国会議員だった、故アリ・シュクル氏が提起した6条からなる酒類禁止の法案は、議会に提出された5か月後、1920年9月14日に拍手、喝采、声援をもって承認されました。しかし実のところ、この法律の施行期間は、長くはありませんでした。一党支配の上意下達による近代化という考え方のために、この法は完全に廃止されてしまいました。近代化しましょう、現代化しましょう、文明化しましょうと声高に叫び、ただ(西洋の)マネをすればいいという認識のもと、アルコール消費は拡大し、推奨されるようになりました。

■子供にさえ飲ませていた

一党支配の時代(1923年~1945年)、アルコール推奨の動きはかなりあからさまなプロパガンダへと変化し、レストランではポスターが掲げられ、アルコールがどれだけ効用のあるものかが宣伝されました。当時、アルコール飲料をあたかも純然たる食料品のように扱おうとしていたのです。さらに、アルコールの一種である ビールは、共和国建国当初の数年間に出版された複数の本で、残念ながら「国民的な飲み物」としてとして紹介されていました。私たちの国民的な飲み物はアイランであるにもかかわらず、です。ビールが健康に良いと宣伝されたために、栄養があるからと小学生に飲ませ始めた家庭さえありました。私の手元には、アタテュルク森林農場で、子供たちにアルコール飲料を飲ませ始めたことを示す写真があります。それでも、(この)社会の仕組みが、(この)社会の特性が、国家の手によって推奨されたアルコールの消費に抵抗を示したので、おかげでアルコールの消費がさらに普及することは防ぐことができたのでした。

■交通(事故)におけるアルコール問題に取り組んでいる

ある人がアルコールを口にすることなく、自動車を運転していました。反対から酒に酔ったドライバーの車が来ました。酔っ払いが前者をはね、酔っ払いのせいでその人は死んでしまいました。アルコールを口にしていない運転手は何か罪を犯したでしょうか。その後、何か月かが立ち、酔っ払いの加害者は刑務所から出てきます。しかし死んだ人は戻ってきません。いま我々はこのことについて取り組んでいます。つまり、手に銃をもって人を撃てば殺人者なのです。罪は重いのに、酒を飲んでいたという理由で、酔っ払いの罪は軽減されます。こんな論理は通りません。このことについて取り組んでいるのです。複数のメディアグループがこのために私を攻撃するであろうことを、私は知っています。国民の健康のためなのです。どうぞ私を攻撃してください。

■大学構内でのアルコール販売を禁止

教育機関のキャンパス内でアルコールが販売されていました。彼らはそこに勉強しに来ていたのか、学生として必要なことをするために来ていたのか、さもなければ酔っぱらうために来ていたのか。こんなばかげたことがあるでしょうか。アルコールを買って酔っ払う者は、起きて家に戻り、包丁をとって友人のところへ行きます。パソコンや本を忘れます。ですから我々はキャンパス内でのアルコール飲料の販売を禁止し、やめさせました。アルコールの飲料の18歳未満への販売も禁止しました。

アルコール飲料の広告に関しても、包括的な法整備を行いました。現在新聞にこれら(アルコール飲料)に関する広告の掲載を禁止しようと、我々の仲間が取り組んでいます。近いうちに、新聞への広告掲載禁止を実現させます。なぜならこれらの広告は人を欺くものだからです。」


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:鈴木直子 )
( 記事ID:29769 )