なぜ、そしてどのようにしてイランの名誉はアゼルバイジャンのものになっているのか?
2013年04月30日付 Mardomsalari 紙


 国の文化の分野で悪いニュース、さらには異常なニュースに接しても、われわれがショックを受けることも、驚きで口を閉じることができなくなることも、はたまた「そんなバカな」と叫ぶこともなくなり、平然とするようになって、すでに何年にもなる。我が国の文化行政の責任者たちのなかには、国の文化的価値の保護に、まるで関心がないかのように見えてしまう者がいるためだ。われわれが国の文化・芸術が一つ一つ略奪されるのを目の当たりにするのも、こうした事態に誰も責任を取ろうとしないのも、こうしたことが原因なのだ。

 楽器「タール」をアゼルバイジャンの名の下でユネスコに登録したときのペンのインクが乾いて数ヵ月と経たぬうちに、アゼルバイジャンはニザーミー=ギャンジャヴィーの名と作品を、同国の名の下で登録する動きに出たとのニュースが、突然報じられた。この報に接し、われわれは皆、再度驚きで顎が外れそうになったのだが、しかしここで一つの疑問が沸くのである。それは、なぜ、そしてどのようにして、このような行動をわれわれは目の当たりにしなければならないのか、という疑問だ。

 事件は次のようにして始まった。1391年の冬の寒い季節が始まった頃〔2012年12月頃〕、イランの楽器「タール」がアゼルバイジャン共和国の名の下で〔ユネスコに〕登録されたとのニュースが、突如として報じられた。これに続いて、アゼルバイジャンが「キャマーンチェ」や「トンバク」などの他の楽器をも〔ユネスコに〕登録しようとしているとの報道が流れ、われわれの口は開いたままふさがらない状態で、そして音楽協会などの文化団体の抗議も実を結ばずに、歴史の歪曲が修正されぬまま、年末〔=2013年3月20日〕を迎えた。

 多くの芸術家たちは証拠や論証によって、そもそもにおいて現在のアゼルバイジャンという国は100年前まで、イランという広大な国土の一部であったこと、この件に関するアゼルバイジャンの主張はまったくのでたらめであることを説明した。しかし何の成果も上がらぬまま、年末を迎え、1392年〔2013年3月21日〜〕が始まった。そして同年の2番目の月、突然アゼルバイジャンが我が国の傑出した詩人ニザーミー=ギャンジャヴィーの名を、自国のために〔ユネスコに〕登録しようと動き始めたとのニュースが耳に飛び込んできた。そしてわれわれは実際に、アゼルバイジャン共和国の注文によって、ハキーム・ニザーミーの彫像がイタリアの首都に飾られ、この偉大なるイラン人詩人がアゼルバイジャン人だと紹介されたのを、目の当たりにしたのであった。

 こうした事態に対し、我が国の歴史家や文学・文化・芸術を愛する人々は座して傍観していたわけではなく、さまざまな論文をものして、この賢者(ハキーム)がイラン人であることを証明する議論を展開したし、こうしたアゼルバイジャンの動きに抗議する内容の文書が、(文化イスラーム指導省ではなく)フェルドウスィー財団から各メディアに向けて発表されたりもした。

 アゼルバイジャン共和国のニザーミー=ギャンジャヴィーへの姿勢に対して、フェルドウスィー財団が発表した文書には、次のように強調されている。

ニザーミーによるものであることが確実な詩の中で、彼は何度もイランの名に言及しているが、アゼルバイジャンへの言及は一切ない。たとえ生まれた場所が異なっていたとしても、彼がギャンジェという町の人間で、そこで生きていたことに疑いの余地はない。しかしギャンジェをはじめとするアラス川〔※現在イランとアゼルバイジャンとを隔てる川〕より向こうの町は、ガージャール朝が西暦18世紀に樹立されるまで、イランに属していた(しかしこれらの町はゴレスターン条約とトルコマンチャーイ条約という名の、恥辱に満ちた条約によって、ツァーリ体制下のロシアに割譲されたのであった)。その後、彼ら〔=ロシアやアゼルバイジャン当局者〕は同地域の住民の言語や書字の一部を変えたが、しかしどんなに変わったとしても、本体から切り離された部位が、もとの本体の所有物すべての持ち主と見なすことはできないのである。

 しかし本当に驚くべきは、こんな事態になっていながら、国の文化財を守るべき政府機関である文化イスラーム指導省や文化遺産観光庁が、タールが〔ユネスコに〕登録された事件のときと同じように、沈黙を決め込み、何の公式反応も見せていないことである。〔‥‥〕

 いずれにせよ、タールという楽器の名は、その他の多くの「イラン・ザミーン」〔※歴史的にイランという名称の下で呼ばれた広大な領域〕の文化・芸術分野と同様、一部の責任者の無関心と無責任によって、アゼルバイジャン共和国の名で〔ユネスコなどに〕登録されてしまった。そして今や、われわれはニザーミー=ギャンジャヴィーの名がアゼルバイジャンの名の下で登録されたことが発表される瞬間を、今か今かと待たねばならない状況に立たされているのである。もしそうなれば、今後世界のすべての権威ある百科事典や辞書では、古き歴史を持つ我が国の誇る、この偉大なる文人の名も、楽器タールと同じように、他の国の名とともに紹介されることになるだろう。

 それゆえ、可能なあらゆる方法を用いて、これらの巨大政府機関がこの問題に真剣に取り組み、我が国の文化遺産の保護に意識を高く保つことが必要なのである!

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( 翻訳者:ペルシア語記事翻訳班 )
( 記事ID:29849 )