Fikret Bilaコラム:タクスィム広場を使わせるべきだった
2013年05月02日付 Milliyet 紙

5月1日、イスタンブル以外のトルコのあらゆるところで、太鼓やズルナをならし、歌や民謡を歌いながら、事故もなく祝賀が行われた。しかしイスタンブルから映し出された映像はトルコにふさわしくないものだった。世界のどの場所からも、イスタンブルのような映像はみられなかった。警察が労働者たちに行った取締りにより、イスタンブルは火事場のような様相を呈した。本来なら、この5月1日をイスタンブルでも何事もなく祝えることができたにもかかわらず。

■タクスィムを守るということ

イスタンブル県はタクスィムを(メーデーのために)労働者たちに開放しないと前もって知らせていた。その理由として、タクスィムで進められている工事が挙げられた。特に道路の地下化やタクスィム再開発のための工事によってできた穴が、労働者にとって危険であり、事故を起こしうると主張された。工事用フェンスで囲まれた個所があり、それが5月1日の集会にとって、集会の場所としても安全性の点からもふさわしくないと述べられた。各労働組合がタクスィムに入ろうとするなら、それを阻止するとも発表された。県当局は昨日この言葉を忠実に実行した!
「タクスィムを守る」ためにあらゆる対策が講じられたようだ。前日に明らかにされた決定によって、イスタンブルのあらゆるところで「戒厳令」がだされた。
タクスィムへつながるすべての道路は閉鎖された。金角湾にかかる橋も閉鎖された。フェリーも何便かが欠航になった。タクスィム周辺に陸や海からやってくる可能性のある労働者たちに対して防御措置が取られた。さらに労働者たちに対して厳しい介入が行われた。強力なガス弾がはなたれ、高圧放水が行われ、警棒を用いての介入が行われた。労働者たちは解散させられ、ガスによって深刻な被害を受けた者たちは病院に搬送された。放たれたガス弾のカプセルにより労働組合員1人、高校生1人が頭から負傷した。高校生は手術を受けた。通りは惨憺たるありさまとなった。

■トルコ革新労働組合連盟(DİSK)へも飛び火

トルコ革新労働組合連盟に行われた介入は、襲撃といえるものであった。
労働者たちはガスを放たれ退散し、トルコ革新労働者組合連盟の本部ビルに避難していた。しかし、警察はビルに避難した者たちへの追及をやめなかった。連盟のビルをもガスで充満させた。その結果、隣接するアパートもガス弾の被害を受けてしまった。すでにビルに入っていた労働者たちをも追いかけ、連盟のビルの中までガス弾を放ち、またビルの内部を破壊することになんの必要性があったのだろうか?
警察の介入において適切でない力が行使されることに対する説明はなかった。

■タクスィムが開放されていたなら

タクスィムが開放されていれば、警察の介入によって生じた負傷、ガスが引き起こした健康被害、損害の発生といった重い代償やひどい光景は生じなかったであろう。工事現場の穴や危険な場所のための対策はできたはずだ、しっかりとしたフェンスで囲うこともできたであろうし、タクスィムにやってくる労働者の人数を適正な数に制限することもできた。今日のテクノロジーをもってすれば、労働者たちが工事現場の穴に落ちたり、事故に遭わないようにする対策はできたはずだ。さらには、この件に関して労働組合は安全対策に貢献し、責任を負うこともできたはずである。厳しい対策がとられ、挑発しようとやってきたグループを食い止められなかったように、彼らにとって(挑発する)口実を生み出してしまったのだ。
タクスィムが開放されていれば、労働組合は挑発にやってきたグル―プを行進させなかっただろうし、警察もこれらのグループに対し厳しい介入を行うことなく食い止めることができたはずだ。
治安部隊が介入しなかったデモやデモ行進が、事故もなく問題なく終わったことが明らかなのだから、この点からも、お互いにとって良いやり方の代わりに、意固地な間違った手段がとられたのだ。
メモ:私は国外旅行にきているため、しばらく記事を書くのを休みます。帰国後にお会いしましょう。ミッリイェト紙の読者の皆様のご理解を。

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( 翻訳者:桑迫静香 )
( 記事ID:29843 )